『完敗』の見本,愛のうどん (鳥取戦レビュウ❶)

3 – 4 の敗戦。

それでも昨日、(個人的に)いくつか救いもありまして……。

天候とゲームの寒さで固まった身体が、どうしても僕に〈うどん〉を要求していたから、

アルウィンの帰途、お店で野菜うどんを購って帰宅すると、

たっぷりの煮込みうどんと、いろは(鬼無里)の野菜おやきがテーブルに用意されてるとは!

家人の深い洞察力と、伴侶への愛。

さらには、モモ氏(会社同僚)が、奥様と(北ゴール裏で)観戦してくださるとは……。

さて、ゲームのほうは。

唯一の救いが、得失点差で、▲1 を計上しただけ。

スコアだけみて、ひとはこれを〈撃ち合い〉のゲームだったか?、と思うでしょうが、

いやいや、実は、これが、山雅の完敗ゲーム。

失点には、それぞれその前段にミスが潜むとは言え、それはお互いさま、

狙い通りの得点は

山雅が、(せいぜい)ひとつ、鳥取のほうは 3つ。

となれば、正直なところ、 1 – 3 の完敗。

プレビュウで指摘したとおり、

ペナルティエリアにボールを持ち込んだら、自在かつ俊敏にプレイヤーとボールが動いて相手を翻弄するガイナーレの十八番が 3度は、発動した。

シュート 7本(公式)で、4得点なら、十二分でありましょうし。

その攻撃を捕まえ切れなかったことを、守備が〈崩壊した〉とするのは見当違いであって、

もともとが守備の体をなしていなかった、と診ますけどね。

最後は、センターバックふたり(最後は3バック)で守ってよ、という発想がダメ。

中盤のところでスカスカになって、歯止めが効かず、ボールを簡単にペナルティエリアまで持ち込まれる。

速いガイナーレの側からは、山雅のプレイヤーは何人いたって、ただ棒立ちのように見えたのではないか。

ただし。

この期に及んでそこをどうこうしろとは、あまり思わなくて、

こうなれば、失点以上にこっちが得点する、という姿勢を貫くべきでしょう。

とにかく、これからあの守備に手をいれるのは至難です。

ですから。

少なくとも 4点獲れなかった攻撃の貧困、これを重要視すべき、今は。

事故みたいな得点に頼る、

誰も触れないままにクロスが相手ゴール前を通過していく、こういうことをなんとかしろよ、と思います。

……となると、

昨日の南ゴール裏のBOOには、おおいに正当性を認めますが、

しかし。

それが、ゲーム内容の乏しさへのものなのかが、果たして、チームに正確に伝わっているのか?

単に負けたことへの不満と見なされたとしたら、かなり辛い。

では。

ダマすのは,相手だけ (鳥取戦プレビュウ❷)

間違っても、3 – 4 – 2 – 1 でゲームに入ることはないだろうし、

菊井 悠介を欠くのであれば、4 – 4 – 2 が濃厚。

とは思うけれど、

だからこそ、あえて、4 – 3 – 3 は、いかがでしょう?

超攻撃的に……、

前線から、連動的に追いかけまわす勤勉。

飛び道具(フリーキック、ロングスロウ)の充実。

最初から、飛ばせるところまで飛ばす覚悟。(タレントの出し入れのこと)

攻撃と守備を天秤にかけるような錯覚はせず、ひたすら守功一体的に。

……そんな願いを、上図のメンツに込めてます。
(ただし、交代できる枚数は限られてはいますが)

味方もドキッ、あれっ?、となるようなオシャレなことは要りません。

意表をついてだますのは、相手だけでよろしい。

サイドへボールを持っていくのは、サイド奥を深く獲りたいのは、

結局のことろ。

相手の守備を引っ張り出し、押し下げておいて、

中央、ゴールマウスの幅内でボールを撃ちたい、ただそれだけのこと。

マトモに、ゴール正面からシュートを打つ回数、それを増やしましょう。

ペナルティキックだって、正面から蹴られる最たるチャンスなわけですから。

では。

敏捷な攻撃は,要注意 (鳥取戦プレビュウ)

前回、アウェイでの対戦は、4 – 0 で制した。

セットプレイとカウンター気味な攻撃は武器になる、くらいの認識をするとして、

けれど、もう、あの勝利は忘れるのが良い。

数箇月が経てば、鳥取さんは確実に、そのサッカーを深めているはずだから。

 

攻撃面 ☞ ガイナーレは、ボールポゼッションを高めて相手ゴールに迫るサッカー。

となれば、持たせておいてどこかで奪う、といったやり方に自然に落ち着くのが良く、そういった割り切りがほしい。

新たな攻撃策は不要、やってきたことの精度アップ、それに集中。

必然、こっちのファールは多くなるでしょう。

が、自陣深い位置でつまらんファールを犯してフリーキックを与えるな。

攻める面のタイトルは、〈賢く狩れ〉

守備面 ☞  ボールを保持されてズルズルと後退する、ってのがいちばんいけない。

守備に繰り出す者(受け渡し)と、獲りどころをハッキリさせることです。

ふたつめ。

鳥取は、ペナルティエリアまでボールを持ち込むと、細かく速いパスワークによって相手守備網に穴を開けようとする。

この局面になっても、翻弄されずに、

波状的に寄せて来る2人目、3人目の侵入者をフリーにさせない、これでしょね。

また。

とにかく蹴り出せ、といった中途半端なクリアは、ご法度。

ゴール前の密集奥から、鋭いミドルを見舞われますよ。

守る面のタイトルは、〈その次を予測せよ〉

とにかく。

攻守ともに、単調で、一本調子な時間の過ごし方、これがいちばんいけません。

こっちが意図的に時間を使うことで、ゲームを有利に揺さぶりましょうよ。

なんたって、ホームですから。

では。

『And So It Goes』……。

ビリー ジョエルが、1990年に発表した曲。

(ラストネームからいまさら気づいたが、ビリーはユダヤ人なんだ)

冒頭の歌詞、

In every heart there is a room……は、なかなか巧い。

初めから、聴く者をグッと引き込むね。

歌のタイトルだから、単語を大文字でつなげる。

けれど、and so it goes とはもともと、

人生とはそんなもの、そうやって時は過ぎる、といった感じの、定型的な表現に違いなかろう。

歌詞はラブソング風ではあるけれど、素朴かつ荘重な雰囲気があるよなぁ、と思って調べたら、

スコットランド民謡(古歌)の『Barbara Allen』に触発されてこの曲をつくったらしい。

……冷たくした恋人が亡くなって、それを悲嘆し後を追ったバーバラ アレン。ふたりは隣同士で埋葬されて、そこからは薔薇といばらが絡み合って生い茂った……、そんな歌詞。

どおりで、クラシカルにカヴァーされているわけだわ。

では。

本質はそこなのか?

火曜日にソネさんに会ったら、彼が、

― 霜田さん、複数得点、無失点のどちらを獲るか、などと言い出したようですが、僕は、3バックにして、サイドバックをもっと上げ下げすることで、5バックで守るのがいい、と思います。
現状、常田と野々村によるパスワークを衝かれていて、そこからチャンスを与えることが目につく。ふたりのやりとりではどうも……。

たしかに。

こっちがハラハラの気分で観ていることもあってか、

センターバック間、あるいはそこから両サイドバックへのボール転送には、もっと気を効かせてたら?、と思ったりする。

ボール出しが定型的過ぎるし、そのタイミングと位置でもらっても、

サイドバックは体勢の作り方などから、ずいぶんと窮屈になって、前を向けないのでは?、のシーンが目に付く。

これ、サイドバックの技量にも関係するはずなんだが、特に、山本 龍平の場合、前へとボールを運べていない。

僕は、もっとボランチが降りていって、センターバックと絡み、そこでリズムやポジションを変えながら、前へボールを動かすしかない、と思っていて、

ゲームでもそういう動きをしているから、そこをもっと工夫、徹底すれば?、という希望かな。

ただし。

ここ3ゲーム、1 – 1 のドローゲームが続くから、そういう発想になるのは自然としても、

本当のところは、守備と攻撃に起動スイッチを入れられる存在、

つまり、菊井 悠介の不在が、大きいと診ます。

逆な言い方をすれば、直近2試合、負けていないのはまだマシ。

昨季の、菊井不在のラスト4ゲームを想い起すと、そこの戦績は、△●△● でした。

つまり、最終盤の星取りこぼし(4ゲームで勝ち点2)によって、9位まで沈んだ。

この事態が、すこし早めに起こった、とみるべきではないか?

もちろん、チームだって、菊井の穴をどう埋めるか腐心してやっていることだろうから、それを見守り支援するしかないけれど、

もともと、2 – 0、2 – 1 をめざすサッカーなんだから、いまさら〈舵切り〉はおかしい。

ま。

僕は、メディアがなにかの修正を言わせようとしていることに対する、

特定のプレイヤー不在に言及したくない霜田氏の、

リップサービスぐらいにしか考えませんけどね。

では。