点と線。(八戸戦プレビュウ❶)

毎ゲームは、一回こっ切りで、勝ち負けが決し、完結する。

これが、点。

けれど、創り上げたいサッカーを、シーズンをとおして追求するところに来季以降があるはず。

一本の線を、キチンと貫きたい。

前節、福島戦、山雅のボール保持率は、54%。
シュートは相手の倍、 15本。
ゲームの、ほぼ80%は、自分たちが率先して動かしていた。

にもかかわらず、攻めあぐねが災いし、福島の焦眉であるセットプレイでゲームを落とした。

ボールを、こっちが握ればその分、かえって失点を招く、という皮肉はサッカーにつきもの、とは思うが、

現山雅流を突き詰めるには、そのチグハグをどうしても乗り越えなければならず、

今節対ヴァンラーレ戦は、ある意味、そういう宿題に答えを出すための好機、と考えよう。

3バック。
ボール保持平均が、ここまでで、44%
けれど、ゲーム当り攻撃回数 129と、リーグ第1位。
で、ショートカウンター攻撃への傾注が、リーグ断トツに高い、八戸。

……、となれば、これはもう、前節のあり様をトレースするようなもの。

ボールをつないでゴールに向かうことについて、
逃げも隠れもできない山雅が浮き彫りになる時……。

そして、順位的には、ひとつ上に居る相手。

さぁ、入念な準備で、テスト用紙の前に座ろうか。

では。

国破れて 山河在るのか?

杜甫(712~770年 唐の詩人) は、

唐王朝が、安史の乱(755~763年) によって混乱し、衰退の入り口に立たされた頃、

国の体制がズタズタになっても、山や河はあいかわらず、もとのまま。

街には春が訪れて、草木が茂っている……

、と詠んだ。(『春望』757年成立)

有名な、国破れて山河在り、とのくだりで始まる、五言律詩です。

 

けれど今、東欧の、黒海の北方辺りでおこなわれている戦争をみていると、

ふたつの国が、戦いによって、ともに疲弊した場合、

じゃあ、自然はもとのままで、そこに在り続けるんだろうか?

自然環境と生物を根こそぎにできるような兵器が、当事者に所有されてしまったのだから、

杜甫みたいに、悠長に、ことを嘆いていられないほど、

ひとつ間違えれば、ひどく危うい世界が待っている。

戦争を始めた側のおもわく、

つまり、数日内での首都キエフ陥落、および、傀儡政権の樹立はとうに失敗したのだから、

すくなくとも、侵略者に、もはや〈勝ち〉はあり得ない。

こうなると、真の勝者とは、

これこれこうなったら戦いを止めるのだ、というビジョンをハッキリと持っている方に違いない、と思われる。

では。

急務! 中盤の活性化 (福島戦レビュウ❷)

敢闘賞は、菊井 悠介。

というのが、ゲームを象徴していました。

その攻守にわたる貢献、ボールの持ち出しが相当めだっていて、

他には、(左サイド) 下川と滝の連動性、(右サイド) 藤谷の突破、小松 蓮の献身、鈴木 国友の積極性、そのぐらいでした、取り立てて評価したいのは。

それに比して、悪くはなかったが、けれど、ボランチ陣は、イマイチ存在感に薄い。
(米原 秀亮は、ゲーム勘がいまだ復調せず、縦パスの引っ掛かりがめだった)

チノ氏が、福島#41 上畑をかなり絶賛し、彼を獲れくらい、の言い方をしたのは、ボランチの強化を求めている、と思う。
(註;上畑は、小松 蓮と産業能率大の同期で、同い年)

悪くないが良くもない、というのがいちばん困るんで、

たとえば、右サイドを活性化するには、國分 龍司(先発)から榎本 樹への切り換えは、後半冒頭からすべきでした。

……なんだかんだで、佐藤 和弘の流出が、いまだ地味に効いているなぁ、と思っていたら、

ここへ来て、安永 玲央を水戸からレンタル移籍で獲って、ボランチの攻撃性を上げよう、としている(と診た)。

2年前、(安永と同年齢の) 平川 怜を上手く運用できなかった轍を踏まない事だけを祈ります。

さて、福島戦に価値を見いだすとしたら、

❶(テニスにおける)アンフォーストエラーの類いを、どうやって減らすのか?

その宿題を貰った、ということ。

つまり、フツーだったら(難易度が超絶高くもない)ボールをリターンしてよ、ということ。

愛媛戦で魅せた、決死の意思統一は、プレイの力点を、各人に明確にしていたように思われ、それに比べると、

山雅がイニシアティブを執っているようにみえても、
両サイドにフタをされた場合、センターバックからサイドバックへと展開したい場合のアイデアがかなり乏しかった。

その際、もっとボランチが顔を出して、ボール配球に絡まなければ、相手の守備網に破綻は生じない。

サイドバックからの単純なクロス投入が、何回、相手GKに直接キャッチされたことか。
中央を固めた守備網は、あとひと手間工夫を入れて、疎を生じさせないとゴールは難しい。

あるいは、シンプルに見切って、ミドルレンジからでも打つとか。

さらに、大胆なサイドチェンジは、むしろ、福島が多用する始末。

ここの改善が、次節以降への、外せないポイントでしょう。

❷アラートの落とし込み。
指揮官は、全責任は自分にあり、と発言。

であるならば、セットプレイ(含むロングスロー)に活路を見い出したい福島(プレビュウで指摘した) に対し、
そこらへんの注意信号を、プレイヤーに植え付けていたのか?

2失点は、すべてセットプレイから。

1失点目、あの絶好な、こっちからしたら、かなりヤバい位置で、ムダなファールを与えた常田。

2失点目、ゴール30m以内でタッチラインを割りそうだったボールを、まったく追わなかった宮部。☞ 結果、ロングスローを与えた。

状況を考えれば、かなりの、軽率、怠慢なプレイだと思うんですが、ここらはきちんと落とし前をつけるべきでありましょう。

……なぜなら、次節八戸戦は、もっともっと厳しくやらないと、モノにできないはずだから。

では。

新★手法で、がっかりさせないで。

遠い昔……。

運転免許証を取るため、教習所へ通った。

仮免許に受かり、いよいよ実技試験となった日。

路上、横断歩道に差しかかったら、自転車を押した婦人がひとりたたずんでいる。

みたところ、道路を渡りたい素振りもなかったので、そのまま通過。

ところが直後、教官がおもむろに

― はい、〇〇さ~ん、クルマを停止してね。
では、ここから、まっすぐに教習所へ戻ります。

つまりは、実技試験の一回目は、道路交通法第38条の、

横断歩道を渡ろうとする歩行者の通行を妨げてはならない、に違反したとみなされ、試験が、即中止、となった苦い思い出。

僕の名誉のために断っておくけれど、

これは、その後、萬年の伴侶となった或る女性に関する実話なんであります。

何故、いま頃、こんな話を蒸し返すのか?

先日の、午後4時過ぎ。

村井駅北の踏切に向かって、西の方面から進行していたら、

信号機のない6差路の手前に、渋滞が発生中。

どうしなのかな、と思う間もなく、すぐに滞りは解消。

交差点を通り過ぎようとして左を見ると、警察官がひとり、看板の裏に隠れるように、横断歩道付近に立っている。

そのまま走ると、100mくらい先の道路に面した駐車場には、軽自動車が停止していて、

その傍らには、別の警察官が、書類を抱えて、ひとり。

時は、まさしく小学生の下校時間。

渡るに困らないほどの歩行者がある機会と場所を狙っての、道交法違反の検挙に精出す司法警察……。

まぁ、まっとうなことを言わせてもらえば、

隠れて、反則金9,000円と減点2 をむしり取るようなことは止めて、

堂々、見えるところに立ち、停止違反をあらかじめ抑止するのがスジではありませんかねぇ?

シートベルトがほぼ完全着用となった今、(スピード違反を別にすれば)

スマフォいじり運転、一旦不停止、国道における(信号のない交差点の) 右折進入、

そして、遂に、今度は、横断歩道における不停止、か。

長野県警さんも、新種の取り締まりを開発することで、検挙実績向上の営業努力を惜しまない。

ゆめゆめ、あの日、違反切符をもらったドライヴァー殿にあてつけるつもりもありまんけれど。

ビートルズ御当人による〈Don’t Let Me Down〉は、You Tube上で、4.4億回も再生されている。

劇場用映画『Let It Be』の中、アップルビル屋上でのセッションの一部です。

ギター、ベース、ドラムにヴォーカル、といった簡素なバンド形式であるなら、

その感動は、本家本元のオリジナルには、敵わないということ。

では。

正直に実力を発揮したから (2023.7.16 福島戦レビュウ❶)

ゲーム終了後。

北ゴール裏に挨拶を済ませたチーム山雅が、バックスタンドへと向かう姿を眺めていると、

同士チノ氏が、隣にやって来て座り、

しんみりと。

―  これが、実力ですかね~。
実際、負けた相手がおおかた、順位的に上にいますもんね。

僕は、彼の言葉に、まったく我が意を得たり!!、の夜だった。
(勝ち負けの数が同じになれば、リーグ中位は当たり前だし)

幸先良く先制しても、やがては持ち堪えられずに、終盤に逆転をゆるす。

前節琉球戦レビュウで触れたとおり、それは、

精一杯、力の出し惜しみもなくやっている結果としての、1 – 2 の敗戦だった。

今節も、まったく同じスコアで、

得点後の停滞、攻め込んでもロストが多発してシュートまで持って行けない、
攻撃の手詰まりが顕著。

ここまで正確に、毎回同一的なゲーム展開を踏襲しての敗戦、ってのは、

したくても、なかなかできないことではあるまいか。

もちろん、意識的にみずから屈辱をかぶっているわけでもなかろうから、

ある意味、やってることは、あまりに正直、実直、とも言える。

……で、プレイヤーたちが南ゴール裏まで達すると、

今回は、盛大なるBOO。

けれど、それと同じくらいの音量で激励チャントが混在する、実に印象的な光景だった。

これとは、(南ゴール裏に限れば) チーム山雅に対し、

一方に、〈回復〉、〈挽回〉を求めるロマンチストがあり、

他方に、〈確かな新生〉を支持するリアリストがいる、という状況を物語っている。

あるいは、前者を、復古主義者、後者を前進主義者と、固い表現もできる。

今の山雅に対し、何を求めるか、について、かなり錯綜している、ということであり、
チーム山雅そのものよりも、それを取り巻く周辺の人々の混乱のあやうさを、僕は指摘しておきます。

もちろん、筆者は、後者の立場をとる者だけれど、

ただし、いかに精一杯やってる、といったところで、それはないよ、という点については、レビュウ❷で。

では。