ルノワール氏の謎 『負けないで』(1993年)

10月には松本マラソンが予定されている。

オリンピックの成り行き次第で実施が決まるだろうと、エントリーのタイミングを見計らっているルノワール氏。

その彼が先日、
― なんてったって、5月27日でしょう!、と謎をかけてきた。

思案した挙句、きっと、坂井 泉水の命日のことを言いたいんだろうなぁ、と思っている。

長距離ランナーにとっては、さぞや馴染み深いんだろうが、萬年ほとんど識らない御方であった。

お名前の字面から、センスイって、どこぞの家元?、くらいに長いこと思っていた。

生きて来た中、真正面から出逢う機会がなかった人のひとりだ。

負けないで……、か。

勝つ、というよりも、せいぜい負けないように必死に耐えている、ってのが、自分にとっての毎日なのかも、と考えさせられる。

5/27の謎解き。
もちろん、これが、ルノワール氏が望む正解かは、わかりませんがね。

では。

【コメント】
☞ルノワール氏より (5/27 15:56)
14年前の今日
ZARD坂井泉水さんが、天国に旅立ました
負けないで♪
揺れる想い♪
数々の素晴らしい楽曲を残して旅立ました。
負けないで♪は私達マラソンランナーをはじめ
すべての人々への応援ソングとして28年後の今も愛されています
2000年シドニー五輪ではマラソンの高橋尚子選手が金メダルを獲得
シドニー五輪の応援ソング
ユアードリーム
も泉水さんの楽曲です
2004年のアテネ五輪では
野口みづき選手が金メダルを獲得しました。
メダル効果がありZARDの楽曲はマラソン応援ソングと認識する人も多いですね
シドニー五輪のユアードリームを発表時
ZARD坂井泉水さんのコメントが
敗者&勝者、声援を送るすべての人に応援の気持ちを込めて
~坂井泉水~
でした
20年が過ぎ
東京2020大会が近づきましたが、今はコロナ感染症の真っ只中です
負けないで♪の楽曲を
東京2020に当てはまるなら

世界中のathleteために
五輪を開催したいって気持ちに
負けないで、
中止か延期を選択して欲しいと思っています
人々の命は、人々の健康は
一時のスポーツの祭典より重いはず

聡明であれ (村山擁護論)

― 京子さんからのメール、どういうことかしら?

― きっと、昨晩遅くアップされた、山雅公式上の文言に関してだろうね。

栃木戦の記事(5/24 20:00付)でもすこし触れたので書く。

栃木SCから、…あのね、けっこうヒドイ苦情がクラブなどに入っているんだけれどもさあ、松本さんにしたって荒いプレイはあったことだし……、という訴えがあって、両者が協議。

双方で、ある程度示し合わせておいてから、同期して公式に発表した、そんな流れだろうな、と思っている。

文面による、公式的な落としどころは、だいたいがこんなものだ。

もともと謝罪文とは、謝罪して決着、というアリバイつくりの意味合いが深い。

根掘り葉掘りと言葉を重ねたところで、それがまた次なるお怒りを導いてしまうことも多いから、通り一辺倒な内容にすることで傷口を拡げないのが通例さ。

…… ということで、村山の最初の発信(@インスタグラム) を読んでみた。

文章全体を虚心に読み下せば、そこには出来事の報告と感想が正直に綴られているだけで、誰かを標的にするような他意やこじつけなど、微塵も感じられない。

発言している村山は、きわめて実直な人格だ。

で、この騒動の本質を、ハッキリ言う。

❶キャッチングに行った村山の頭部を、突進した栃木#17が 蹴り上げてしまった直後。
そのフォワードプレイヤーが、(おそらくとっさに)逃げを打つため、不誠実な言い訳に走ったことが、そもそもの発端。

(こういうケースでは)足を振り切れ、と言われている、という弁明は、責任を他に転嫁しようとする心情からであって、怖くなって事故現場から逃げ出す心理と同じ。これを、卑怯という。

接触を避けられなかった注意力と技量の無さを認め、ただただ、自らの非を謝ればよかった。

#17の彼と、それから、栃木SCのキャプテンは。

❷そういう拙劣で思慮にかけた言い訳は、若年者ならば余計あり得るだろうなぁ、と一呼吸おいた、聡明な読み取りをするべき。

断じて好感は持てないけれど、そういう弱さがむき出しになることだってあるだろうさ。
なんでも人の所為にする弱いこころよ。……と寂しく見つめるべきだ。

(村山の受傷が大事に至った、との報告がない限りにおいて)

それが、振り切れと言ったからには、イコール、蹴り上げは監督の指示、となってしまった。

この監督が相手Gkの頭部をキックしてでもシュートを狙え、というはずもない。

こうなると、クラブ栃木を責める側も、幼い言い訳を吐いた若者と五十歩百歩の度量となってしまわないか?

しかも、山雅の謝罪のやり方が真っ当でない、とまでなると、???、と思う。

以上、この件はこれで、終わり。

では。

麦秋の決意、背番号3と。

日に日に、麦秋が近づいている。

聖書が言う、〈畑は、早白くして〉という情景に、スティング(1951年~) の『Fields of Gold』(1993年発表) なんかを思い出す。

麦畑の上を風が渡っていくと 僕らは想い出すだろう
太陽の下 輝いてうねる麦の海で
愛を語ったことを

あの夏の日から 幾年も過ぎて
子どもたちが 日暮れの麦畑を 駆けていく……

すると、心はすぐに、『Heart of Gold』に移っていく。

ニール ヤング(1945~)が、1972年に発表したアルバム『Harvest』の中に収められた。

僕からすると、バックアップコーラスに、リンダ ロンシュタットとジェイムズ テイラーが参加してる、ってだけで聴く価値がある。

僕は生きたい
僕は捧げたい
気高い心 ってやつを求めて

ハリウッドやレッドウッドにも行った
海を渡ってでも  求め続けてきた

まだそこにはたどり着けないけれど
高貴な心を 探し続けよう

そうやって 僕は齢を重ねていくんだ……

サッカーの高みを求め、長くやって来た、 田中 隼磨。
手術に踏み切った右膝ばかりではなく、満身創痍のことだろう。
でも再び、背番号3が、アルウィンに戻ってくることを願う。

その日、僕らは、Field of Gold で、Heart of Gold に出逢う。

きっと。

では。

まぶしい空 潮風と赤いキャンディ。

― 神は、人のおこないを、その動機によってお測りになる。

ふと、そんな言葉がこころに浮かぶ。

動機によって、としてもらえまいか?、というのは虫のいいお願いなんだろう、きっと。

それはともかく、やはり、1970年代を味わいながら暮らしているのだ。

これ、梅雨の合間にのぞく陽射しに持って来いの曲、だと思うんですが、いかが?

では。

Hold On ! YMG (栃木戦レビュウ 各論)

3連敗のあと3連勝で、10勝到達とは、御嶽海ナイス!、と喜んでいた今朝、京子さんのメールが入る。

―  田坂さんにしっかり対策されなーんも出来なかった
いいようにボール持たされ自陣でのパス回し
攻撃に行けない
村井チェアマン山雅のゴール裏に来たんだね
村さん 大野さんのシーンどう感じたんだろう?
どちらもレッドカードで一発退場っす!!
朝から毒吐き ―

【人にやさしくない理由】
真剣にお怒りのファン&サポーターは、まことにありがたい存在、いろんな意見があってこその山雅だ。

2019シーズンのデータですが、山雅の新規観戦者の割合は、1.9 % 。

要は、アルウインの観衆中、ご新規さんは、100人のうちせいぜい2人。

根強いリピーターのファン&サポーターが圧倒的となれば、その眼が肥えているのは当たり前。
かつ、高年齢な方々は、山雅がビッグチームになるのを、この先30、40年などと悠長に待てないのだから、当然、意見や批判も厳しくなろう。

【ボール保持60%は、もともとわかっていた】
ただ、萬年が甘く見積もって失敗したのは、こうまで鮮やかに栃木が過去に先祖返りできる、とは想定しなかったことだった。
直近のゲームを観ても、〈かつて見た栃木〉へと、ここまで蘇生するとは!

これを山雅対策、とするのは、チト自分らの実力を買い被りし過ぎなような気がしますね。
たとえ相手がどこだろうと、今節はトンネルをひとつ出る覚悟の栃木だったんですよ。

ガツン、と向かってくる栃木と読んだからこその阪野先発だったわけであって、ボールを持たされた、というのは、ボールを持って相手をはがす技量の無さを素直に認めない言い方で、すがすがしさに欠けます。

喰いつかせてその裏を獲るには、自陣へ誘うことだって敢行すべきなので、どこでパスを回しているかというよりも、テクニック不足、連携(意思統一)の希薄、これを曝してこその反省でありましょう。

栃木の戦術がどうのこうのではなく、それを上回って振り切ってしまう実力が山雅には無いだけ。

【ファール裁定についての私見】
重症者が出なくて幸いだった、のがいちばん。
クレームに関しては、何をいまさら、という感あり。

ファールによってゲームが中断した際、主審に詰め寄る迫力は、犯した側の栃木のほうに執着心を感じたのをどう考えるか。

もしも、ゲームを当方に有利にコントロールしたければ、異議申し立てでかえって当方にカードがでないような方法、例えば、キャプテンを通すなどして喰い下がってみるような努力があったのか?、なかったのか?

こういう部分に気魄を込めずして、相手のスタイルをいろいろ言ったところで生産的ではありません。

ひたすら自分の不足にフォーカスして、持ち堪えましょうよ、山雅。

では。