天邪鬼は こう思ふ。

― あなたは、いっつも!、あたしの意見を否定するところから入るわね。

と、手厳しく言われ続けている。

僕としたら、

それって、アタリマエのようでも、ちょっと吟味してみないか?、の心算で立ち止まっているのだが、

相手がハローと言ったら、グッドバイ。グッドバイで、こっちは、ハロー。

☞ よって、アマノジャク、という烙印。

……さて。

伊豆半島の東海岸に住む方々は、よほど清廉潔白な人生を歩んできたためであろうか、

清廉潔白を、他の人にも求めて果てしない。

多くの者に、

咄嗟のウソや、誤判断にしがみついたあげく、窮地に立つか、

はたまた、生涯そのことを想いだしては、苦い思いの経験があるのでは?、

と、そんなことのきわめて多い僕は、決めつけている。

小学校の 4、5年のこと。

教室に落ちていた鉛筆を、自分のモノと名乗り出る者がなかったばかりに、

担任がクラスひとりひとりの筆箱を調べ、トコトン犯人捜しをしたことがある。

……結果、僕がその当人ということで、ずいぶん叱責を受けたのだが、

子供ごころに、変につまらんことに執着する奴だ、と教師を哀れに思った。

昔から、教師を敬わないために、彼等から敵視されることが多かったのは、

僕の弱点(例外的な教師もいる)。

本塁突入の決意をした者に対し、ホームベースの一角を開けられないような人格は、指導者になっちゃあいけません。(萬年語録より)

学歴を詐称することは、よろしくないこととは思うが、しかしそれを、

ああだこうだ言うのは、学歴を、よほど偏重する者だろうし、

僕なんか、大学なんか出ていなくたって、首長になれるというのは、

誇るべき希望のひとつではないか、と思っている。

こういうのはですね、誰かが、本人を舞台の袖にでも呼んで、

つい、口から出てしまったのだろうがさぁ……適当な詫びでも入れとけよ、

と諭して、事態を、周辺の皆で、ウヤムヤにしてしまって(収拾)、

早く、次に進んだらどうだろう?、時間と経済と労力のために。

世の中、もっと大切なことが、いたるところでウヤムヤにされてますぜ。

……以上、マジメな向きからは、決して是認されぬこと請け合い……ね。

では。

こんな曲を想い出した。

ローストポークの下準備をしている家人に頼まれて、

庭から、

タイムとローズマリイを、それぞれ 4、5本づつ手折って持って来る。

ひょっとしたら、次の世でも、こんなことをしているような感が、急に胸に来た、

陽光の、秋。

折角だから、それらのハーブを読み込んである曲を。

映画では、UCLA(カルフォルニア大ロサンジェルス校)のキャンパスの設定だと思ったが、記憶が、定かではありません。

では。

僕らは 誰なのか?

昔、中学生の頃、

(当時、セザンヌとゴーギャンがもっとも好きな作家だった)

ゴーギャンの画のひとつ(1898年頃の完成)に、

〈我々はどこから来たのか  我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉

とタイトルがあるのを知った。

横長の画面の中央には、半裸の女性が立つ姿が描かれ、

その両手を頭上に伸ばして樹から果実をもぎろうとしている。

……さて。

バイブル(旧約聖書)の記述には、

人間(の始祖)が、神と共に、エデンの園に住めなくなったのは、

善悪を知る木の実(食するのを神が禁じてあった)を、食べたことで、

智恵を獲たため、とある。

この箇所だけでも、聖書はたいそう洞察力に富むが、

これがまこと、とすれば、

全人類は、せいぜい小学校に入るころを境に、

神と一緒に暮らす特権を失う。

この年齢あたりから、

悪いこと、良いことの判断を身につけて生きるからだ。

動物以上、けれど、神(絶対的な全能者)未満(になれない)の、人間には、

けれど、智恵、すなわち、考える力(悟性とも判断力とも) が与えられていて、

この能力を、武器として、意識的に最大限使うしかないべぇ、と作りあげてきたのが、

ここ数世紀の西欧の学問と文明であって、

日本も、江戸時代を終わりにして150年このかた、この潮流に乗っかっている。

夏目 漱石は、どこかで、

西洋が100年かかってやってきたことを、明治は 40年で繰り返している、と書いた。

漱石の感想(の中身)を、それからの100年の中で、

日本人は、トコトン吟味してこなかった、というのが、僕の感想……。

では。

ツエ―ゲン金沢 運営ご担当 様 (中止戦レビュウ)

ひと言、申し上げます。

昨夜の雷天と強雨(その後の) であれば、ゲーム開催中止は至当であった、と存じます。

前列の観客をコンコースへ誘導、告知された19:00 の、その 5分前の〈中止〉のアナウンス、

これら、混乱もなく、適切な対応でありました。

貴公式サイトでは、雷雨の影響により中止、とあり、

また、山雅公式サイトでは、少々踏み込んで、

お客様や試合運営関係者の移動及び試合観戦時の安全確保が困難なため。

要は。

スタジアムにおけるゲーム当事者と観客の人身の安全を守る、が中止の理由。

であるならば、ひとつの疑義がありまして、それは、

無料シャトルバスの、待機列の件。

金沢駅行きの場合、1時間強にわたり、(人は変われど)利用者は、あのいなづまと豪雨の中、やってくるバスを待って、屋根なしの駐車場で立ちんぼをしていた。

私の場合は、

スタジアムの1階で時間をつぶし、行列が途切れた次のバス到着を待って、乗車場所まで、ダッシュ。(同じような方はけっこういました)

観客の安全確保を第一義と考えるならば、あそこは、

たとえば。

雨などをしのげるスタジアム建屋横あたりに待機列を作り、1台ごとの人数に区切っておいて、

バス到着のたびに、ひとつのグループを、百メートル向こうの乗車場所まで誘導する、でよかったのではないか。

ただし、雷の多い、北越の錦地においては、

あれくらいの雷雨は、それほど騒ぐことでないならわしと生活動作であるならば、

当方は、郷に入っては郷に従うべき、かも知れませんね。

いづれにしても、代替ゲームは、おそらくは、10月の中旬あたりの平日ナイトゲームかと。

できれば、ふたたび参上したく存じますが、

その夜には、天候などの災いが無き事を祈っております。  草々。