ヴァンラーレに訊いてみる? (金沢戦プレビュウ)

先週。

ツエ―ゲン金沢は、アウェイで、八戸と第1節を戦った。(山雅と同じに)

結果は、0 – 2 の敗戦。

スタッツを診る限り、どうも、完敗に近い内容だった感じ。

(山雅も、先季は、八戸には リーグ2連敗を喫していて)

よく鍛えられた感ありありの、休まず手を緩めずに、機敏なサッカーをするから、どうも、そこらへんに手こずったんではないか。

さりとて。

八戸さんに、勝った秘訣を訊くこともできず、

DAZNの見逃し配信でそのゲームをおさらいする気にもなれない怠惰な僕だから、細かな分析は、我が山雅スタッフに任せるとして、

金沢とやるに際しては……、

❶攻撃において、ハッキリした強みを持つタレント(パトリックとか)を擁するから、逆に、それを阻止する手段(守りの)は選びやすい。

❷相手陣内でボールを握り、ペナルティエリア内までそれを運んでシュートを試みる。
つまり、そこまで持ってきてからの、シュートが多い。
それが、クロスによってであろうと、ドリブルであろうと。
こっちのディフェンスラインを形成するヒントです。

苦戦した相手の特長は、〈前後に機敏〉ということ。
ここらは、山雅と同じ弱点かも知れないけれど、
ならば、こっちが一気に突貫することも、戦法のひとつにしていいかも。
要は、ツエ―ゲンを疲れさせよ。

❹サッカーの技量的には、ほぼ同格と診る。
お得意のセットプレイなどを交えて、適時ゲームを止めて、狡猾にやろう。

なぜ、ホーム3連敗はマヅイのか?

山雅がホーム勝利すると、巴屋さんの割引があって、それをアテにしている僕としては。

お気に入りの冬のカーディガンを、いつクリーニングに出せるのか?、とヤキモキしているからなんです。

では、アルウィンで。

5月1日のルーティン。

『The First Of May』(1969年発表 by ビージーズ)を、

今日、引っ張り出してくるのを、

僕が、このブログを書いている限りは、もう、ならわしにしてしまおう。

……幼い頃の想い出は、小さくなって遠ざかり、

時は、いつか、僕らを通り過ぎていって、

僕らは、互いに離れてしまったけれど、

あの日、君の頬にくちづけた、あの恋はホンモノだったんだ……

子ども時代に見た、あの深く大きな川。

それが、いま訪れてみると、ホンの小川に過ぎない。

そんな、経験は、ないだろうか。

時間の経過と、自分の成長にともなって、いつしか消え去った昔。

けれど、あの幼い恋心は、いまだって私のこころに息づく……そんな歌詞。

たまたま、今日。

数箇月の入院生活のままに、

友人のひとりが帰らぬ途を行ってしまったことを知ったので、

時と人の過ぎ去るのを、いつもよりも深く感じている。

では。

ずいぶんと先頭に立つ山雅。

転がる石には苔むさず。

もともとは、

転々とばかりしていたら(責任から逃げ続けると)、成功は得られない、をいう諺。

だが、我が国のプロサッカーチームは、まるで、ローリングストーンのよう。
(諸外国も、事情は同じなのかな?)

経営マネジメントの一貫性という局面は別として

フィールドマネジメントにあっては、

おおかたのチームが、毎年、 3分の1以上の顔ぶれを差し替え、

指導者は短命で、4年以上その職にあるのが、レアなケース。

で、上手くいかないと、年度途中の交代などはザラ。

人的資源を使いまわしながら、まるで、その年限りの決算と精算の繰り返し。

変わらないのは、取り巻くファン&サポーターばかり……なり。

……これが常態とは言え、こんなんでいいのかい?、とはしばしば思う。

さて、この前。

今季山雅のホームグロウン選手は 8名、と書いたんですが、実は、僕の勘定間違いで、ホントは、9名。(まことに失礼しました)

この数字を、リーグ全体の中においても (4/22 Jリーグ発表の数字による) ……

15人 ☞ FC東京
13人 ☞ 鹿島、広島
12人 ☞ 柏
11人 ☞ 大宮
9人  ☞  東京V、横浜FM、松本
8人  ☞  湘南、京都、G大阪、沼津  ……と堂々の数字なんです。(沼津も)

(☞ ホームグロウンとは、ユース年代に3年以上、または、高卒入団後 3年以上、そのチームに登録されること、をいう)

つまり、今の山雅の所帯は。

チームの 3分の1が、ティーンエイジャーから帰属した〈生え抜き〉と、高卒入団して3年経過、それに、育成型レンタル移籍加入の若手らが占めていて、

その上に、25歳前後の団塊が、チームの主体を成しつつ、

そこに、30前後のヴェテランと呼ばれるタレントをちりばめる。

事実、ゲームにはこのところ、ホームグロウン 6人が登録される傾向。

その限りでは、まことに有望な未来だろう。

この際、

転がる石は 滅びない、と読み替えてしまえ。

しかし。

この編成の根底には、

トップチーム人件費の圧縮による、売上に見合った経費コントロールといった、まことにシビアな経営マネジメントの要求も存するはず。

(育成型レンタルでは、レンタル元クラブに、出場機会を与えることを要件に給料負担を求められるだろうし)

かように、

みずから大きな変化へと舵を切ったマネジメント(経営と現場の)。

さて、それと共闘し支援すべきな、

取り巻きのファン&サポーターの理解度はいかがであろう?

ところで。

本日限りで、活動停止が解ける神田 渉馬よ、愚行など誰にでもあるさ、

前を向いてやり直せ、期待してるよ。

では。

4バックを諦めない (北Q戦レビュウ❸おしまい)

未練、といったら未練か……。

山雅は現在、

ゲーム中に、4バックへと変更したりするので、なにを今更、とおっしゃるかも知れませんが、

ギラヴァンツ戦の、(浅川を投入してからの)終盤数分間は、

4 – 4 – 2 が、実に巧く機能していたと思います。

僕の診立てでは、下図のような配置だった。

つまり。

前線は、浅川と想来の ツートップとして、

アウトサイドハーフには、左 菊井、右 村越。

ツーボランチは、石山と安永。

サイドバックは、樋口を右に回して、松村を外に出す格好で左に配した。

基底のセンターバックは、二ノ宮と野々村。

特に。

好条件として、ギラヴァンツの守備陣が、かなり疲弊していたことにも助けられて、

ツートップがふたりのセンターバックを、深くまで追いまわしたのが効いた。

村越のゴールにしても、

想来に詰められたセンターバックが、それを嫌って、後方のキーパーにパスしたことがキッカケになっているから、

記録に残らない田中のアシストとも言えて、

前記事で、守功に広く駆けずり回った田中を高く評価したのをわかっていただけるでしょう。

では、なぜに、4バックか、といえば……、

❶相手が、4バックを採るチームだと、ふたりのセンターバックに対し、同数のフォワードで対峙できること。(相手に数的優位を与えない)

❷今後、ツーセンターバックが(組み合わせはどうあろうと)、ボール扱いや守備全般で練達度を増せば、
サイドバックのひとりが落ちて来ると、実質3バックが形成できて、ツートップの相手に対応できること。(相手フォワードに数的優位となる)

❸3バックとは、つまりは 5バックであるから、サイドバックに、守備ラインの一員であることを強要するために、その上下動の負担が大きい。

対し。
4バックの場合は、左右サイドバックが、互いに上下動のバランスを取ることを要するにせよ、
中盤のひとりとして攻撃に打って出られるから、攻撃の人数に迫力が増す。

……、ともちろんメリット面に目を向けてはいますけれど、

現有のメンツには、(おそらくそれを目論んでいるんでしょうが)、複数ポジションをこなせるタレントが多いから、

ゲーム毎の戦略を立案する中で、対戦相手によっては、

4バックから入る、といったチャレンジが有ってもよい、と思うんです。

あくまで、もっと多く、人数をかけた攻撃をするために

では。

それぞれの強みと他者理解と (北Q戦レビュウ❷)

対ギラヴァンツ戦における特筆事項は、

プレイにおいて、選手間における〈齟齬〉があまりみられなかったこと

僕らは観ているばかりの立場。

なので、たとえば。

あるパスが供給された時、それが、だあれもいないスペースに転々とすると、蹴ったほうのトンチンカンさを、パスミス(過失)として責めたくなるが、

いや、待て、実際は。

あらかじめの決め事で、そこに誰か(=受け手となるべき者)が走り込むはずが、それを逸してしまったのかも知れない。

また、たとえ戦術で決められようとも、一瞬の判断によるプレイが、個々の創造力(それが否定されていないことを願うが)を加味した格好で繰り出されるとすれば、

有機的に攻守が組み立っていくための、決定的な要素は、事前準備の有無にかかわらず、

ピッチに立つ者同士の、他者理解に違いない。

こう考えると、ギラヴァンツ戦の、ギクシャクしたプレイの少なさは、

ここ数試合で固まってきた、先発(と途中投入)メンツに、意思疎通が強固になりつつある、と思いたいところ。

もちろん、誰が投入されようと、同じ理解度で闘える、との願望を込めて。

その、いくつかを挙げると……

❶攻撃の基底部のタクトを振るのは、山本 康裕である!!
あのゲームの、山雅が攻撃に入るシーン。

つまり、山本が、ピッチの中央で受けて、適宜ボールを左右にさばくのを観て

ハッと感じた。

まぁ、今頃になって、しみじみ思う僕が迂闊なんだけれど、

攻撃の重低音は、彼が担っている。

高知戦だったか、チノ氏が、

山本がピッチから消えると、攻撃がバラバラになった、とはこのこと。

特に、右サイドバックの小川へのボール供給は、絶妙のタイミングを狙っていて、ここらは、ジュビロで深めた互いの理解が、モノを言う。

そして。

菊井は、最後の仕上げのひとつ手前の、スイッチを入れるミッションを担っていて、このゲーム、先制点のアシストはやってのけたが、

それ以外の本来の仕事の出来は、守備面では大きかったが、攻めるためのボール運びでは精彩を欠いた。

相手も、菊井がキーマンであるとわかっていて、ひたすら菊井を止めに来るから致し方ないこともあるけれど、

彼を自由にさせるため、誰かが、その前でなにかひと手間入れる必要があろう、特に、左サイドを侵入する際は。

❷二ノ宮 慈洋と、松村 厳のセンターバック起用には、メドがたった。
このゲームにおける、沈着でスピーディなボール扱いは、急速な成長と、ゲーム慣れを感じさせる。

といっても、いまだ発展途上と考えれば、よりシュアなプレイが習慣化するようにと願うが、ふたりの特性からは、これから、

〈攻める守備〉を身につけられれば、グッド。

そこには、みずからの攻撃参加も、もちろんあるが、

相手フォワードを、こっちに有利に誘導して、その動きを無力化するような守り。

田中パウロにやられた、あの失点シーン。

あの時、二ノ宮の右手には、栃木フォワードらが2名走り込んでいたから、二ノ宮は、田中がそちらへパスを出すことも想定していたはず。

それがあって、無闇には田中にチャージできなかっただろう。

だが。

田中の意地(特質)やお膳立てされた舞台からすると、

パウロはかならず自分自身でニアに撃つ、と決めつけ、

ファー側のシュートコースを切ることもできたのではないだろうか?

大内がボール運びを視認するためにも。

それ、後付けの理屈だろう、といえばそれまでかも知れませんが、

対峙する攻撃手の心理を読んで、その意図をつぶす、そんな果敢さを、二ノ宮や松村は持っていると思いますね、そのプレイをみるにつけ。

あとは、田中 想来の、広いスペースを守功に走り回れる有能、も挙げておきます。

では。