クラシコ違い……。

今日、会社で、クレ君(バルサファン)と会ったら、

彼は、壮絶な撃ち合いだった、と言うし、

僕のほうは、複数得点ならず、と語るから、

これは、どうもおかしい?、と思っていると、

なあ~んだ。

クレ君は、リーガエスパニョーラ(スペイン1部) の、2024/25季 第35節

エル クラシコ、つまり、バルセロナFC vs レアルマドリードのことを話していて、

0 – 2 とされたバルセロナが、4点獲ってゲームをひっくり返し、

その後、1点かえされたものの、ホームで勝利した、という。

計7回、ゴールネットが揺れるのを魅せられて、

しかも、我がチームが勝者、とくれば、

サッカーのファン&サポーターの、それはそれは、極上の時間に違いない。

対し。

歴史も因縁も、その苛烈さにおいては、おおよそその足もとにも及ばない

こっちのクラシコ(僕自身は、いまだ恥ずかしさがあってこの言葉は発したことがないが)は、

1 – 0 の、 どっちに転んでもおかしくないゲームだった。

いずれが圧倒した、とはとても評せないけれど、

リジットな陣形の中、個の技量を、より多く表現できた山雅のほうが、いくぶんかシュアで、かつ、巧いゲームをした、と思う。

給水とか、レフェリーへの訴求とか、浮足立つことなく冷静だった。

ここらは、高橋 祥平の、影のリーダーシップに負うことろが大きい、と診る。

両者のやってるサッカーを、乱暴に対比するならば、

自分の陣形を、ある意味、自分で破壊してでも、その中盤で攻撃スイッチを起動させると、

サイド、あるいは中央から多彩に、ペナルティエリアへとボールを持ち込みたい長野のサッカーは〈かなり攻撃的〉と言える。

他方、山雅のほうは。

(特に縦方向にコンパクトな)リジットな陣形を保ち、相手から奪うなり、パスで交わすなりして、ボールを、相手ペナルティエリアまで持ち込みたいサッカー。

だから、初手の手がかりは、山雅のやり方のほうが、より得やすい

パルセイロの方法だと、

中盤で、上手く相手の〈網〉をすり抜けられれば、ビッグチャンスになるが、

もしも、前進の最中でボールを失うと、(攻撃態勢を採るために) 互いのプレイヤーの距離が不均等になっているので、

反転した相手に、一気に自ゴールへとボールを運ばれてしまう。

開始 5分の、浅川 隼人による先制点(=決勝点)は、それが如実に露呈した。

稲福が、相手ボールを奪ってから、安永、本間を経由して、3手目が浅川のシュートだった。

その間、長野ディフェンダーは、まったくこっちのプレイヤーに対応できない。

ま、山雅としては、個々人の持ち味と、求められた仕事をきっちり果たせた、素晴らしいゴール。

……ということにしておいて、

今夜。

僕は、エルクラシコの、そして、クレ君は、天皇杯県予選の決勝の、

それぞれがハイライトを観よう、と約したのです。

では。

長野戦プレビュウに代えての,胸算用。

このところ、庭では。

これが芽吹いた、あれが咲いた、と事欠かない。

一昨日は、アゲハ蝶が、葉山椒の樹のまわりを盛んに飛ぶ。

花にら、あやめ(5/4)、そして、鈴蘭、などなど。

植物を、カタカナ表記にする作法の、そのいわれも知らないが、

いまや、店頭には、外国語名の草花ばかりが並んでいて、

渡来の品種で、日本の庭がこうも埋め尽くされるのが、果たしていいのか?

そんな疑問の僕なんであるが、

古来から在ると思っている草花にしたって、

大昔に異国から持ち込まれているわけだから、長い目でみれば、どうでも良いことかも知れない。

……さて。

延期になったホーム開幕戦(第4節)については、

明日(5/11)の結果を踏まえてプレビュウすることになるだろうか?

どっちに転んだとしても、あまり意欲が湧かない(だろう)。

ひょっとしたら、書かないかも知れない。

長野パルセイロのサッカーに、ほとんど興味が湧かないのもあるけれど、

山雅界隈で、プライド、意地といった言葉が持ち出されると、

なおさら醒めている自分が居て、これは僕の傾向性=資質のゆえだから、もうどうしようもない。

フツーに、自分流で勝利をめざせば、それで良し。

できれば日程を、11日と振り替えできればグッドだったが、

水曜日のナイトゲームになったので、

僕の予想だと、7,000人前後が基底で、

そこに、EPSONさんのご厚意で、1,000人が乗っかるから、8,000人かな。

これは、土日開催とほぼ同レヴェルの入場数であって、

クラブが気張っている10,000人には、あと2,000人……。

努力が報われて、たとえ、10,000人を確保できたとしても、

当初からの、予想される集客減の約 4,000人分は、残りのホームゲーム14で埋めるしかない。

ゲームあたりで、300人の挽回。

その際、ファン&サポーターのほうが、

〈チームの戦績が芳しければアルウィンに足を向ける〉と、条件を口にするのだけは、無しね。

では。

ひとは可能なことのみを妄想する (天皇杯県予選ファイナル)

妄想、と言おうか、

ウオッチャーとしての単なる希望です。

リーグ戦からのほとんどフルなターンオーヴァー

それと、交代要員 7名を前提にすると、

下図のとおり。

このゲーム、脳震盪対応の交代ルールが適用になれば、

さらに、山本 龍平と村松 厳のふたりを、控えとして追加するのですが。

ここで、ひとつ思い切って。

4 – 4 – 2でもいいか?、とも 思います。

その時は、バルガスと滝のツートップにして、佐相を右アウトサイドハーフに回し、

本間ジャスティンを、右サイドバックに転用する。

左は。

樋口をアウトサイドハーフへ上げて、杉田 隼をサイドバックとする布陣へ。

これなんか、めちゃくちゃ攻撃的で、ワクワクしません?

さて。

この決勝戦、一体、どちらのホームゲーム扱いなんだろう?、といまさら

訊きもできずにいるんですが、

両者が、ホーム用ユニフォームでピッチに登場すること、は想像に難くないんですけれど、

僕なんか、昨年の優勝チームに敬意を表する意味で、

山雅は、あえてアウェイユニフォームを身にまとったら?、と真剣に思いますね。

そうすれば。

普段、なかなかアウェイの地に赴けないファン&サポーターにとっては、目の保養、新鮮な印象になるではありませんか!!

……かようにして、平均年齢で、23前後のチームが勝利をめざしてファイトする。

なんとも勝手な、物語です。

では、アルウィンで。

平然、粛々と帰還せよ (2025.5.7 FC大阪戦レビュウ)

0 – 1 の敗戦。

相手がグラウンダーのパスを通してきたのは、ペナルティエリア内でのごちゃごちゃシーンの他には、

中央を割られた失点時ぐらいのもので、

あとは、FC大阪、ロングボール蹴り出しサッカーに徹底して特化。

終始上空を向いて、それにつきあわされるのは、けっこう大変だったと思います。

サッカーは、どんな手段を駆使してでも、相手のゴールマウスにボールを入れればいいので、それも立派な戦法ですから、とやかく言うことでもない。

失点時のセンターバックの対応は、ルヴァン杯新潟戦のデジャヴであって、

相手を捕捉できずに走り抜けるような、軽い守備はいただけませんが、

二ノ宮らは、そういう未熟を承知の上で使われているのですから、

ここで払った授業料は、どこかで取り戻してもらいましょう。

4 – 4 – 2 にしてみたり、サイドに大きく展開するなど、だんだんと対するサッカーに順応すると、チャンスも創れていた。

ただ、最後の仕上げが、あと一歩だった。

相手がどう出て来ようとも、自分流でゴールまで到達する、

それには、まだ不足する部分が在る、そういうことでしょう。

複数得点しないとなかなか勝利に手が届かない、その現実を、しっかり見つめながら。

敗戦する度に、

まるで、プレイヤーの意思を忖度するような、

勝手な因果(関係)のストーリイをつくって批評してしまう議論が起こりますが、

僕からしたら、

相手ゴールキーパーの冴えもあって、たまたまゴールを獲れなかった、

それくらいのこととしか思えない、今回の負けは。

いまやっているサッカーを貶めたりする必要はまったくなく、

このサッカーの中で、もっと上手く、巧くなる、それしかありますまい。

せいぜいが、

時間の経過につれて、攻めに焦りが生じてしまうのかどうか?、

むしろ醒めて力みを消してもらいたいと感じますが、それだって、観る側の感情移入に過ぎないかも、です。

負けて褒められはしないけれど、

幸いにして、重い怪我もなかった(ようだ)し、平然と帰還すればいいのです、チームは。

登録メンツとピッチ投入の面々からは、

長野との2連戦へのプレイヤー投入の準備は、おおよそ了解できましたし、

とにかく、5月を、山雅の5月にするチャンスは、まだまだ残っているのですから。

では。

(おそらくは) 10年に一度の悲報。

ゆかりを感ずる人々の訃報を別にすれば、

かなり気が滅入る今日、なんであります。

清水港の、河岸の市にあった定食屋さん〈魚河岸 どんぶり君〉が閉店した、との報せ。

お店の入っていた建物を、界隈のリニューアルにともなって駐車場にするので解体するため、と。

ご亭主亡き後、女将さんと、ふたりのご婦人で切り盛りしていたが、

ご自身のお齢も考えあわせた末の、店じまいであったのか。

あぁ。

これで。

エスパルスと対戦する機会がふたたび巡ってきても、

もはや、〈三色丼〉をいただくことも叶わない……。

 

動画は、特段の他意もなくご紹介。

こういう作品が創られるようになると、

2時間もつきあわされる映画などは要らなくなるし、

もっと、内面と向き合う時間を持てるようになる、ってのは思い過ごしか?

では。