戻りつつある日々❶

アルウィンの観戦者数(統計)は、もちろんのこと、

素人評論家のためにあるわけではない。

やれ、昔はもっと高揚してた、とか、こんなゲームをしているようじゃあ観衆が減るなどと、アタマの凝り固まった年寄りみたいな戯れ言は、いい加減にしたほうがいい。

(こういうと、高齢者に失礼か)

早い話、そういう議論は、クラブやチーム、あるいは横で観戦する者への不満を、入場者数をネタに、憂さ晴らししているに過ぎない。

リーグが上になるほど(特に、関東圏にチームがある場合だと)、アウェイサポーターがそれなりに増加すること、また、ネームバリューに愉しみを覚えて足を向ける松本民が増える、これくらいが、参戦リーグによるところの(増加の)変動要因。

あとは、過去3年が、COVID-19によるもろもろの観戦制限が致命的であったことを別にすれば、

天候、地域行事、最後に、リーグ開幕と終幕、このみっつが、いままでの定常的な増減要因として挙げられるくらい。

アルウィンがより満杯に近づけば、クラブ収入増、ゲーム白熱の効果があるから、それはもちろん、オーライなんだが、(だから増大のための、クラブ目標や営業的な努力は必要だ)

その伸長や低減を、そのままクラブの浮沈のようにあげつらうのは、とてもいただけません。

僕の診立てでは、

前節鳥取戦が、昨季の平均である約8,500人を記録したので、COVID-19のダメージからは、そこそこ回復基調に乗りつつあるか、といったところ。

そもそも、それぞれが自分の生活や家計を抱えての観戦、参戦なんだから、そういう事情をすっ飛ばして、ガタガタ騒ぐことでない。

人々は、カウントされる数のために集ってはいない。

では。

早めにきづくと楽になる? 原理 3箇条(赤で加筆)

なんのことはない。

モンテーニュ(1533~1592、仏哲学者) が、おんなじことを、何百年も前に言っている。

わかっていると、つまらん時間を過さずに済む現実をみっつ、ご紹介。

❶問題(=障壁、悩み) すべてが、解決されるために存在するわけでもない。
 ☞どうしようもない事は放っておいて、できそうなことに集中する

❷自分に、あらかじめピッタリと適合する職業は存在しない。
☞価値観と衝突する仕事に就くこともないが、仕事を高めようとする努力が、自分を磨き、仕事が板についてきたらシメたもの

❸知らないことはわからない、が、わかっていても変わらない、変われないのが、おおかたの人間である。
☞他者を変えようとするなかれ、模範はみづからが示すもので、求めるものにあらず

(註 ❸の前半部分は、ほとんどゲーテ (1749~1832、独文学者)の言葉)

これらの真理を、自分が生きていく具体的シーンごとに当てはめてみて、そして行動を起こせば、ムダな苦労をしなくてよく、時間を効果的に使える、と僕は思っていますが、

ただし、敢えて苦労する道を選ぶのも、また人間なんですね。

実際、二者択一を求められた時、より困難と思われるほうを採ったことが、自分にもあったっけ。

では。

次戦を見すえて (鳥取戦レビュウ ❸兼 4/9プレビュウ)

今節は、國分 龍司というフレッシュなタレント(大卒) が初登場したんですが、

これからも交代枠 5人制を、巧く活用することで、新しいカード(=人)と、ゲーム活性を導くこと。

これが、勝ちを呼び込むための、大切な鍵、采配のポイントと考えます。

たとえば今節。

交代カードを切ることによって、

右サイドは、藤谷 ↔ 村越から、下川 ↔ 滝へと変化していくことで、はたして迫力を増すことができたんだろうか、否か?

同様に、左サイドは、下川 ↔ 菊井が、山本 ↔ (鈴木) ↔  國分へと移る中、上手く機能したのかどうか?

リーグ序盤の第二関門、アウェイ北Q戦を視野に入れると、

サイドへのこだわりは、いっそう重要度を増します。

ギラヴァンツは、現在、その左サイドで、岡田 優希(新加入)、岡田、岡田……、を徹底することで、仕留めに来る戦略と予想されますが、

この新加入プレイヤに、#10を与えるとは、いかに重用したいか、の象徴です。

となると、山雅の両サイドが、果たしてそれに耐えつつ、反転攻撃へと向かえるのか?

鳥取戦、ボールを持って出しどころをうかがう下川を見て、

あぁ、昨季だったら、ここで横山 歩夢が縦に一気突貫していたんだよなぁ、と懐かしくはなったけれど、では、今のチームでは、どうする?

最後に。

久しぶりの左で、ボールタッチの感触が、いまひとつだったのか、

クロスを、2本高々と相手ゴール裏に打ち込んでしまった(ミス) 下川には、今後の奮起を期待するとして、これを軽々に非難するのは、禁物。

下川 陽太の、攻撃機会のスイッチオン、クロスの創出の度数はともに、リーグ第1位(もちろんチーム内断トツ)であって、それを決して見逃してはなりません。

では。

ゆめゆめ油断だけは (鳥取戦レビュウ ❷)

第5節までを終えて、2勝3分け。勝ち点 9 。

すべて勝て、といった(荒唐無稽な) 理想主義者でもない僕の眼には、

むかしから開幕ダッシュとは無縁の山雅、昨年同様、上々のスタートを切った、と映りますね。

ただし。

互いにつぶしあいの団子様相を示すリーグ状況を見て、決して安穏としないことです。

チノ氏 (北ゴール裏の同志) がいうとおり、10節あたりまでに、その時点での我が〈完成形〉が出来上がっていれば、好ましい。

僕が乱暴に名づける、〈守攻一体型・高圧・高強度〉サッカーが、どのような個の活性と、相互の組み合わせ (=連携)を深めていくのか?

こういうチーム命題が、こちらにもはっきりと伝わってくるだけでも、現シーズンを喜ばずして、どうするんだ、ってことです。

ハッキリ言って、迂闊(ミス)と取りこぼしさえなければ、少なくとも、鳥取レベル(褒めている!!) のチームには、仕事をほとんどさせないくらいに、力負けすることもなくゲームを進められる算段が立ってきているのだから、

圧力をかけたその先で、どのように相手の守備をはがすのか、あるいは、崩すのか?、そこに集中できる、これはデカい。

また、パススピードが格段と高まっている (by チノ氏) がために、皮肉な現象として起こる、リフレクションによる不利な反転とか、意図しない互いの距離感の齟齬、そんなところが課題かなぁ、と鳥取戦では、強く感じていました。

蛇足ながら、
― シロヒラタケ、美味しくいただいてます、とスタジアムで、家人に声をかけられると、笑顔で応えていた 元yamaga#9 高崎は、ナイスガイでしたよ。

では。

残念無念,その本質を見誤るな (2023.4.2 鳥取戦レビュウ ❶)

0 – 0 のドロー。

たしかに、勝てなくて、残念無念。

でもね。

❶検温もマスク強制もない、自由なアルウィンが戻りつつあって、

❷リーグ屈指の攻撃力をほぼ沈黙させ、しかも、こっちのやってるサッカーが、守攻一体の躍動を深めつつある、という事情ゆえに、

この残念感は、むしろ、より深いかも知れないのだ。

それは、ここ2年くらいの、打ちひしがれた落胆とは、質的に異なっている。

たしかに、サッカーには、優勢勝ちはないにせよ、

かなり活きの良い(はずの)鳥取のやりたいことを9割方制圧したことこそが、新山雅スタイルの着実な浸透と診るべきであって、

そこを外しては、まづいでしょう。

まぁ、いろんな批判は、(おそらく)それを認めたうえで湧いてくるんでしょうけれど、

昨季とほぼ同じメンツが、個と連係に、これほどの成長と変貌を遂げていることを率直に見ないと。

ホームで勝つべし、と不満と文句をタレるくらいなら、なぜホームで勝たせられないか?に、
ファン&サポーターを自認する者よ、自分を点検することで答えるべきではないか?

……、ということで、萬年式な総括は、

リーグ序盤の第一関門は、相手の中盤と、攻撃の出どころとをつぶしまくり、ボールを握る時間を創りまくって、なんとか無事にパスしたかな、となる。

最大の残念は、勝ち点3が、相方のバースデイプレゼントにならなかったことですけどね。

では。