自分にできること。

先週のこと。

山本 康裕の、Jリーグ400ゲーム出場の記念グッズを予約しに、喫茶山雅へ出向いた。

注文とは別に、他のグッズの、取り扱いで不明な点を訊ねたところ、

お店を出てから 30分もしたら、携帯にその回答が入ったので、気分の良い日をもらえた。

あと、とりあえずやっておくのは、アウェイ相模原戦のチケットの購入か。

リーグ前半戦の締めの 6月。

チームはできることをやってるんだろうから、こっちもできることを進めておこう。

思えば、プレイヤーはすべて、サッカーについて、僕らとは隔絶したような技量の持ち主。

それを、ああやれ、こうやれ、と言いたい放題な世界なのが、ファン&サポーター。

それはそれで、いい。

ただ、技量は及びもつかないのに、挙句の果ては、精神論に走る。

気迫、執念……。

どれも、持つに越したことのない〈気持ち〉なんでしょうが、

それらは、技量と方法論に裏打ちされなていないと、どうしようもない。

プレイヤーはゲーム中、(おそらくは)対峙する敵と、最初にガツンとやった瞬間から、その相手の技量を感じ取り、計測しながら、

彼に競り勝ち、出し抜き、置き去りにすることに、自分の保有する技量を使いつつ、没頭していることだろう。

どんなに精根込めてやっても、技量とチーム連係で劣ると、終わってみれば、

0 – 2、1 – 3 みたいな、なんとも味気ないスコアで、負けです。(過去の経験)

実は、山雅のサッカー自体には精神論を持ち出したくなる要素もあって(☜加筆)、重要なヒントは、チノ氏の言葉、つまり、

いまやってるサッカーが、腰が引けたような印象を与える、そこにあります。

決して、それは、気持ちの類いのことでないので、

あくまで、サッカーのスタイルと、その実践が、議論されるべき。

明日の鳥取戦プレビュウは、そんな観点で。(いつもそうありたいが)

では。

女王は孤独に死す。

過日、初夏の陽射しの中で。

玄関わきのヤマボウシにたまたま、スズメバチの巣を見つけたのである。(地上高 2.5mくらいのところ)

子どもの握りこぶし大の、薄褐色のフラスコを、逆さにしたような格好でぶるさがる。

筒状の突起が、巣の下側についていて、これが、蜂たちが出入りする入り口か。

この時季、巣では、女王蜂がひとりで、巣作りと産卵にいそしんでいる。

このまま放置すれば、

数百匹の働き蜂(すべてメス)と、交尾専門の、(全体の10%程度の)オス蜂が棲息する、立派な巣になるだろう。

しかし、

攻撃的なスズメバチと、これほど身近に生活するのは、とても勘弁。

蜂に刺されて死ぬのは、なんとも気が進まない。

そこで、いまのうちにと……、

脚立を隣家から拝借してくると、

巣のついている枝を切り取った。

異常に気付いたか、巣からそそくさと出て来た女王蜂ともども、袋をかぶせて捕獲する。

で、袋の口からジェット式の殺虫スプレーを噴霧して、一気に殺害した。

入り口から巣の中を照らして見ると、1ミリ程度の、小さな卵(白色)が3つ、仕切られた部屋に産みつけてある。

数日中にはふ化するだろうが、もうママからは栄養をもらえず、餓死するしかない。

……このようにして難を逃れた一部始終を、

やって来た小学二年生に、残された巣をみせながら話したら、

自分は、もうこれ以上、そのスズメバチの巣を見るに堪えない、と言う様子をみせる。

この出来事で、ふと、僕に、

〈死〉についての、幼少時の感覚がよみがえる。

この年代では、

死を、生命活動の停止といった現象ではなく、

もっと切実な、まるで世界の終わり、と感じていたということを。

だから、

― 太陽と死はじっと見つめることができない。
by ラ ロシュフコー (1613~1680年)

といったような言葉を、気の効いた言葉として喜ぶのは、

実は、大人になり切れない子どもに似た感性であることがわかる。

死を直視し、それに対処できなけりゃあ、いっちょ前の大人とは言えない。

もちろん、子どもの心で生きることをいやしめるつもりもありません。

では。

ゴール裏よ,みづからを救え 。

安心、安全、そして、お決まりの敗戦BOOで不快な、ゴール裏ではありますが

ゴール裏スタンドとは……、

あまり居心地は良くなく(立ち見席だったり)、

まして、端から片方だけの視野で、ピッチが見やすくないが、

けれど、味方チームのゴールが至近で観られるし、料金は安くするから、

そこで盛り上がって、チームに勢いをつけてくれよ……そういう場所。

だから、盛り上げるのに、大きなフラグは、多く振られてしかるべき。

……これが基本。

で。

今になって、フラグの扱いにいろいろ注文をつけるのは、

最近、振り方に目に余る(危険、わずらわしい)ものが、集団的に散見される、そういうことだろう。

振り方がどうのこうのについては、本来、

成人した者ならば、その都度、当事者同士で解決できないといけない。

それが〈自治〉というもの。

旗がうるさい、とかクラブに訴えるなんてのは、まるで、

いい大人が、先生に言いつける子どもと同じで、切ないなぁ。

この事案は、

近くで不快なヤジを飛ばす者への対応と、ほぼ同じであって、それへの対処は2つ、しかない。

ひとつめ、行って、聴くに堪えないから、遠慮しろ、と本人に言う。

あるいは、ふたつめ。

他人との軋轢が嫌なら、黙って、自分が他の場所に移る。

僕のような厚顔なやつならば、ひとつめを選ぶだろう(実際、以前そうした)し、

平和主義者ならば、我慢して、ふたつめでしょう。

自分の身の安全と、快適な観戦(視野)を求めるならば、みづからが動け。

クラブにしたって、誰も文句の言えない安全を盾に、SNS上で気取った文章を綴るのではなくて、

大きいフラグを振っている者、プラス、その候補者とミーティングを持って、

これこれは危ないから、度を外したころはやめれ、とコミュニケーションすればいいだけの話ではないか?

(今回のように) エリアを限定するならば、その対価として、

旗振りをする者には、そこに入るための優先権、つまり、抽選しなくてもその場に入場できる特権を与えるべき。

あぁ、もったいぶった時代は、実に、生きづらい。

では。

フィニッシャーは君だ (FC今治戦レビュウ❷)

……つくづく思う。

中高年ファン&サポーターの皆様におかれては、

山雅の敗戦に怒り狂うあまり、脳内の血管が切れたりしたらまづいので、我が身を守るためにも、激情をコントロールされたい。

さらに、周囲はばからぬ罵声は、お連れ、たとえば、一昨日だと、奥様の、なんとも消え入りそうなたたずまいが、辛かった……。

さて。

ゲーム後挨拶に回る、チーム面々をみていると、この負けはかなり (悪い意味で)効いているな、という感じがしました。

つまらん雑言を(南にまわって)聞きたくもない、は当然としてあるでしょうが、

それとはまた別の、閉塞感。(気になります)

ゲームの総評。

相手に中盤で思うようにさせた北Q戦ほどには、悪い内容ではなかったと思う。

ただし、特に攻撃面で、思うようにさせてもらえなかった点では、かなり重症か。

山雅の攻撃を、サイド(外)へ追いやって、その頓挫を誘う、という今治のスカウティングと実践にハマりましたかね。(by チノ氏)

❶守備 ☞ 1失点目は、スピードで捕まえきれないクロス、2失点目は、セットプレイからのこぼれ球。

両方とも、今治の、伝家の宝刀的得点パターン、しかも、決めたのは、要注意のストライカーたち。

2失点目。
ゴール前におけるお手玉のような高いボールの行き来については、
思い切って出てパンチングだろう、大内よ、とは言いたいが、

注目すべきは、1失点目。
対クロス投入者、対ファーストタッチャー、そして、対フィニッシャーと、3つのガードが、すべて機能しなかったのは痛いけれど、

ここでのポイントは、

シュートを放った相手#10を逃がしてしまったのが、山雅#10菊井だったこと。

そこが、このゲームの、攻撃における本質的な欠陥!!

❷攻撃 ☞ 2列目に配されている、とは言え、

前半、菊井が、かなり低いエリアでプレイしたため、彼を経由してのボール捌き

が見られず、その存在感を魅せられなかった。(それゆえ、前半の失点時も、最基底に居た)

ダブルボランチを配しているのだから、彼らから、または、センターバックからの配球を、菊井には、高いスペースで捌き、前線へつないでもらいたい。

そして、毎度のことだが、後半、リードされていると、

残り20数分あまり、遠目からのクロス投入、それと、高さ(ジョップ、常田ら)をアテにしたハイボールの抛り込みに終始する。

いわゆるパワープレイなんでしょうけれど、

ゲームスタッツでみると、負けた山雅のほうが、より良い内容になるんですね。

これ、サッカーの皮肉のひとつで、たとえば、シュートは、相手の2倍は打ったはず。

ただし、今節の場合は、戦い方の硬直化よりも、

たとえば、クロス投入を、菊井や山口がやってしまう、という機能のズレを指摘したいのです。

本来、あの時間帯では、彼等は フィニッシャーとして、中央、つまりゴールマウス正面に近い場所、あるいは、クロスがこぼれたスペースへ入っていく役割ではないか。

浅川、ジョップ、そこにさらに、山口、菊井が入り込んでいかないと、脅威にならない。

ということは、クロス投入者は、ボランチ、または、佐相、山本(サイドバック)、さらには、ジョップらであるはずだった。

終盤、チームとして、彼からの配球やクロスを期待しているのか、どうしても菊井にボールが集まる。

(もちろん) チームの約束事をなにも知らない萬年ですが、

果たして、それでいいのか?

ゲームをとおし、菊井と山口の運用の仕方、され方が違うんだなぁ。

そこが、僕の、問題提起。

(もちろん、村越、安藤のゴールを否定はしませんよ)

でも、まぁ。

過日、常田に注文をつけておいた、右サイドバックへのビッグスイッチは、少なくとも 2回は敢行してくれたから、

すこし溜飲を下げつつ、

ボールを収めたサイドプレイヤーが、相手守備の整う前に、クロス投入(アーリイクロス)、または果敢にカットイン、を期待しましょう。

では。

怖いサッカーが観たい (2024.6.1今治戦レビュウ❶)

後半(70分)に逆転されて、1 – 2の敗戦。

帰り際、第4ゲート近くで、ソネさん(南ゴール裏フラグ振りサポ)と挨拶すると、

彼、苦笑しながらの第一声は、

―(絞り出すように) 毎度、毎度の……。

チノ氏(北ゴール裏同志)によれば、

― いまのサッカーは、腰が引けたような印象が強いので、(観ている側にとって)不満で、不評な反応になる、とか。

北ゴール裏では、70がらみのお爺さんが、スタンドを下って来て選手に文句を言いたかったのだろう、ひとり大声を上げるものだから、運営関係者になだめられていた。

― こんなんじゃあJ2に行けないぞ、とか聞こえたけれど、

あまり激昂したんじゃあ、身体に悪いし、今のチームに多くを望むのもいかがなものか?、と進言したくもなりました。

― 対戦相手にとって、怖いサッカーをやってる山雅を観たいよね、とチノ氏。

確かに。

山雅は、より手強い相手とやる方が、力を出せるような気もするし、

怖いは、そのまま〈強い〉にも通じるし……。

ゲーム後の、ほんの感想です。

では。