コロンボを真似て。

『刑事コロンボ』の第2作、〈死者の身代金〉(1971年) の、毎度お決まり土壇場の、対決シーン。

身代金誘拐に見せかけて夫を殺害した女性弁護士 (リー グラント) を落とす場所は、エアポートのラウンジ。

自分はシェリーを注文した犯人に薦められてコロンボ (ピーター フォーク) が選んだのが、ルートビアだった。

ルートビア(root beer)は、米国発のノンアルコール炭酸飲料で、その名のとおり、樹木の根や皮を主原料に作られる。
ハーブやいろいろな植物の香りもブレンドしてあるらしい。

グラスに注ぐと、泡が生まれ、まるで黒ビールのような趣きだから、酒の酩酊とはまったく縁がない下戸の僕でも、それなりの雰囲気を味わえるので好物にしている。

僕の知る限り、松本では輸入食品を扱うお店ふたつぐらいでしか手に入らない、そもそも日本人には馴染みの薄い飲み物。

なんで、先ほどのコロンボの日本語吹き替えでは、ルートビアでは通じないと考えた翻訳者が、なんとかジュース、としてあった。

さてと、A&W社のルートビアをチビチビ飲んで、せいぜいコロンボにあやかっては、ラスト6戦を前に、山雅勝利の方程式を解くことにいたしましょうかねぇ。

では。

口からでるもの。

新約聖書には、こうある。

― 口に入るのものは人を汚さず、されど口より出づるものは、これ人を汚すなり。(マタイ伝 15:11)

口から摂った食物は、やがて排泄されてしまっておわり。

けれど、心に在る思いは言葉になって口から表れ、それがやがて、殺人、淫行、盗み、嘘、誹謗となって人を汚す。

たしかに、そうだ。

何を、どうやって食するか?、ってことに囚われずに生きていきたい、と思う。

……、と格好をつけているんだが、

たかが小松の牛乳パンを食べるのに、今や、いちいち予約しなきゃあならないのかよ、と毒づきつつ車を運転していたら、目の前を、そのお店の看板をつけたバンが横切って行った。

きっと、昨日、
― お前、口から出るその誹謗中傷に注意しなさい、と神様が教えてくれたんだろう。

では。

旗は収めない (藤枝戦レビュウ その❷)

映画『新幹線大爆破』(1975年 東映)の中で。

仲間を失った時に、高倉 健が、山本 圭に(電話で)、
― ここが旗の収めどころかな、と語る場面がある。(セリフは不正確)

主犯格が、弱音を吐くわけです。

が、これに対し、左翼活動家くずれの山本は、
―簡単に旗を収めるものか!! (計画はかならず実行する)、と喰い下がる。

あと6ゲーム残ってるのだから、簡単に旗を収めてもいられまい、という現在、傑作映画のそんなワンシーンを想い出しております。
(今年の3月に山本 圭が亡くなり、この作品の主要登場人物は、おおかた鬼籍に入ってしまいました)

いわきFC(首位)が抜きん出た、とはいえ、ここで、2位から6位までが混沌として、詰まった勝ち点差となった。
気がつけば、富山が山雅と同じ勝ち点か。

その富山、次の今治との対戦が直にやって来るとは、なんとも言えないですな。

予感として、第31節対長野戦の重みが、グンと増しましたか。

ただ、他との勝ち点差を云々しても始まらないのであって、いつも言ってる、ゲーム当り勝ち点2の積み上げ、そこから目を離してはいけない。

となると、目標はあくまで最終68点にまで持っていくこと。

としても、あと14点を積まねばならず、

残り6つを、5勝、または、4勝2分で乗り切る胸算用。

これとて、かなり難度高し、なんですが、終わるまではやり切る、ってもんでしょう。

攻撃の改善が焦眉の急、特に、追い求めている〈シンプルな速さ〉、これに自分自身が追いつけるかでしょうね、相手の守備をはがす、というよりも。

では。

〇〇〇のつもりが (2022.10.9藤枝戦レビュウ❶)

まさかの、●●●と、3連続で黒が出たような感じですかね、ルーレットやってて。

0 – 1 の敗戦。

それも、直近ふたつのゲームと同様、もともとボールを握らないことを苦にしないスタイルの山雅からすれば、試合の8割がたは、思うようにできていた、シュートも相手の2倍前後は打ちながら、だ。

藤枝の司令塔、鈴木 惇がピッチから下がり、こっちがリフレッシュし始めた60分以降、ますます主導権はこっちに来たような感が在ったのですが、新規に投入されたプレイヤーが、残念ながらあまり目立たずに終わりました。

今回は、ゴール前、常田  克人の蹴り出し(ブロック) が相手FWへのプレゼントパスとなり、そこから左へ振られるといった失点。

自分たちのサッカーが破綻なくできていていた中、やられてもスカッとしない負けなので、敗残感も深い。

いやいや、破綻していないのに?、と思うことが既に、戦術の硬直化かも知れない。

こういう場合は、得点できない(3ゲーム連続して) のがすべて、と言い切ってしまうべきであって、変に、戦う気持ちの問題をうんぬんしたところで無意味、というのが僕の持論。

ゴール前を窮屈にして守り切った藤枝を褒めなくちゃあいけないにしても、ペナルティエリアに押し込んでいく時に、プレイヤーが横一線に成り過ぎで、しかも、互いの距離が詰まってしまっている。

死角を衝いて、フリーで後ろから入ってくるプレイヤーがいないと。

そういう意味では、田中パウロが枠外に飛ばしたシュートが最大のチャンスだったでしょうか。

これこそ定番、といった攻撃スタイル、それを、再度洗い直すことです。

では。

強度に強度を加えて (藤枝myfc戦プレビュウ❷)

(事情があって、プレビュウ❷を再投稿するため、❸と順序が逆になり失礼)

直近、2試合連続の無得点がたたって、1分1敗の手痛い戦績。

たしかに停滞感はありますけれど、なにも絶望感に沈潜するほどのことでなし。

こういった、悪い予兆の決定的な転換点は過去にも在った、と言われればそれまでなんですが、そういう窮地があるとすれば、だいたいがラスト3ゲームあたりで訪れるのが、山雅の常。

なりふりかまわぬラストスパートを、ただフツーにやればいい、今は。

〈強く、速く、聡く、を思い起こせ〉
山雅 23.4歳 vs 藤枝 25.6歳。

前節終了ホイッスル時点の、両者フィールドプレイヤーの平均年齢を再掲してみる。

これ、どうみたって、少なくとも経験値では、こっちがチャレンジャーでしかあり得ない、という事実をハッキリさせたいがため。

例えば、藤枝は、ゲームの締めで、ヴェテランの押谷や岩渕を投入できる余力を持つ。

そういった、フォワードの用意からしても、両者はまったく違う。

で、当方のすべきことは、終始、走力を全面に出して、プレイ強度と球際の厳しさで優り、前後に相手よりも速く動く。

さらに、セットプレイには細心の工夫を仕込む。

藤枝の、リーグ後半戦で唯一の敗戦が、対いわき戦であったことを想起すれば、山雅の採るべき道は、そんなところでしょうか?

つまりは、ベーシックのところで、原点に回帰するのみ。

(ボールを)持てる者 vs 持たざる者、という図式が明快なのも、この際やりやすいではありませんか。

では、プレビュウその❸ に続きます。