勝ち切る技量 (勝利の方程式 ❷)

方程式その❶における、

各チームで明暗が分かれた、大きな要因は、

〈攻撃が活発な時間帯に、ゴールが獲れなかった〉こと、だと思う。

よく言う、詰めの甘さや、シュート精度の不足。

そこにはもちろん、相手ゴールキーパーらのファインセーヴもあるんだけれど、

3部リーグは、チームの総力の低さのゆえからか、

耐えきる力に乏しいゲームが多いので、獲れる時にゴールを獲らないと、その後、ゲームの中で、暗転を味わうこととなる。

☞ この点は、山雅ファン&サポーターであれば、骨の髄までご存知のはず。

では、我慢し続ければいいのか?

否。

それは、みづから攻撃性をシュリンクしてしまうこととなるから、

あくまで攻撃的姿勢を採りつつ、相手の出足や出鼻をいなす、挫くのが、ゲーム潮流を渡さないための方策に違いない。

僕は、これを〈巧さ〉と呼び、山雅が身にまとうべき特質のひつと、と主張してきた。

なぜか?

2024季。

山雅が先制に成功したゲームは、全部で、25こ。

0 – 0 のゲームはたったの 2つだったから、有得点ゲームの先制率は、69 %

7割方のゲームで先制してるのは素晴らしく、攻撃的な容貌が露わ。

ただ、注目すべきはそこではなく、

先制して、その後、ゲームがどう締まったのか?、だ。

……その内訳。

勝ち ☞ 14  (つまり、山雅の逆転勝ちは、昨季、2こ)

ドロー ☞ 7

負け ☞ 4 (逆転負け)

要は、先制したうち、そのまま勝ち切れたのは、56 % だった。

ワールドカップの予選リーグにおける先制勝利率が、おおよそ 60数パーセントらしい。
意図的なドローをもくろむケースの多いリーグでの数値なのを考えれば、

山雅の 56 % は、いかにも低調な数字だ。

数字上のお遊びと言われかねないが、ドロー7のうち、4ゲームで勝てれば、

勝利数は、計 18 となり、(先制勝利率 72 %)

これは、僕が求める、勝率 5割(19勝)に、ほぼほぼ匹敵する。

おそらく。

ピッチに配されるタレントの質と戦い方に、

昨年に対して、ドラスティックな変換を期待するのは見当違いのはずだから、

今は、チマチマと勝ちを積むための、

勝ち切る力、すなわち、〈巧く〉ゲームを握る流儀の進化を、ただ求める。

では。

なにかと明暗の濃い…… (勝利の方程式 ❶)

 

プレイヤーの退団(移籍)などで、昨季使っていたゲーフラ 4つのうち、3つを仕舞うこととなった。

新規に作ろうと思い、

すこし前に、生地(布)を用意してあったけれど、やっとその気になって、手をつけはじめている。

ただし。

リーグ開幕もしていないので、プレイヤーを描くのに、〈題材〉に乏しい……と、泣き言ばかり。

(註 ☞ 右の人差し指があかぎれしていて、キーがキチンと打てず、ミスタッチばかりで難儀。なので、この先を短くします)

さて。

4チームをのぞいたリーグ開幕戦を、適当に、ハイライト等でひろい観したところでは、

チーム、およびゲーム内容の出来について、対戦者の明暗が、クッキリと浮かんだ第1節。

これで、リーグの今後が決まるわけでもなかろう。

けれど、

これからやるに際し、警戒すべきチームとその方法論において参考にはなります。

期待できる、ゆえに厄介なチームは……

栃木C (vs 相模原)、群馬 (vs 琉球)、高知 (vs 栃木SC)、鳥取 (vs 沼津)、奈良 (vs 福島)、それに、宮崎 (vs 長野)。

とにかく、やることが意思統一されている点がめだつ(仕上がりは不明)。

ところが、このうち、勝利(という結果)にたどり着けたのが、

栃木C、たったひとつ、とは。

これも、また、サッカーの歯がゆさ、辛さでありまして、それは ❷で考察します。

対し。

沼津は、3 – 0 と良きスコアで勝利してますが、

その皮肉を、チキンとスカウティングするならば、山雅の勝機は増す、と思います。
(中山さんの仕込みの、その上を行くならば)

では。

なぜ,映画『Let It Be』(1970年公開)を評価しないのか?

その理由(わけ)を、ふたつ。

❶映画『A Hard Day’s Night』(1964年公開)は、
多忙な日々(Hard Days)を送るビートルズが、実録風に、彼ら自身を演じて魅せた、洒落たコメディだった。

当時の売れっ子アイドルがドタバタと画面を動き回る、とは言え、

白黒ということもあって、

『Saturday Night And Sunday Morning』(土曜の夜と日曜の朝、1960年英映画)に一脈通ずるような、シニカルな風刺が効いている良品。

僕の中では、これとの比較がどうしても頭をもたげる。

いくら、スタジオセッション(曲の作り込み)や、手短に演ってみせた公開演奏を描くにしてもですよ、

この後、名作アルバム『Abbey Road』(1969年秋発表)を創る力がある彼らなのだから、

見え透いたヤラセ、たわいもない会話やギャグ、そういったもので、音楽制作の仕事ぶりをうすめて見せるのは悪手だろう。

❷セッションに参加したビリー プレストン(1946~2006年) の、作品中における扱いが、あまりにも軽い。

ビリーのキーボード演奏の素晴らしさが、どれほど楽曲に寄与していることかは、一聴瞭然なのに、

映画を観るのは、ビートルズマニアだ、といった決めつけがあるから、こうなってしまうんだろうが、

なんとも敬意に欠ける、とはこのこと。

その腹いせにと、

ビリーの作った『You Are So Beautiful』(1974発表)を、ケニー ランキンがカヴァーでしているやつを聴いている。

では。

楽しみは増す……。

― モネ展は、あくまで、おまけだったんですよ。
ライブ(最近はコンサートをこう言うらしい) のついでの。

アベちゃんが、こういってエクスキューズするものだから、

― それにしたって、パウル クレーは観るべきだよ、と念押ししておく。

― クレーには、たとえば、モネなら水連、ファン ゴッホならひまわり(静物)、といったお決まりな作画上のテーマがない。

その都度、違った思想で描かれた、ひとつひとつの作品が、ただ在るだけ。

それが、素晴らしいのよ。ある意味、マネに近い。

ただし。

クレーは、描写の技量を拒絶する姿勢(=画法)によって、他の画家と決定的に違う。
おそらく、この点が、この画家の、独自な先駆性。

さて。

先日、K君からのショートメールが入って、

……パウルクレー展は、静岡市美術館で 6月7日(土)~8月3日(日)の日程で開催される由。この美術館は、JR静岡駅北口より徒歩3分だそうです。静岡には県立と市立の美術館があるようで二重行政の典型、と言われそうですね……。

市立美術館には、数年前、古代エジプト展を観るために訪れた。

葵タワーと呼ぶ 25階層ビルの、3階フロア―を占めていて、マチナカ美術館をめざしている感じ。

対し、県立のほうは、郊外の高台、県立大学キャンパス至近にあって、

広い敷地に、デンとした構え。

おすすめは、ロダン館と呼ばれる、アネックス(本館の後ろ)。

ここには、地獄の門(現物からの鋳造によるレプリカ=本物)など、ロダン作品を多く収蔵している。

地獄の門は、

日本では、上野の西洋美術館と、ここにしかない (世界では 7つが現存する)

12個までは複製させる、というから、松本市は購入を考えたらどうか?(真剣に)

そうだ、クレー展と一緒に、ロダンも観に回りましょうか、当日?

……と、K君には、メールを返しておいた。

では。

シンカとは,〈真価〉?

あれ、いつの間に、どこへしまったことやら……。

昨日までテーブルの上に、広報まつもとの 2月号が在ったはず。

……といっても、不熱心な僕であるから、探してまで読もうともしない。

でも、たしか、表紙の見出しは、町会のシンカだったような……。

シンカとは、きっと〈真価〉に違いないが、

思わせぶりに気を惹こうとしたのかな?

僕は、町会に入っていないから、月末になると、市の出先場所まで行って、広報を貰ってくるのだが、

この公報誌について感心していることのいちばんは、冊子が薄くなったこと。

ここに尽きる。

さらに、要望すると、

無理して毎月の巻頭特集を考えていることがミエミエであったり、
(つまり、あまり面白くもない企画と内容)

読み捨てられる紙面でもあるし、どうだろうか?、

もはや、月刊をやめて、バイマンスリー(2箇月に一度)の発刊にすべきだと思う。

広報まつもとは奇数月、年金は偶数月に受け取ろう、なんてコピーで。

それから。

町会(=隣組)の情報伝達回路を使って市の広報を流すシステム、

これも、そろそろ吟味されていい。

郵便局、ポスティング業者、または、下水道使用料の検診業務、それらの回路を試すべきですよ、今後は。

もっとも望ましいのは、

地方政府の窓口、主要な店舗、そこに置いておき、必要な者は、行って入手する方式。

情報はみづから動かないと取れない。

そんな決めにしないと、社会が回らなくなります、人的にも、経済的にも。

では。