攻め疲れるな。 (いわてグルージャ盛岡戦プレビュウ)

2023季、いわてと2戦やって、山雅は 2回屈した。

そっちのほうが印象に残っているから、

今季第4節で勝利した(1 – 0)のも、8か月も経つと忘れている。
……佐相の空振りを、安藤が押し込んでゴール、だったような。

さて、今節のアウェイ。

対戦相手の状況、心情がどうあろうと、とにかく自分の強みで勝ちにいく。

前々節、前節、なにかとイレギュラーなゲームだったから、(それに救われた部分も多いにせよ)、

いわて戦は、準備した策をまっとうすることに集中、それに尽きる。

おそらく!!、

登録メンバー、布陣(配置)は、ここ2ゲームとそうは変わらないだろう。

公式リリースされない程度の個々の好不調が背景にあるはず、とは思うが、

僕は、ゲームのキーパーソンは、村越 凱光、中村 仁郎と診ている。

ともに、アウトサイドハーフ(2列目)で、ボールをゴールマウスの中央へと運んでもらいたいポジションだから。

総体的に、ボールが落ち着けば、山雅が優勢にゲームを運ぶだろうけれど、

さりとて、絶対的な力量差はないし、優勢な側が勝つわけでもないので、

スキや、粗いプレイが、一本調子な攻撃の中に生まれたならば、

いわてが狙ってくるであろう、カウンター攻撃を見舞われることは必定。

単調、一本調子ではダメ、智恵を使え。

被カウンターだけは回避、または潰して、

執拗、粘着的により早くボールに寄せては、前へ前へ進む、その姿勢で一致せよ。

いわてに反則が多い(リーグ1位)のは、主義として荒いサッカーを許容されている(監督交代の相模原のように)からではなく、

本来、正攻法的にやりたいが、劣勢の局面におかれると、技量不足もあってたまらずファールを犯す、そんなではあるまいか。

こっちが怪我をさせられたらマヅイけれど、被ファールはきっと多かろうから、

それを、工夫したプレイスキックに活用する、そんなんでいきましょう。

飛び道具は、やはり、俺らの武器だから。

……ところで、ひとつの疑問です。

前節宮崎戦の野々村によるゴールですが、

あれの由来の定義とは、

〈セットプレイからの〉なのか?、〈クロスによる〉なのか?

はて、どこへいって調べたらいいやら?

では。

隣の芝は,青いかも。

或るエスパルスファンに、

昇格おめでとう、とメールしたら、

その返信。

―ありがとうございます、ただJ1で戦えるかは疑問。
レンタル選手が多いし。
反町氏に色々なツテを使って補強していただきたい。(原文のまま)。

なるほど、上がれば上がるで、次の心配の火種なのか。

ジュビロにしたって、

現在18位で、降格の残り2枠を回避しようと苦闘中。

鹿児島ユナイテッドは既に、1シーズン限りの2部からの転落が決まり。

愛媛が、ようやく、17位で降格を逃れた。

……他人様のことは、まぁ、都合よく視野に入れておいてだ、

山雅の人々よ、今はどんなでも、日々を楽しまないとね。

では。

いまさらポストモダンでもない,が。

それがなんでもかまわないが、ひとつの思想に世の全体が貫かれるような時代、

または。

ひとつの理論で世界を解釈できる時代は、

1990年近辺で終ってしまった、というのが僕の感想。

日本にあって、決定的だったのはおそらく、

中学生がやるような政権樹立ごっこを、やがては、社会を揺り動かしかねない毒ガステロ(1995年)にまで持っていけることが、リアルになってしまったこと。

それは同時に、マルクス主義の終わりも意味していて、

いまやその思想的展開など、地球上のどこにもなく、~主義と自己主張する国家が在るだけ。

日本共産党にしても、看板だけが〈共産〉であるに過ぎない。

そんなのは、綱領をさらりと読んだだけでわかる。

〈反戦〉〈平和〉、こんなのも形骸化して、もうじき死語だ。

……と威勢よくはじめてしまったけれど、

僕たちの日常生活だと、

ほとんどは、メディアとSNSから、

こっちの本当らしいものをチョコチョコ、

次に、あっちの快適らしいものをチョコチョコ拾い集めてきては、

それを周囲に配しては過ごしている。

小学3年生の口癖を借りると、〈都市伝説〉の収集とでもいおうか。

ただ。

他人を屈服させるような支配的な思想的見地を、誰れも持ち得ない世の中、というのは、僕には歓迎すべきこと。

乱暴にいえば、

ポストモダン(超近代)は、いつの間にか終わってしまい、早30年なのだ。

音楽にしたって、

当時は、過去への抵抗と反発だったはずのクラシカルな70年、80年代の曲を、

今、どう料理して(変奏して) 演ってみたところで、

〈今日の音楽〉そのものであって、僕の世代感からだと、

一種、幻聴みたいに耳にやって来る。

もちろん、それを楽しんではいますがね。

では。

素人の浅はかさよ (宮崎戦レビュウおしまい)

僕には、ひとつ疑問があった。

それを、菊井 悠介ご本人に訊いてみたのです。

― 宮崎戦、ゴールの起点になった、あのクロス。
誰か(と誰か)がきっと飛び込むだろうと信じて、あそこに蹴り込んだの?

― いえ。野々村だけを見て入れました。

なるほど、なるほど。

あのシーン、時間もかなり押し迫っていたこともあるしと、

素人の考えることは、やはり浅はかで乱暴なことです。

また。

山本 龍平ご本人には、

― 宮崎の #20をうまくマッチアップして抑えていたと思うんだけれど、
あなたの自己採点はどうなの?

― うーん。けっこうチャンス作られることもあったりで、評価は、ずいぶんむづかしいですね。

なんとも自己に厳しくて、頼もしいではありませんか。

ところで。

これまた、素人のうっかりで、

野々村 鷹人ご本人に、

― 菊井君が、あなたに照準を絞ってクロスを投入したと、信じて飛んだ?

これを尋ねるのを、失念してしまいましたとさ。

いやはや……。

では。

雨の日と月曜日は (宮崎戦レビュウ❷)

一夜明けたら、すがすがしい好天の秋日。

朝、会社で会うなりヴァン氏が、

― 5位に上がって浮かれてるね。

― もちろん、狙ってた流れですけどね。
ただ、勝ち点のつまり具合(=混戦)からして、1ゲーム毎、何が起こるかヒリヒリです、と返答しといた。

現況、唯一の安堵は、勝ち点が減らないことくらい。

上位にいたところで、戦いに望む姿勢が変わるわけでもなし。

さて。

くどくなるが、あのゲームの価値と、次につながる成果は、

精緻なゲーム戦術などが役に立たなくなる状況下、

武器は〈飛び道具〉

つまり。

ハイなロングボールか、プレイスキックが、得点の糸口だろう、が両者わかった中で、

山雅のほうが、自分の武器の使い方と相手の封じ込めにおいて、より明確な意思統一がなされたこと。

総体の上背は、宮崎に分があったが、空中戦がほぼ、#11FWの単発勝利だったので、そこのセカンドボール狙いで対応。

さらに、相手#20、#44の突貫的侵入に対しては、佐相、山本の両サイドを中心に、危ないシーンもあったが、なんとかマッチアップできた。

次節。

最下位が決まり (おそらくはJFL降格の)いわて、となれば、むづかしいゲームになることは必至で、

ピッチの11人とベンチには、戦い方における、強固なる一致が在ること、を願います。

『Rainy Days And Mondays 』は、ポール ウイリアムズとロジャー 二コルズが作った曲。

1971年カーペンターズが歌って世に出て、その歌唱が有名。

このブログでは以前に採りあげましたが、

再度、ポール自身のカヴァーを聴きたくなる、平穏な秋……。

……おまえ老けたよな、と自分に言ってみる
時々 やめてしまいたくなって
すべてがしっくりこなかったり
なんだか宙ぶらりんで
しかめっ面ばかりして過ごす
雨の日と月曜日はたいてい心が沈んでしまうんだ

でも、愛してくれる人がいることは良いこと
走っていって、愛する人を見つけようか
なにかおかしくなるが、それがやるべきことかも……

では。