雷鳥は 狡猾に飛べ (新潟戦プレビュウ)

〈フツーにやって大量得点/失点の気風 アルビレックス〉
前節、新潟はホームで、金沢と対戦。
開始4分で先制したものの、その後せわしないサッカーをやって、3 – 5 で敗戦した。

さぞやアクシデンタルな内容だったか?と思い、前半40ごろまで観返したが、そうでもない。
要は、互いに攻撃的にやってやらせて築いた失点の山、という感じ。

前半35分までに計6点は、山雅の周辺では皆無ではなくも、あまり経験しないスコア。

ツエ―ゲンが新潟をカモにしているのは、GK白井をはじめ守備陣が身体のはりかたで、新潟よりも格段に切迫しているから。
―これは次節へのヒント。

J2暮らしも3年目の新潟ではあるが、J1チームにありがちな、互いに相手に自由にやらせる、そんな体質がいまだ残っているようだ。
くわえてスペイン人監督とあれば、もっぱら攻撃にフォーカスするんかね。


〈巧妙に、胸をあわせろ〉

前節、4バックの甲府に対し、3 – 4 – 2 – 1の布陣を採用したところに、布サッカーの一端をみた。
その後のシステム変更と、交代枠5人の使い切り。
どうも新監督は、持てるカードを極力使う思想主のようだ。

先の見えない渋滞にハマったら、たとえ距離は伸びても回り道を試行錯誤するドライバーみたいに。

サイドをえぐって中へ速いクロスを入れてくる、または、中央に入れれば収めてくれる信念で早めにペナルティエリアへ抛り込んでくる、といったのが新潟スタイル。
―ここらに、新潟がJ1で培った育ちの良さと、実直さが在る。

プレイヤーの質では、双方はほぼ同格か、当方がわづかに優る。

となれば、底上げした個の技量と攻守の連携をベースに、実直に、剛毅と狡知とを加えて立ち向かうべし。

ポジション毎のミッションに大きな変化はないが、特に、新潟2列目アウトサイドハーフを自由にさせないこと。
それには、ボランチの位置取り、素早い寄せとチェック、これに注目です。

さらに登録メンバーに、次節水戸戦の起用法をうかがう愉しみも。

では。

 

 

10年を浪費するであろう民。

前を走る車の後部に、〈Baby in Car〉のマグネット。

よく見かけるやつね。

それを言いたければ、〈Baby On Board〉でないと、ネイティブスピーカーが読むと、頭の中が〈!?〉になる。

〈in〉だと、グローブボックスや、ドアトリムのポケットの中にベイビーが入ってます、という語感なのだ。

でも、読ませたい相手は皆日本人だし、かつ、英語で格好良くやりたいし、となれば、これで押し通してしまえ、で良い。

ところで、かつて、僕たちが最低6年(中高)もの時間を投じて習った英語。

ブロークンであっても英語で会話をやりきってしまえる者は、そうそうは見当たらない。

まさか、マグネットや看板を読むための努力だったとは。

しかも、本年度からはそこへ4年(小学校3年~)が加算される!

日本人は、よっぽど外国語学習得力に劣った頭脳の持ち主なのか?

否。

その理由は、110年前すでに、夏目 漱石が解き明かしている。

漱石によれば……、
自分たちの学生時代は、教壇に立っていたのは外国人教授ばかり。
したがって、全ての学科で英語を使って授業をおこなっていた。
しかし、今日(明治43年時点)では、日本人の教授が日本語で教えるから、学生の英語力が落ちるのは当たり前であるし、それが国家の近代化の道としてマットウなこと。
ナショナリズムを、たかが英語の知識と引き換えにしてはならない……。

ゆえに、これから幼児に英語を習得してもらいたいのであれば、答えは明々白。

すべての授業を英語でやってくれる学校に入れるか、あるいは、家庭における会話の一切を英語でやれば、オーライだ。

ただし、その場合、日本人固有の素養と民族意識が身に就くのかは、保証の限りではありません。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより  (7/9 16:05)
今だに鎖国を続ける男。
思うに、日本人に生まれたから、日本語が話せるわけではない。日本語のある環境の中で育つから、自然と日本語を覚えるのだろう。
流暢に英語を使えるようになるには、やはり幼い頃から英語のある環境に居なくては無理なのだろう。
恥ずかしながら、英語が得意だと思っていた中学、高校時代の自分、後年ハワイに行った時、連れの背中にへばりついていた始末。
勿論、学校の授業で英語を習得した人も沢山いるだろうが、そうなるには、結局個人の能力と志しの問題だろう。
一方、日本人だから流暢に日本語が使えるのか、日本の本当の良さを知っているのか怪しいものだ。
コロナ期は抜きにして、これだけ外人観光客が来る時代、日本人より本当の日本の良さを知り、日本語を丁寧に使いこなす外人さんも結構居るに違いない。
では、また。

☞萬年より  (7/9/17:24)
単に日本に生まれただけでは、〈日本人〉ではない。
ただし単一民族の国家に限りなく近いので、日本人に成りやすい環境。
米国の場合これが困難なので、国旗や国歌、ゴッドブレスアメリカを頻繁に引っ張り出す。今は、鎖国と孤立に向かっているようにみえます。孤立する自信があるんでしょうか。

他人の進路は 勝手に占う。

―大然、戻ってきますかねぇ?
―そうねぇ、J1のチームから誘われなければね……。

前田 大然のCSマリティモ(ポルトガル1部)退団が決定的、と現地メディアが伝えたのが、先月25日。

2019/20シーズンここまで、24ゲームに出場して、4得点。
その前田をゲーム登録から外すとは、ただ事でない。
怪我や体調不良の情報はなし、さては契約更新(7/1~の)について前田がどうも渋っているようだとなって、退団のニュースが流れたらしい。

もしも、マリティモとのレンタル移籍契約が満了になれば、保有権を持つ山雅へ、いったんは帰属する手続き。

で、その先、他の欧州チームから声がかかるか、Jトップリーグのチームが誘うのか、あるいは山雅に戻って共にJ1を目指すのか?

その決め手は、前田の個人的目標が、日本代表(五輪世代)入りであること。

これを射程に入れるには、さて、どこでプレイするのが有利か?、これだろう。

COVID-19による経営困難の中、Jのチームがどんだけ移籍金を投ずることができるのか、山雅として違約金(=移籍金)をどれくらいに設定するのか、といった切実な話はさておき、見逃せないトピック。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (7/8 6:37)
朝と夜の間は妄想の時間。
地震の揺れで目が覚めた。大粒の雨が屋根を叩いている。
今私達は、自然の猛威とウィルスの脅威に晒されている。これまで築いてきた災害に対する、ウィルスに対する対策が何と浅薄なものか痛感させられる。
数ヶ月前の穏やかな日々が一気に崩れ去った様な気さえする。
こんな時代、文化、芸術、スポーツから遠退いて生きるのは、仕方のないことだろう。
ましてや、被災者にとってはそんなもの、何の役にもたたないと言うのが正直なところだろう。
涼風吹く真っ青な空の下、数万の観客が寄り集い開かれるオリンピックの開会式、数日間、私達はそのスポーツの祭典に酔いしれる。そんな日が来る事を切に願うが今や風前の灯か。
今、緊急放送で明科の方は避難するよう呼び掛けている。
さて、そろそろ目を覚まして現実と向き合いますか。
では、また。

オールスター映画へ挽歌を。


居間を通り抜ける際、TV画面をみたら、映画をやっている。

あれぇ、『オリエント急行殺人事件』(1974年 英米) ではありませんか。

一等寝台車の乗客を集めて、ポアロ(アルバート フィニー)が、殺人の解き明かしを披露するシーンらしい。
監督ルメットお得意の〈法廷モノ〉なのだ。

このポアロ、好感を持たれない人柄が強調されて、日本語の吹き替えもそれを狙ってくどい。

萬年、これをいつどこかで観たか、詳細は忘れた。
以前に原作(1934年 アガサ クリスティ)を読んでいたから、真相究明の手際に興味もいかず、あまり感心しなかった。

十指にあまる豪華スターが競演、というのが作品の売りだったんだろうが、役者のほとんどは、かつて一時代は築いたけれど、公開(=出演)当時は、脇役にまわってナンボの存在だった。

萬年式には、トウ(薹)が立った往年のスターを集めた凡作。

色褪せた星たちを遠く遠くに懐かしむ、それもまた良し。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (7/7 16:25)
黨がたってもまだまだです。
「オリエント急行殺人事件」見た記憶はあるが、私にとっては退屈な映画でした。
アガサクリスティの小説に親しみ、往年の名スターに憧れる欧米人にとっては、たまらない作品なのだろうけれど。
私は閉ざされた空間の中での犯人探しと言った映画が苦手でして、多分私自身、大勢の中での人間関係が面倒なのと、子供の頃観た「36人の乗客」と言う密室白黒映画の暗い印象がどうも苦手にさせているようです。
ところで、調べたら「蕗の薹」の「とう」なのですね。「黨がたつ」とは、食べ頃を過ぎる事だとか。
言葉と言うか文字と言うか、面白いものですね。
では、また。

☞萬年より  (7/7  17:28)
法廷弁論、みたいなゲームを描きたかったんでしょうね、監督起用からすると。
アガサクリスティは、そこそこフェアな作風かな、と思います。
読者との智恵比べ、といったところで、作者がキチンと事前に材料を提供してはじめて成立する競争ですから。書かれていなくては推理しようもない。
次回は、はじまから犯人がわかっているような探偵モノを語りましょうか?

☞つーさんより (7/7 18:50)
犯人捜しより、動機探しが面白い。
是非、語って下さい。よろしくお願いします。
☞萬年より  (7/7 20:02)
動機探し、それと、巧く仕掛けたと思ったアリバイとプライド崩し、ですね。

 

公私混同の体質。

若ければ、一年に一度の逢瀬(七夕)とは絶望以外のナニモノでもないだろうが、そんな繰り返しこそ長続きの秘訣、などと思ってしまう昨今。

物事はその一面では測れない。

例えば、〈公私混同〉がそれ。

このコトバ、公的(組織)のものを、私的に流用することを責めて言う場合が圧倒的に多い。
会社のボールペンを家に持ち帰る、といったかわいいものから、数億円単位で会社の金を使い込むなんて大罪に。

でも、考えてみよう。
私的(プライベート)な時間を、会社が当てにしている、つまり公的に使わざるを得なくしたり、その成果を甘受してノウノウとしていることのほうが、ズッと多いのだ。

あらかじめ8時間以上の拘束が必至の業務分担/シフトが当たり前であれば、働く側も、それなりに体力と時間配分をせざるを得なくなって生産性を落とす。
すると、ますます残業の沼から抜け出せない。
残業代がないと生活が成立しない世界にハマる。

COVID-19の騒ぎでわかったことは、今の経済が、いかにゼニを多く使わせる思想で成り立っているか、ということ。

日本人すべてがお金を使いたくてウズウズしているとも思えないが、倹約できて良かった、なんて言葉は、一向に聞こえては来ない。

こじんまりでも内容は濃く、閑散は当たり前。

やがて来る社会が急に来ちゃった、と考えるべきなのに。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (7/6 6:45)
時は金なり。
鏡に写る時計を見て「あれ、何時?」と、一瞬間が空く自分の理解能力の無さを嘆くような今朝のブログでした。

飲食店がもしも、お客の数を制限しても、あるいは時短営業をしても商売が成り立てば。
もしも、リモート授業だけで、充分な学力を養えたら。
もしも、自宅でのテレワークだけで仕事がこなせたら。
今まで無駄な時間、無駄な出費が如何に多かったことか。
結果、自分の時間、家族との時間も多く取れ、このコロナ禍、あながち悪い事ばかりでは無いことに気付かされる。
そんな理解で良いのでしょうか?
では、また。
☞萬年 より  (7/6 16:04)
(経済)成長とか、豊かなこと、などは、とっくに国家/社会的に再定義すべきなのに先延ばしにして、やっていないな、という感じですかね。
そのため、未知の将来に備えなく突入してしまうんじゃあないか。
先が短い僕らはともかく、春秋に富む世代は大変だなぁ、と勝手に思っています。彼らにとって、大きなお世話であれば良いのですが……。