前節の300%は困難なゲームと予想 (鳥取戦プレビュウ❶)

ワールドカップ参戦中の、日本女子代表が好調らしく、一昨日のTVでそのことを報じていたので、

早速、JFA公式サイトで、対スペイン戦のハイライト(だけ) をツマミ食い。

観ると、日本は、とことん高速カウンター攻撃に特化していた。
要は、ボール奪取したら、相手ディフェンスライン裏を常に狙って、そこへボールとプレイヤーが侵入する。

フィジカル対峙を避ければ、走力では置いてけぼりにできるエスパニョールサッカーの〈弱み〉を、これほど徹底的に衝いたのだから、してやったり。
☞これぞ、約束事の徹底による、作戦勝ちの見本でありましょう。

スタイルは異なれど、鳥取も同じように、極端なまでに特徴あるスタイルを信奉するチーム。

表現が不適切かも知れんが、

3部リーグに〈上手く慣れ親しんだ〉雰囲気を持っている。

つまり、総合点はそれほど高くないが、ここぞ!!、という攻撃シーンの演出力を有す。

パスを多用する攻撃サッカー。とにかく、攻撃回数が多い。
鋭い縦パスを入れ、中央からペナルティエリアに侵入する傾向。

しかも、ペナルティエリア付近で自在にボールを動かして、相手守備に穴をあける手練。前線プレイヤーが、とにかく活発。

成績不振で監督が交代して約2か月、この間、どうも負けがないようだ。

結論をいうと、前節の愛媛FCみたいに悠長なサッカーとは無縁の鳥取。

ゆえに、ゲームのむづかしさは、比較にならないほど大きい、と診ます。

では。

本題は,別のところ。

ジャガー氏との会話(昨日篇) は、もともと違うところにあった。

彼のお説では、

テストで良点を出す子は、

出題者が、どんな回答を求めているか、を察知することに長けている。

たとえば、このことがらを、20字以内で言い換えよ、と問うていたら、

文章中にはかならず、20字に限りなく近い表現が存在するはず、と考える。

いわば、出題者の意図をさぐるゲーム、みたいな世界になる。

すると、ますます、生徒は、テストを出す側(教師)の器(視点、了見) を超えることがむづかしくなるわけだ。

― ところで、今年度の全国学力テストね、長野県は、全国平均以下の出来だったらしいですよ、とジャガー氏。

― 他県から来た小学生が、こっちの同学年の夏休み帳をみて、その薄さに驚いていたところをみると、それもありでしょうかね、と僕。

もちろん。

夏休みの課題の多寡で、生徒の〈学力〉が決定される、とも思っていない。

 

この学力テストでは、教科の問題よりも、〈質問紙〉と呼ばれる設問のほうが興味深い。

たとえば、小学生6年生向けのを、いくつか挙げれば、

❶朝食を毎日たべている

❷いじめは、どんな理由があってもいけないことだと思う。

❸学習塾や家庭教師の先生に教わっていますか。

❹あなたの家には、およそどれくらいの本がありますか(雑誌、新聞、教科書はのぞきます)

❺新聞を読んでいますか。

……問い❶❷は、a当てはまる、bどちらかといえば、当てはまる、cどちらかといえば、当てはまらない、d当てはまらない、の四択で回答。

問い❹は、0~10冊、11~25冊、26~100冊、101~200冊、201~500冊、501冊以上、の六択で回答。

問い❺は、ほぼ毎日、週に1~3回程度、月に1~3回程度、ほとんど、まったく読まない、の四択。

……こういうのは、かならず、なんらかの仮説があっての設問だろうが、

文部科学省(=その御用専門家)の、教育に関する見識の旧さ、が垣間みられるではないか。

では。

八朔の白、それと赤。

昨日は、 8月1日。

古式な言い方では、八朔 (はっさく、8月ついたち、の略)。

ジャガー氏 (職場の同僚、登山ガイド) は、その学生時代を京都で送っていたから、

彼に、もしやこの日、

白い着物すがたの芸妓さんが、習い事の師匠宅に、お礼の品を持って挨拶にまわる風景を観た?、と訊ねたら、

一切なかった、とのことだった。

そりゃあ、そうだろうな。
彼、夏季休暇も、バイトで明け暮れしていた学生だったらしいから、住む世界が違うか。

しかし、白尽くめのイデタチで、炎暑の洛中を、涼やか?に歩く、なんてのは、昔の人は洒落たことを発案したものだ。

これが、平清盛が京都の街に放った、秘密警察になると、

真っ赤な衣装に、オカッパ髪の若者たちであった。

どこが秘密?、と言いたくなるが、

その恰好で歩き回り、平家政権への不平不満分子を摘発した、という。

……、ということで、来夏は、ジャガー氏にガイドをお願いして、梅雨明け直後の今頃、

〈八方池〉行を考えています。

ジャガー氏によれば、ゴンドラとリフトを使って行けてしまうので、とても登山とは言わないそうだけれど、それでも〈山行〉、と思って楽しみにしよう。

では。

宿題につきあって。

この夏。

小学1、2年生の、夏休みの宿題につきあう機会と時間が多い。

この年代だと、学ぶことはおもに、算数の足し算引き算、ひらがな漢字の反復練習で、それをひたすら覚える、こなす。

よって、やらされる側は、退屈だろうが、それほど葛藤も多くない。

やらせるほうも、これくらいは身につけておかないと、生活するに支障があるだろう、くらいに考えるから、淡々と出来具合を見守っている。

ただし、こうやってつきあっていると、こういう学習なるものが、

やがてはきっと、出題者によって用意されている〈答え〉が(確実に)在って、

おもには記憶力でもって、そこに辿り着いた者を高評価するような教育へと進むんだろうなぁ、と感じるし、

僕らの世代が受けてきたのが、まさにそういうものだった。

正しかろうが、期待されていようがいまいが、たとえ他人に認められなくっても、自分でこうだ!!、と決めつけて進む。

で、上手く行かなかったら、べつの仮説を立てて、また、やり直す。

そういう試行を踏んで成長するような人格、ってのはいいなぁ、とつくづく思う。

では。

君は,きぼうを観たか?(愛媛戦レビュウ ❷)

サッカーコートと、ほぼ同じくらいの大きさ(底面積)を持つ、国際宇宙ステーション。

これが、7/29,30の両夜、(月齢12~13日の、空の明るさの中) 肉眼で観られたことを、まづは、ご報告しておきます。

愛媛戦については、

こっちが犯した3倍以上のファールを受けながら戦って、

むこうの 約3倍のシュートを打った。

つまり、かなり、ワンサイド的なゲームだった。

この数値は、両者サッカー(観) の違いから発生する話でもあるので、

とにかく。

山雅は、対戦者のスタイルを踏まえたとしても、極端に対処的サッカーに走ることなしに、相手の〈牙〉を抜く、と同時に、こちらの強みでトドメを刺す、これを追求する。

つまり、愛媛戦は、今のやり方をブレることなく遂行せよ、という象徴的なゲームだったように思います。

チームが出来上がるなか、先発メンツに連携が深まれば、今後はその分、交代枠の活用と、交代プレイヤーの力量、これがもっと課題になります。

というのは、ゲーム終盤の被弾ばかりが話題になり、失念されがちなことがあって、

それは、山雅が、全得点の 30% を、76分以降に挙げていること。

(もちろん:、失点が、76分以降に、50%を占めることは、修正事案)

要は。

交代プレイヤーが投入されるにほぼ等しい時間帯に、得失点ともに花ざかりであるからには、

交代カードの切り方が、後半戦では、ますますゲームの帰趨を決めそうです。

ということは、ゲーム強度を考慮して、先発をどこまで引っ張るか?、と表裏一体の話。

では。