勝利の方程式 その序章❶

― この頃、ブログにサッカーの記事あげてませんね。

と、ジョー氏に指摘されてしまった。

いやなに、リーグの開幕直前に、

〈勝利の方程式〉を、数回連続でやって沼津戦に突入、のつもりでいたのです。

〈順位予想〉といいながら、

なんだよ、贔屓のチームがしゃあしゃあと優勝(準優勝)にいるような、そんな厚顔なマネはしたくないし、
(そういうのは、順位切望、とでも名乗るべき)

参戦する他チームの戦力俯瞰、

といったところで、我がチームほどに、ロクに知らないし、関心もないのだから、

要は、移籍してきた新戦力を上っ面に紹介する程度のことで、

リーグが始まって、数(2~7)ゲームも消化してご覧なさい。

見えてくる自他ともの現実の前には、

所詮、ひまつぶしの与太話に過ぎない。

なので、今は、無理して話題をつくる必要もなく、

クラブが発信してくれるSNS上のチームの顔を、すなおにフォローしていれば、よろしい。

……ところが。

この前、職場のクレ君が、

― アーセナルが、やりましたね、マンチェスターシティをボコボコに!!

と呼び止めてくれたので、

どれどれと、3分間のゲームハイライトだけのチラ見なんですが、

これが、我が山雅にとっては、示唆に満ち満ちていて、観入ってしまった。

その理由は、明日の、序章❷で。

では。

閑散,のしあわせ。

一昨日、アベちゃん(仮名、職場の同僚)が来て、

― ロートレック展、行ってきましたよ。

ほほぉ、それで、どうだった?

彼、スマフォの画面を取り出して、

特別気に入った素描を何点か、見せてくれる。(この展覧会は、写真撮影が許可されている)

― これはね、このマントのボリューム感、そこがいいです。

ふむふむ。
画用紙への素描と、石板への描線はまったく別で、後者は、一本で決める、というテクニックだもんね……などなど。

― でも、いちばんよかったのは、場内に人が少なかったこと!!
これが、東京だと、幾重にも観覧者の列ができて、自由に動けませんから。

― まったく、そうだよなぁ。
観客よりも、展示を監視している係員(なぜか女性) の数が多い.、とかだよね。

とにかくも、人混み皆無の、自由気ままな回遊

これが、ご当地開催の、いちばんの旨味なのだから、

松本市民には、どうか、ロートレックに熱くなることもなく、ソッとしておいてもらいたい、と願うばかり。

では。

カフェは,必要だった、

先日ご紹介した、職場でご一緒している彼氏にとっては、切実に。

最近の、非番の日における行動の一端を話してくれて、

……材木屋さんの不要物置き場の中から、

欄間などを見つけたので、貰い受けると、

それを、なじみのカフェ(どうやら、オーナーが、大工仕事との兼業らしい)に持ち込んだ。

欄間は、さらに彫りと表面磨きを施す必要があるらしいのだが、

1,500円也、で買い取ってもらえた。

そのお金を握りしめると、

次に、これまたなじみの寿司屋に出向き、(おそらくランチタイム)

それを代金にして、から揚げをこさえてもらう。(その店のから揚げは絶品!!)

贅沢な食事の後は、某公園へと足が向く。

そこで、いつの間にやら寝入ってしまい、寒さで目が醒めた……。

― お金を倹約して、かつ、美味しいものを食するには、それなりの努力が必要なのよ、と彼。

こういった話は、妙に筋の通った説得力があって、

僕は、感心しきりであります。

では。

やはり,カヴァー曲『青春の影』(1974年)

僕にとって、チューリップのこの曲は、

やっぱり、そして、どこまでも、カヴァー曲なんだろう、と思う。

『The Long and Winding Road』(by The Beatles  1970年発表) の。

原曲のリリースから 4年後……の。

ジョー氏が、会話の中、青春の影に言い及んだのだったが、

氏には、チューリップのベスト盤(CD)をいただいた恩義があるものの、

この考えは、変わらない。

ここ30年で、なぜにチューリップが僕の中で退色したかと言うと、

強引に結論づければ、

柳ジョージが、ラブソングも歌ったのに対し、

チューリップは、ラブソングしか歌わなかった、その事に在る。

これが、キャンディーズならば、恋の歌だけでいいんだけれど。

で。

ジョー氏へのお詫びにと、原曲のピアノカヴァーを。

では。

 

プロテストソングそのもの『Blackbird』(1968年)

この曲は、ビートルズのアルバム『The Beatles』(168年発表)に収められた、

2分あまりの小曲。

実は。

この曲が、リトルロックハイスクール事件(1957年) と呼ばれる、

米国の高校における、人種差別と隔離策に触発されて、ポール マッカートニーが創った、という裏話をつい最近になって知った次第。

学校から排除されたアフリカンアメリカンの女性を擁護し、その解放を願う、

純然たる、人種的な差別を問うたメッセージソングなのだ。

けっして激烈ではなく、美しく穏やかな旋律と曲調が、

かえって、事の重要さをこころに届ける、そんな趣き。

ゆえに、美なるメロディを楽しむのはかまわないとしても、

漠然とした〈援歌〉とみなしてはいけない。

これは、同じ作者による『Let It Be』(1970年)が、

亡き母への追想と思慕を綴ったものであって、

宗教心や人々の苦悩への共感を、漠然と歌うものではないと同じ……。

では。