通用するか?,やり遂げるだけ (SC相模原戦プレビュウ)

ほとんどが学卒ばかりのプレイヤーを加入させ、チームを一新する編成。

そこに、かなり沈着な理論派青年監督をすえて、新装スタートした今季のSC相模原。

夏の移籍で瀬沼、岩上と、ヴェテランの経験値を導入した。

前節は、首位の愛媛と戦って、

1 – 2 と負けはしたが、拮抗したゲームをしているようだ。(現在19位)

勝敗などどっちに転ぶかわからん、あやうさ、もろさ。

それが、いまの 3部リーグ。

だから、山雅からすれば、

まったく同じ地平、水準に在る身として立ち向かう、これが大々前提。

敢えて、こっちが有利な点を捜すとしたら、

❶瀬沼、岩上は (先発ならば) 70分間くらいの稼働体制であることと、

❷たとえば、スローインは、4割近くが相手に渡ってしまうような〈甘さ〉

そういったところを、衝けることだろうか。

とにかく、簡単じゃあない。

…… 沼津戦終了直後。

古参サポーターの京子さんから家人へのメールで、

― (敗戦を受けてだろう) 霜田さんのサッカーはもはや古く、このリーグでは通用しない。

― なら、どこが古くて、どこが通用しないのを、具体的に教えてもらってよ、とお願いしたら、

― 彼女にもわかっていやしないわ、周りのお仲間が言うことの受け売りよ。

……その是非はともかく。

霜田サッカーの根本姿勢のひとつは、引き分けを良しとしないところ。

ゲーム終了まで攻め続けるから、
最後のほうでの得点も多いけれど、同じように、終盤における失点も、また多い。

引き分け数 7つは、リーグ同率で、少ないほうから、3位。

もしもですよ。

被逆転や、被追加点で落としたゲームを、4つでも引分けにできていたら、

勝ち点50で、いまごろは 4位ですから(もちろん捕らぬ狸のなんとかです)。

イチかバチかのギャンブル的な勝負は避け、

自分らのあるべき姿が、どんな相手や状況であっても発揮されるように、

ゲームとボールを握るスタイルに、チームを創り上げたいのだろう。

たとえば、最近のピッチ内練習は……、

前線の4人で、ボールを渡し受けあって、そこから撃つシュート、

ディフェンスラインは、ボランチと控えを含めての守備の確認、

それから、両サイドバックからのクロス投入に反応した、シュートの打ち込み

……と、かなり実戦的になって、ゲーム直結志向になっているのは、好ましい。

霜田さんが言う、もっと強くなる、とは、

そういうことを積み上げて、相手を圧倒するほどにスタイルをやり遂げて勝つこと、と思う。

今は、そのサッカーを支持せずして、 One Sou1 とは言えまい。

恵まれて現地参戦します。

それぞれが別チームになっていますが、

なぜか、2021季をやり直す、そんな気分が抜けませぬ。

では。

愛鷹で, それぞれの秋 (沼津戦レビュウおしまい)

シュート数は2倍近く、クロスは、相手の 3倍投入したところで、

スタイルの徹底度と習熟度において、完敗。

それも、今季いちばんの力量差を目の当たりにしたために、レビュウがだらだらとなるのか。

本人にもわかりませぬが、これでお終いにします。

……ゲーム後のファンサポーターへの挨拶。

常田が、他の選手がつくる列よりも、ただひとり前方に立っていた。

まるで、敗戦の誹りを俺にぶつけてくれ、それを受けるから、とでも言うように。

家人は、それを、― ポーズよポーズ。

けんもほろろにあしらうんだが、

やはりなんらかの決心が、彼にはあったほず、と思いたい。

藤谷は、長々と頭を下げたあと、まるで、拝むように両手をあわせ申し訳なさそうに、また二度三度と会釈。

最後方からは、山口が、キッと前を見すえ、憮然と引き揚げて行った。

行く我れに とどまる汝れに 秋ふたつ  (正岡 子規)

そんな句が想い出されたが、感傷は棄てて、前に進め。

では。

あぁ 無情 【愛鷹篇】 (沼津戦レビュウ❹)

遠征の名残りにと、桜えびせんべいを、職場で渡したら、

― 負け試合を観に行って来たの?、ジーコも来てた、という。

と返されてしまった。

よく情報とってるなぁ、と驚いてしまったが、
そうそうスタジアムには行かない人々の、こういった関心こそが、クラブやチームを支えているのを強く感じる。

ファンサポーターは、たしかに熱心な〈前衛〉かも知れないが、

松本という街全体が、水をたたえてクラブを浮かべてくれていることを忘れまい。

さて、今回は。

ささやかな交歓のお話。

当日、待機列の順番確保をしていたら、お隣の青年が、(見かねてであろう) ご親切に、テープとマジックを貸して下さった。

で、入場15前の再集合時。

青年の足もと(スニーカー)が、黒基調の、オレンジに補色青のアクセントなのに気づく。

― 失礼ですが、エスパルスサポーターでいらっしゃいます?
昨日は、アウェイ7点の勝利、おめでとうございます。

― えぇ、その現地にいました。きょうは、はしご観戦です。
いわきとは、ホームで9得点だったんで、相性でしょう(とご謙遜を)。

(2015季第3節) 山雅さんのJ1初勝利を、エスパルスが(ホームで)献上したことがいまだ悔しくて。
いつかアルウィンに行きたいんですよ。(リベンジですか)
だから、是非、(上位リーグに) あがって来てください。

― はい。(冗談に) 山雅を代表して承ります。

ところで、今季は、滝君をお貸しいただき、ありがとう存じます。
ルヴァン杯(2019年)では、ドウグラスのアシストから滝に見事なミドルを決められたんです。山雅は、手痛い得点を喫したプレイヤーをよく獲ります。
犬飼 智也(現柏)にまた、力を貸してもらえないか、とも思ってしまうんです。

そうしたら、前に並んでいた若い女性(単独行)が、チラッと振り向いて、

―滝のは、ドウグラスのヘディングによるアシストでした (と補足してくださった)。

そう、なのだ。
このお方も清水サポーター、それも、滝君の熱烈なファンらしい。

数年前のゲームに、すぐに反応する。

これこそ、エスパルス先輩の根っこが、しっかりと静岡市に張っている証し。

とまぁ、こんな楽しい会話をしてから、それぞれは入場したのですが、

ところが。

直後にリリースされた、山雅登録メンバーには、

なんと、滝 裕太の名が見あたらないではないか!!

あの女性の落胆と、そして、青年が味わったであろう敗戦の寂しさ。

これらすべては、

愛鷹における、山雅による、非情と、裏切り行為。

だから、いつか、もしも彼らにお遭いする機会があれば、

山雅を代表して、心から謝罪しなくてはならない僕。

では。

やっぱり中盤,などの件 (沼津戦レビュウ❸)

(☞ メインスタンドの自陣ゴールライン少し後方あたり、アルウィンだとB自由席ホーム側付近から観戦したことで、プレイを新鮮に観られたのを前提として)

ゲームにおけるポイント。

❶沼津は、ワンアンカー(ボランチひとり)を配した中盤だと思っていたら、
右サイドバックが機をみて上がって、ツーボランチを形成する。

いわば、#18と#3が可変式に中盤を形成するやり方に、ゲーム開始から山雅は押されっぱなしとなり、中盤での劣勢が、終始続いたことは確か。

この運用が、すでに周知なものだったら、山雅サイドの準備不足、といえる。

それでも、1失点した後、山雅は、中盤での劣勢を修正できつつあった。

沼津ボランチへのパスコースに制限をかけながら、米原、安永が動きを多くして、前傾姿勢を強め、

結果、安永がポストを叩くシュートを放ち、右サイドからクロスを入れて小松の得点を演出したのも安永だった。(強く行ったおかげで、米原はイエローをもらう)

この修正を、誰が発案し、誰が呼応して対応したのか。

この点が、これから山雅の財産になるのかどうかは、けっこう興味深い。

❷プレビュウで指摘しましたが、沼津の特長は、歴然と、その左サイド攻撃にある。

ところが、その首脳陣は、反対に右(訂正します)サイドからの侵入に注力してきた。

山雅は、虚を衝かれた格好になって、先制点を献上した、と診ます。

で、本来の強みである左もあるゆえに、沼津の両サイドの活発はゲームをとおして衰えず、

後半、山雅がその攻撃力を削がれたのは、サイドの対応に追われたことが大きい。

たとえば、僕の周りからは、下川がボールを後方に下げるたんびに、その消極性を責める声が挙がった。

ただ、これは、下川ひとりの責に帰するものでなくて、その内側で連携するプレイヤーのサポートが乏しかった。

こういう部分でも、沼津には、定型的、オートマティカリイな連動性が備わっている。

常田のボール処理が、再三緩慢にみえたり、あるいは、途中交代の野澤が、自分のサイドへボールが送られた際、
― おぉ、こっちへ来るのか、それじぁあ、とプレイに入る時に漂った唐突感。

それは、沼津にはあった意思統一が、こっちには、より希薄(気迫ではない)であったことが表出したものではなかろうか。

乱暴な言いですが、キーパーで落としたゲーム。

あと20年も若かったら、ざけんな! 村山、とヤジっていた、きっと。

(三度めの指摘でうんざりもするが) ゴールキーパーの出来がかなり不安定、腑に落ちないプレイが散見された。

たまに発動される沼津のロングボール戦法はけっこう効いたけれど、
それへの対応で、前に出る出ないの判断に、疑問が多く、ひやりとするシーン多し。

1失点目は、おそらく、マイナスの(右サイドから)クロスを想定しての立ち位置を採ったと思うけれど、あれ、狭いニアを割られちゃあマズイ、反応が緩慢過ぎる。

2失点目。〈壁〉を自認するなら、野々村よ。

あそこは、身をよじって(逃げて)、シュートを見送るか?
むしろ、身体を張って止める場面だろう。

ましてや、君がブラインドになってんだから、村山が反応できるわけがない。

3失点目、コーナーキックから打点の高いヘディングが決まると、

家人は、微動だにしない村山を責める声を発したが、まるで八戸戦の二の舞。

キーパーとしては上背に欠ける村山の採り得る体勢はあんなもんだろう、とは思う。
が、それでもなんらかの反応はしてもらいたいよね。

上背うんぬんはともかく、好調時の山雅は、それなりのキーパーを擁した、と思うが、いまのやりくりは、果たして、どうなのか?

永井 堅吾を活かせなかった山雅から、進化していない?

……おおまかなゲーム様相は、挽回はしたものの、やはり沼津の攻撃性という大きな流れを遮断できず、そんなところ。

ポジションからして、それが当たり前なんでしょうが、

ボールを熱心に欲しがり、なんとか突破をもくろむプレイはやはり、

小松、菊井に濃厚であって、(おそらくは) 今季限りとはいえ、彼らを頼って闘う、ってもんか、あと6試合。

では。

愛鷹が,教えてくれた (沼津戦レビュウ❷)

沼津戦の敗北から、僕は、いろいろと学ぶものがあった。

ひとつ。

以前から、〈幸福〉は、人生の目的には成りえない、と思っている。

― 与えられた処で生きてみて、結果、気がついたら、肯定しうる人生だった。

そんな感慨を〈幸福〉と呼ぶのであるなら、それはあくまで、結果のひとつに過ぎない。

おなじように。

〈昇格〉を、クラブ(のやるサッカー) の目的にすることはできない。

つまり、〈昇格〉(戦う場)そのものを、クラブの存続と価値と、同じ天秤にかけることは間違っている。

せいぜい。

参戦ステージで頂点に立つ、または、より上位の戦績を残す、そのために戦う、これが目標でしょう。

ここをはき違えると、クラブ愛も、狭量、浅薄、貧困、騒々しくなってやり切れぬ。

いや。

果たして、そこに愛はあるんか?、みたいな、寒々しい世界にならないか。

ま、誰だって、昇格だけのためにアルウィンやアウェイに足を向けはしないから、釈迦に説法ですが……。

ふたつ。

〈完敗〉と評したのは、ボールを自分流に動かす局面で、おおかた沼津が優位に立っていたからで、

ひとによっては、これを、球際で劣勢、ボールを握れず、とも表現するらしい。

あるいは、しゃにむにボールにアタックすることを、〈泥臭い〉とかいって称揚する。

では、なぜ優位に立てなかったのか?

気持ち、気迫が、足りませんでした?

まさか。(相撲の立ち合いでもあるまいし)

沼津戦で、球際で負けた、とするなら、

それは、相手のほうが数段に、やるべきことへの集中と献身(=規律) において優れていたために相違ない。

なすべき一連のプレイが明確に意思統一されていれば、

それに備えながら、要は、次のプレイを想定しつつ素早く態勢に入るから先手を獲れるのであり、

ひたすら相手を止めるためのボールへの寄せは、すでに、その時点で後手を踏んでいる。

単にどちらに気力があるかどうか、といった、安っぽい精神論の次元でないことだけは、確か。

その点は、引き続き、レビュウ❸で。

では。