なぜ,カフェに居るのか?

職場の同僚に、カフェまわりをしている(らしい) 御仁がいて、

先日は、きのうは、どこどこに行って、誰々と話し込んでね、とご報告してくれる。

そもそも、僕の辞書には、〈喫茶店〉〈茶店〉しかない。

それが、カフェになると何が違うのやら、皆目わからん。

で、その使途とは、待ち合わせの場所にする、友人知人との談義、あるいは、次の仕事までの時間つぶし、それくらいしか思い浮かばない。

同僚によれば、そこでは他人との出会いがある、とのことだが、

かつての栄華(のように聞こえる)に関する昔ばなし、羽振りの良さなどを聞いてなにが面白い?、と訊くと、

そうやってご高齢者の話を聞いて差し上げる、ということ。

でもさぁ、松本あたりの政財界の(☜加筆)、裏事情を入手したところで、今のあんたには、どうなるものでもないだろう、と突き放しつつも、

ますます、出かけていく気が知れない。

僕の偏見によれば、上に記した目的以外で喫茶店に出向くのは、時間の使い方をほかに知らないがゆえの、時間浪費に過ぎず、

それならば、室温15℃を確保した自室で、

読んだり描いたり(書いたり)していたほうが、よっぽど楽しく、息抜きになる。

ただひとつ。

そこのオーナー(マダム)や、そこに集う誰かさんの気を惹きたい、というのであれば、

それはそれで、至極健全な目的だ、と共感できる。

では。

急に思い立って。

と言うより、直感が、今やっておかないと、と湧いて来て、

善光寺にごく近い、なじみの古書店へと出かけた。

僕が職業人として始めた時の先輩の弟さんが、その先輩(物故)の跡を継ぐ格好で、やっているお店なんです。

たしか、午後のみ営業だったはずだから、勤務を終えると、高速を使って。

駐車場に車をおいて2分ほど歩き、

店をのぞいたら電気が点いていて、入り口のドアも開けられたので、

奥に進むと、数年前とほとんどかわらないご様子で、

椅子に深く座る店主の姿が、そこにあった。

― 善光寺に参って来たの?、と問われ、

― いや、僕にはそういう信心もないし、本日は、こちら一択の長野行です。

……から始まって、

あとは、お決まりの取りとめもない話を、

こちらは、店内に積まれた本を見回しては引っ張り出しながら、やりとりする。

 

― 悪役ができる役者で、生きてるのは、石橋 蓮司、柄本 明くらいかな。蟹江 敬三は死んじゃったし。
生きていても、みんな年寄りになっちゃったね。

― 拠り所なくボーっとしているようで、巧い味わいの役者がいませんね。

……と悪役論に流れると、小沢 栄太郎とか佐分利 信に及んで、原田 芳雄にたどり着く。

― 彼、〈さすらい〉、小林 旭の持ち歌ね。
あれを、唄ってるんだけど、なんだか頑張り過ぎていて、ちょっとね。

あとは、だらだらと、ジェームス コバーンとか、ロバート デュパルとか……。

結局。

パブロ カザルスが、バッハの無伴奏チェロ組曲(6曲)を演っているCDと、

〈ポップス三人娘 ゴールデンアルバム〉の2枚を購入して、計1,000円也。

アルバム(LPレコード)のほうは、全12曲。

弘田 三枝子、千賀 かほる、ちあき なおみが4曲つづ歌っている。

これはもう、ジャケットの、ちあき なおみの良さに一目惚れして入手。

で、お店に再来する口実の意味を込めて、

望月 三起也の作品を注文しておく。

店主からは、半端で揃っていないから(オマケ)と、山上 たつひこの〈光る風(上)〉(ちくま文庫)をもらう。

帰途は、国道19号を。

もちろん、無伴奏チェロを大きい音量で聴きながら……。

☞ 若い読者諸氏には、さぞかしチンプンカンプンの名前ばかりで、まことに恐縮な記事でありましたが、

お詫びに、1曲あげておきます。

では。

我らが朝の,贅沢と至福と。

恵方、すなわち、縁起の良い方角に向かって、

太巻き寿司をほうばったならば、

福が訪れる、とか。

大阪あたりで、子どもの頃からならわしとしてずっとやっている御仁ならばともかく、

近年になって、それを信奉するようになったなどとは、

なんとまぁ、お手軽な、招福行動であることか。

そんなでもって、ハピネスが手に入る、と思っていること自体、

ハピネスの本質と、自己努力をナメた浅はかさであるから、

それを商売の手段にしようとする根性ともども、笑い飛ばしたくなる。

それよりかは。

せっかくこの地に生きるのだから、

朝。

午前7時前のわづか数分間の、

自然による、朝焼け三昧。

冠雪した北アルプス連峰を、燃えるように染め上げる〈モルゲンロット〉(朝のローズ色) を、

ポカンとして眺めているほうが、よっぽど心が救われ、清められる。

では。

【必見!!】見逃すな,この大盤振る舞ひ。

レアルスポーツ(石芝3丁目) で買い物をしてから、

木工団地の中を車を走らせ、

〈野溝木工1丁目〉の信号のある交差点まで来たら、そこを、

国道19号線方面へと左折する。

そうすると。

右手に、南信ヤクルトさんの本社(おそらく)ビルが見えてくるけれど、

今だと、その敷地内の、高さ20有余メートルはあろうかとも思われる、

大きなモミ?(自信なし)の樹に、それはそれは美しいイルミネーションが施されている。

満天の碧、という趣きで。

僕の診立てだと、

松本平にあって、規模(高さ)、光の緻密さ、上品さでトップクラスの作品に違いない。

よくわからん横文字が並んでいるせいもあって、大して興味も湧かないような松本城の〈厳冬の幻燈〉よりは、数段美しいと思う。

惜しむらくは、主要道路から奥まったロケーションのために、万人の眼には入りにくいことか。

僕が、通り過ぎながら楽しんだのは、一週間前の 24日夕方。

こんな贅沢で、気前の好いサーヴィスが、いまだ、続いていればいいんですがね。

では。

タランティーノで盛り上がる。

ことの発端は、

アベちゃん(仮称、職場の同僚)が、最近、

西洋美術館(上野の)で、モネ展を観た、というお話。

これが、マネ展だったら、きっと、僕も上京したことだろう。

額縁に入れて鑑賞される西洋絵画が、

リアルタイム(同時代的に)で、日本に紹介された始まりは、

印象派と呼ばれるパリ発のムーヴメントの頃だった、と思っている。

けれどその事情が、多くの才能を、乱暴に〈印象派〉でくくってしまった功罪は大きくて、

おかげで、

日本ではいまだに、マネもモネも、しまいには、ゴッホでさえも印象派と一緒くたに考えられているのでは?……

さて。

ところが、話が、なぜか途中から、

クエンティン タランティーノ監督『パルプフィクション』(米映画、1994年日本公開)に移っていって、

アベちゃんも僕も、この作品を、きわめて高く評価する姿勢で一致するとは。

トラボルタが、ボスの愛人(ユマ サーマン)につき合ってダンスを踊るシーンね、

あれのどこがいいのかわからん、凡庸な、という点でも話が嚙み合ってしまう。

むしろ。

ブルース ウイリスが、裏切ったギャングのボスに遭遇してしまう場面や、

殺害の前に、ギャング(サミュエル L ジャクスン)が聖書の一節を唱える場面、そのほうが観るに値する名シーンでしょう、とか。

アベちゃんによれば、

タランティーノ物では、『ワンス アポン ア イン ハリウッド』(2019年公開)も必見なんだそうで、(僕は観ていない)

― でも、あれは 6年も昔の作品です、と言うから、

― 君の人生からすれば、その3分の1に相当するから遠い過去かも知れんが、

その10倍も生きてきた僕からは、ごく最近の作だよ、としておいた。

ところで。

とある決まった部屋(密室的な舞台設定)の中、俳優がそこに出たり入ったり、

そして、ほとんど意味もないモノローグ(独白)に、意思疎通も欲せずに、解決も願わずに、えんえんと浸る。

こういった脚本の作り手であるタランティーノは、まさに、

アントン チェーホフ(1860~1904、ロシアの劇作家、小説家) の、

当世における、正統なる後継者、と考えていいのではあるまいか。

逆からみれば、そこにチェーホフの現代性が存する、と。

では。