ハナムグリの災難。

いよいよ、

無花果(いちじく)の実が、その成熟の第二波!!を迎えようとしている。

第一波は、先月の中旬のことだった。

実が大きくなって、表面に赤みが差すと、食べごろのシグナル。

すると、そこへ鳥類、ハナムグリが、その実を食しに一斉にやってくる塩梅。

家人が、イチジクの果肉に、少々の砂糖とレモン汁を加えて煮たジャムを、楽しんでいる僕のライバルとして。

ハナムグリとは、

コガネムシの仲間で、鶯茶色の背に白い斑点が浮かんでいるのが多く、これが、シロテンハナムグリ。

10匹ものハナムグリが、ひとつの実に集っては、その密を楽しんでいる。

それはそれで、人間と十分に共存できることなんだが、やっかいなのは、

スズメバチも襲来すること。

彼等も、やはり、果汁が好物らしい。

7月だと、その攻撃性もあまりないので、こちらの身の危険が迫る感はなかったが、

それでも、と思ったから、

噴霧式の薬剤を、実のまわりで飛び交うやつを狙い、数回放って撃退する。

ところが、

申し訳ないことに、その近くで密吸いに熱中していたハナムグリが、その薬剤の犠牲となって、

ボタボタと20匹近くが、地面に落下、絶命していく。

ところが。

2~3日すると、その屍体がすべて消えてなくなってしまうのは、

自然の、偉大なる、食物連鎖のなせる業。

第二波がやってくれば、また同じような光景が出現するのかと思うと、だいぶ気分が滅入る僕なんではある。

では。

パルセイロに学ぶ。

3部リーグの、第24節の結果は、

ひととおり目を通してあったんだが、

― パルセイロが、6失点したんですって、

と家人が言うものだから、会話を潤沢にすることで家庭内平和を図るためもあって、

6 – 0 の、その対鹿児島ユナイテッド戦の、ショートハイライトを観てみた (夫婦して)。

うーん。

うち何点かは、ボール扱いのもたつきから献上している。

が、日常茶飯であるミスをカバーしきれずにやられる、というのが辛い。

すこし前の山雅がそうであったように、

守備網を崩されないままの抗うことなしの失点、ってやつ。

そもそも相馬さん(鹿児島監督) のサッカーは、相手のイヤなことを徹底して衝く。

たとえば、相手陣形の後方へと、ロングボールを入れて背走させるとかで、

揺さぶって疲弊させる、連携を乱すなど。

だから、

両者の地力差(鹿児島>長野)を考えたら

長野さんのような素直で、マジメなサッカーの場合は、

それこそ、かなり意識して、相手の思惑を上まわる狡猾さでもって

鹿児島4 – 4 – 2 の、ピッチに均等に配された布陣を、

ひたすら片方に寄せておいてから、〈疎〉になったスペースを使う作業をしなければならないはず。

そういうことができなかったんでしょうね、ゲーム全般を観ていないけれど。

山雅が、鹿児島とやった際(1 – 1のドロー)、

後半は、ずいぶんと押し込まれたので、今度やるのはアウェイでもあるから、

そこらへんは、キチンと勘定に入れてやらなければ。

で、家人がたたみかけるには、(長野界隈では?)

― やる気があるのか!!、と叩かれてるみたい。

それが、具体的に、誰の、どういう場での発言かは承知しないが、

サッカーは、いまや大衆の生の中で語られるから、

悟性(考える力)に乏しい薄っぺらな議論が横行するのはどうしようもないが、

そういうのが、だいたい愚劣な精神論に尽きるのは、なんとも。

夏の盛りの、しかも、真昼間の炎天に、

熱中症の、治外法権みたくに、

全国規模の野球(ベースボールとは違ったもの)大会が、高校教育の一環(=タテマエ) として行なわれ、

それを、多くの人々が、当たり前のこととしてTVで観ているような、この国では当たり前のことか……。

では。

ディフェンダーが称賛される理由 (鳥取戦レビュウ❷)

このゲームでは、

ディフェンス陣(センターバック)が、上等、上質の働きぶりを示した。

それは、

無失点で終わらせた、といった陳腐な理由ではなくて、

攻撃参加の意思と実践にあふれたプレイに終始したからに他ならない。

別の表現をすれば、攻撃的な守備、とも言えようか。

ゲーム開始早々に、宮部、野々村からクロスが投入されたのが、その象徴。

……くりかえしにはなるけれど、

野々村は、村越、菊井への縦パスを幾度かチャレンジし、

宮部は、樋口と絡んで左サイドへ侵入、

高橋は、ロングボールの標的を、前線に常に探し求めていた。

ディフェンダーの駆け上がりによって、相手のプレイヤーが彼に対応するために、相手守備網に、〈疎〉が生じるから、

杉田を含め、今後も、期待大の戦術には違いない。

おそらくは、琉球戦の修正が強く意識されていたゆえに、

ゲーム冒頭から、かなり堅調で、隙をみせないサッカーができていて、

(前後半とも) ゲームの入りとしては、今季ベストに近かった。

そこに、上に指摘した、ディフェンダーの攻撃性が乗っかったから、

たとえば、前進した時は、10人全員が、相手コートに入り込む、高橋がセンターサークルの頂点に位置する、といった光景が現出。

いつも言ってる、〈守功一体型〉サッカー。

先手先手でいけば、結果として、ボール保持が 60%を超えるということ。

こうなると、

鳥取が、山雅の最基底ラインの裏抜けを狙うのは至当だったが、

まぁ、それも、ともかく凌げたわけだし。

(鳥取のシュートが2回、オフサイド疑惑によるものだったことは指摘しておく)

ホイッスルが鳴ってからの全力投入のツケは、やはり、

60分以降の疲弊にあらわれるわけで、

ここからのリフレッシュの適否が、ゲームを左右するけれど、

今節は、まぁまぁ機能していた、と思う。

前田 陸王は、カンフル剤になっていた。

できれば、そこに布陣変更をかませれば、相手のマークに迷いを生じさせられたように思うが、チト望みすぎか。

ゆえに、次節以降の課題は、ふたつ。

ひとつ。

飛ばしてプレイすることからの疲れ、特に、〈頭脳面〉の快復へのテコ入れの方法。

ふたつめは、投入されたクロスに、どうやって中でミートするのか?

これに尽きるでしょう。

では。

こういうゲームが観たかった (鳥取戦レビュウ❶)

0 – 0 、スコアレスのドローで投了。

もちろん、(結果としての)引き分けは、惜しまれる。

得点の機会は、ずいぶんと、あったのだから。

言ってみれば、

画竜点睛(がりょうてんせい)を欠くゲーム、でしょう。

せっかくの良い仕事になり切るところを、

最後の仕上げがおろそかになってしまった……ということ。

でもね。

ヘビでもなく、ワニでもなく、龍が龍として描かれた画だったところに、

このゲームの真価をみなくてはいけない。

ガイナーレが、素直であって、それほど前後に業欲でないサッカーをすることを差し引いても、

あれだけ、

圧縮した陣形を保ちつつ、

むやみに深追いすることを自重しては連動し、

向こうのボランチとシャドウ&ワントップを、

己の陣形の中に、2層にサンドしてしまうことで、

相手に自由なスペースを与えず。

たとえ、少々緩くなって、小気味良いパスを通された、としても、

ボールの獲り処をハッキリさせる連携で、相手の攻撃の芽を摘んだ。

前田 陸王は、そういうサッカーをたしかに体現していた、と思います。

つまり、

締めるところと、許すところが、チーム内で共有されていた。

……以上は、決して、守備面の話ではなくて、

こっちの繰り出す攻撃が、互いの距離の遠近が、ほどよく保たれたために、

たとえば、野々村からの縦パスが、村越、菊井にズバズバ通る。

宮部と樋口が、左サイドでこっちの優位を成立させる、そんなことです。

山雅にこれだけのサッカーをやられては

鳥取からすると、

前半の少しと、60分前後などは、ボールの主人公になれたにせよ、

ゲームの、残りほとんどの時間帯で、

仕掛ける攻撃は、山雅守備陣の裏狙いか、カウンターでしかなかった。

この記事のタイトルを、

こういうゲームができる山雅が観たかった、とするのが、より精確な表現かもしれませんが、

たとえ、

24ゲーム消化しての、やっとこさ辿りついた、ひとつの極みであろうとも、

やはり、琉球戦は、

山雅流を修正する点において、価値があったわけで、

残る14ゲームの、価値判断の基準が明確化した、と考えます。

では。

俺が俺が,でまずはやれ (鳥取戦プレビュウ)

今あたりの時候を、〈晩夏〉と呼ぶらしい (初秋とかさなるものの)……。

残り 15ゲーム。

勝ち以外は許されない、とホンキに考える向きもあるみたいで、

それは、まるで、二点間を結ぶ直線は一本しかひけない、みたいな絶対公理を求める姿勢。

純粋数学は、その公理で押しまくったから、学問として成功したのですが、

こと、サッカーという競技特性と、さらに、実力(=技量)ほぼどこいどっこいのリーグ編成からすると、

とても、そんな単純で、うわずった関心では、リアルな実相を見逃すに違いない。

どっちにころんでもおかしくない対戦の連続、

23回やって、2連勝がわづかに一度、

先制されたら勝利に届かないゲーム管理、

そういう我がチームの現実を踏まえれば、

勝ち点3を逃がすと、その分たしかに、今季末におけるチーム解体へのカウントダウンが進むわけで、

そうなれば、この晩夏は、挽歌への序章とも、なり得る。

……つまらん、コトバ遊びで恐縮ですが、

かといって、今を楽しめない理由などないのですから、

そうですね、

アルウィンで言ったら、バック自由席のアウェイ側あたりで、チームとサッカーへの愛着のココロで参戦している、そんな風情でいきたく思います。

現実的ゴールは、6位以内のできるだけ上位、ということで。

さて、鳥取戦。

根底には、前節琉球戦の良き点を踏まえつつ、ってことでしょうが、ポイントはふたつ。

ひとつめ。

ボールを率先して動かす(相手に、こっちの思惑どおりに持たせることも含む)ことで、ゲーム主導権を握りたいのならば、

スペースを拓くための、個による(ドリブルを絡めた)持ち上がりを増やして、

かつ、スコースに顔を出す責務をまっとうすること。

攻撃のノックダウンで苦労したのが、琉球戦の前半でしたから、その反省と修正。

この局面では、俺が俺が、で貫きとおせ。

さらに、ゴール前でも、基本そうなんだろうが、

前節の、詰めにおける想来のひとり相撲を観ると、

シュートを撃つに最適ポジションなプレイヤーを、チームとして見逃さないことは重要。

現状、試合時間が進むにつれて、これができないので、逆転弾も生まれない。

かつては、小松 蓮の動きを、常に皆が頭に入れてプレイしていたんですがね。

ふたつめ。(ひとつめと関連します)

前節が、ターニングポイントとなり得る秘密は、

ボール保持52%の力量を持つ相手に対し、最終的に、52.4%の保有を叩き出したこと。

直近の5ゲームは、

いづれも、ボール保持戦略を採るサッカーとの対戦で、長野戦をのぞけば(53.6%)、すべては、相手に保持が傾いた。

僕は、ボール保持論者ではないけれど、

ゲームにおいてイニシアティブを握りたい、という欲求からすると、

けっこうな前進ではある、と評価しています。

鳥取が、現在、ボール保持51.2%、リーグで 6番目の高さであるならば、

そこらへんの進化を測れる、好適な対戦相手。

そこが、勝機であり、見どころでありましょう。

では。