いま,春が来て (2025.2.23沼津戦レビュウ❶)

ゲーム結果は、1 – 1 のドロー。

同じ引分けであっても、

先制してのドローと、同点に持ち込んでのドローとでは、

心象がけっこう違うから、それに左右されると、ゲームの評価をし損なうからご注意。

……総括すれば、

力量の違い(山雅の優位)はあるにせよ、それにあぐらもかかず、ボールを追いかけまわしての、

ほぼワンサイド。

沼津式サッカーを、ほぼ完璧に封じ込めた。

失点?

あれは、事故に等しいから、ゴールまで持っていった相手#20を褒めてオシマイ。

そこをどうこう言ったところで無意味、ってもんでして。

我らが開幕。

ということで気負っていたとも思えませんが、

村越のゴール後、ベンチメンバーも繰り出しての、ゴール裏でのセレブレーションは、チームの雰囲気の良さを感じさせて、グッド!!

村越、龍平といった、ホームグロウン世代が、ああいった落ち着きを魅せるプレイを続けると、

チーム全体の自信、自分自身への信頼、そんなものが自然と醸し出されてくる。

で、愛鷹からの帰途。

名残り雪の歌詞がなんとなく想い出され、

いま、春が来て、君は綺麗になった、のキレイの部分を、

〈賢く〉(カシコク)に置き換えて、我がチームに進呈すべきゲーム。

山雅よ、去年よりずっと、かしこく、なったね、と。

❶沼津が反則の多いサッカー(昨季は、リーグで7番目に多い)であることを前提に、

ファールに見舞われた時の痛がり方を〈統一〉することで、

沼津の速いボールの持ち出しと繋ぎを寸断し、時間の流れをこっちへ手繰り寄せる。

被ファールは、10数回あったので、6~7分に1度は、こっちのペースでゲームを止められたことになる。

同様に。

相手の裏抜け狙いには、最終ラインを制御してオフサイドを獲る。

❷先制ゴールに象徴されるように、

スローインひとつにも、隙のない(相手の虚を衝き)心配り。

かつ、コーナーキックごとに図っていた意思統一。
(ゴールにはならなかったが、3本は野々村の頭にヒットしていた)

もちろん、チームに、狡猾なサッカーを求める筆者のおもわくが、

多分にゲームに投影されてあるにせよ、です。

では。

これぞ,天の配剤 (沼津戦プレビュウ)

願わくば。

冠雪の富士を視界の隅に入れつつ、愛鷹に向かいたい。

(……のですが、チケットは用意するも、或る事情で、この記事を書いている時点で実現が不明。したがって、レビュウも、それにより観測地点が左右されることを、あらかじめお断り)

さて。

昨季のリーグ最終戦の相手と、今季の初戦で、再びまみえる、とは……。

もしも、サッカーに神があるならば、その采配に感謝しなければなりません。

なぜなら。

気分としては、山雅が、昨年積み上げたものの記憶から即スタートできるし、

❷ゲームそのものでは、あそこから、どのように脱却/進化しようとしているのか?を、観て取れるのかも知れないから。

あの時のゲーム、とにかく、前半は酷かった。

沼津に、長短のパスで巧くこっちの陣形を引き延ばされて、サイドからの侵入をゆるしまくった。

でも、後半に入ると、おもに中盤を締めることで劣勢を立て直し、主人公としてボールを握れるように修正できた。

アディショナルタイムの安永弾は、そうやって相手を押し込み続けたがゆえの快挙でした。

修正力をみせたのが、最大の収穫。

で、今節の見どころ。

ボールを主体的に動かせれば、勝機はかなりこっちのもの。
どんなボールを使うにせよ、思うようにボールを使えれば、あるいは、相手にボールを預けて、こっちの思惑どおりにボールを誘導できれば。(単なる保持のことでない)

沼津は、とにかくボールを持って、しかも、サイド中心に速く攻め込みたいチーム。

だから、そこを逆手に取るとしたら、ボールを持つリスク(相手の)を衝く、または、カウンター的にやって、局面を一気にひっくり返す、ってことか。

❷後ろを4枚にしようが、3枚にしようが、

ポイントはプレイヤー間の距離を間延びさせず(させられずに)、縦に、コンパクトな陣形を保つこと。
それでもって、全体で、相手を前線から押し込んでいく。

❸今季からレギュレーション変更があって、登録メンバーは、上限20名。
交代枠 5人はそのままなので、指揮官のカード選択力が、より問われることがひとつ。

ふたつめは、山雅でいうと、サンタナ、村松、渡邊あたりまでがベンチ入りできるかな? 楽しみは増す。

❹中山采配は、やはり、隠し立てもせずに果敢。
来季から前線のレギュラークラスが流出したものの、

スリートップに、ふたりの大卒を初戦から起用し、前節の鳥取戦では、それがハマった。

チーム全体が気分よくゲームに入るだろう。☜ そこも衝け。

着目すべきは、

一回目の、ゴールキーパーからのロングフィードがどこに入るかを観れば、狙いたいスペースがおおよそ判るので、そこを感じて、巧く対処することです。

では。

竹原ピストルとは,チャントである 『なごり雪』

 

森田 童子(1952~2018)と、鮫島 有美子(1952~ )は、

1950年代初頭生まれ世代の歌手の、双璧に違いない !! (もちろん、ただ僕の中で)。

その森田の、『たとえばぼくが死んだら』(1980年発表)を、

竹原 ピストルがカヴァーしているのを聴いて、えらく感心してしまった。

実直に、美しくのびやかに、情に流されず、かといって、情を棄てもせず、品の良い日本語で歌っている。

で、次に。

『なごり雪』(1974年発表、by かぐや姫)もカヴァーしているので、これも聴いてみて、いやぁ、大したものです。

歴代カヴァーのなかで、出色でしょうね。

そこには、あの名残り雪を歌う(姿勢)、ではなく、竹原自身の名残り雪が厳として在るからだ。

つまり、歌詞中の、

電車が行ってしまって、踵を返してホームから去る主人公の、

新たな出発が、深い決意で感ぜられる、そこが良い。

竹原 ピストルについては、近々にでも、また。

では。

過去から自由になるには (勝利の方程式 ❹おわり)

先日、職場で、ジャガー氏が、

― きのう、スカイパークに行ったら、山雅の大きい旗を振っていてね。

何本くらい?、と訊くと、

― 10本以上かな。旗ってさ、ああやって揃えて振らなきゃいけないの?

そこで、

ゲーム中、局面に合わせて統一して振ると、美しく、観戦熱を煽れることを説明した。

戦いには準備が必要。

で、ゴール裏のトレーニングがあっての臨戦には、おおいに頭が下がります。

こういう僕も、ユニフォーム新調を含め、装具的にはいろいろやっておりますが、

ここでは、むしろ、

捨て去ることの必要について、ひと言。

回帰を渇望するココロ、もういい加減にしたら?、の件。

おそらく、今季も、

我がチームの戦績、戦いぶりが、良く評価される際は

〈かつての山雅の再来〉といった論調が湧き、

悪しく言われる時は、昔はどうこう、と責められることは、予想される。

が。

❶かつて採用されたスタイルと戦法は、その時その環境下の最善、とみなされたものであって、それが、永遠に山雅の風貌である、とするのは、オカシイ。

結局のところ、そういった議論は、それによって、ある一定の躍進と成功をみた、という結果主義に過ぎない。

他方で。

それらの達成が、1年限りでトップリーグから2度も陥落した事実と、

フェアに天秤にかけて評価されたのを、僕はほとんど知らない。

❷走る、諦めない、という現象は、

その昔からだって、とりたてて特筆すべき、山雅に固有な心身の動きでもなく、

そう為し得なかったシーンは、かつて幾度も観てきたし、

現在のチームが、そこを減じているのか?、などは測定できまい。

要は。

過去への回帰論の根拠は、すべては戦績の出来不出来、これですね。

……勝ち負けという結果はまことに重大にして、チーム関係者の年俸、雇用までを左右するものではありますが、

勝敗によって、自分の中の〈山雅の価値〉が増減するならば〈♪ どんな時でも~〉と歌うのと、やはり矛盾する。

たとえば、富士山は、いつも同じようにそこに在って、

どう見映るかはまったく、見上げる人の心象にかかっている。

かつて山雅に在ったものが、今の山雅には無い、と数え上げているよりは、

今の山雅が身につけている(つけようとしている)良点を喜んでいるほうが、よっぽどマシ、と思う。

が、そうなるには、ここ10数年間ファン&サポーターをやってる層と、その記憶が消える時なのか?

まさか……。

では。

参戦リーグを〈金〉で買えるのか? (勝利の方程式 ❸)

クラブの有する資金、つまり、クラブ売上(=収益)でもって、

目標とするリーグ参入を果たせるのか?

その答え。

半分はイエス、残り半分は、ほとんど確約できない。

❶イエスのほう。

なぜなら、

クラブ資金を積み上げてあるラインにまで到達すれば、トップリーグで戦えるから。

その目安は、クラブ売上規模が、おおよそ40億円をクリア、と診る。

そのお金の有り無しが、トップリーグにとどまるための攻防線であって、

エスパルスは、一昨年にそこを確保し、一年ムダに2部で過ごしたものの、1部に復帰。

また、ゼルビアの場合は、2部にいた2023季に、既に34億円の売り上げを確保している。

両者とも順当な事例で、資金量をバックに、フィールドマネジメントもそれに見合う結果を出した(出している)、といえる。

Vファーレンは、予算をその規模にしないとトップ参戦がしんどい。

むしろ、トップリーグでは、売上が 30億円に達しない環境下、そこにとどまり続ける、湘南、福岡といったクラブの残留力や戦闘能力から、多くを学ぶべきかも知れない。

特に、我が山雅の場合だと。

そもそも彼らが、トップリーグに居ることが稀有なのだから、その秘訣を盗まない手はなかろう。

❷クラブ規模と参入リーグが合致しないほう。

上に指摘した資金量を下回ってくると、まったく相関性がないとは言えないけれど、どのリーグで闘うのかに、確固とした基準は見当たらないし、

逆にいうと、かなり多くの要素の、それも偶然の(必然性がない)組み合わせの結果とみるべき。

人間の思考(理性)には、これをやればこういう結果となる、といった原因結果の必然的な連鎖を求める習性が染みついているから、

こう言うと抵抗があろうが、やはり、事実だと、僕は思う。(かなり哲学的な表現で、恐縮です)

だから。

2部、3部リーグでは、

宿命論的なゲーム観を持たないほうが、ゲームを診る眼がよほど曇らない。

山雅については、

このリーグを見回す限り、現状、資金的にはもっとも潤沢なクラブに違いない。

が、そこと戦績の連動性を求め過ぎてはいけない。

僕は、トップチーム人件費(現下、過去最高時のほぼ半減)は、これからでき得るかぎり増大をめざすべき、と主張する。

参戦するリーグに関係なく、他の、より資金の乏しいチームのやりくりの上手さに関係なく、です。

コストパフォーマンスとかの名目で、これを変に削減するほうに向かえば、

それこそ、その発想は、安い時給で人を酷使しておきながら、人手不足を嘆く、無能な経営者と変わりない。

考えてもみなさい。

地元民さえ音を上げるような長い極寒と、それほど住みやすくもない地方の街に住んでもらうのですよ。

ファン&サポーターばかりが熱くても、それを誇るのはプレイヤーであって、

決して、我々ファン&サポーター自身ではありません。

では。