〈いつか〉などやって来ない (長野戦レビュウ❸のつもり)

ゲーム開始前、メインスタンドの2階席から、松代の方向を眺めると、

これが、なかなかの絶景。

地上に噴出した溶岩がドーム状に固まった(=火山)〈皆神山〉(みなかみやま)が目に入る。

萬年の母方の先祖は、松代の山あいの住人だったので、思い入れもあって。

太平洋戦争が敗色濃厚な中、

大本営、皇室、それに、中央政府の機能までも、この山の地下に移転しようとする、なんともケッタイな計画に着手していたが、それも、敗戦で、頓挫、消滅。

〈信州〉は、〈神州〉と読める、とこじつけの断末魔。

こういうことを、為政者が真剣にやっていたのだから、哀しくも、笑える話。

それから、きっかり 80年後。

そこから数キロ離れたスタジアムで、フットボールに、10,000人の観衆が集まっているとは、当時、だあれも想像しなかったはず。

では。

10歳以下の幼児をのぞき、ほぼ全員が鬼籍に入っているだろう、今から 80年後のいつの日か

はたして、ここで、なにをやってるんだろうか、人々は。

しかし。

僕らが、自分を変えられるのは、いま、今日、明日、明後日、せいぜいこの一週間の話で、

〈いつか〉なんてのは、決して来ない、架空の未来……。

Someday Never Comes (1972年 by クリーデンス クリアウオーター リバイバル)

これ、名曲だよね。

では。

活発な,不活発 (長野戦レビュウ❷)

開始 5分。

失点直後の、小川 大貴の反応をみれば、わかるように、

斜め右後方から入ってくるクロスを、野々村が、そのままやり過ごしたのは、

ここで下手に頭を出したら、オウンゴールになってしまう!、との判断だったのかも知れないが、

やはり、あの場合は、ボールに触って、弾道を切る、変えるの動作はディフェンダーとして当たり前、と思う。

それ以外に、守ることに関して、愕然とさせられる無責任なプレイはなかった。

で、攻める部分ですよ。

意図を完結できない、または、その場しのぎになっていて、そもそもやり遂げたいアイデア(の共有) がうかがえない。

そういうのが、(診方が浅いのかも知れんが) 観る側には、強い不満足を残すんですね。

その本流を繰り返しておいて、

今回は、ふたつだけ、感じたことを。

ひとつ。

左サイド奥は、

菊井 悠介がそこに入ってきて動く分、山雅にとっては、攻めにおいてアクティブなスペース。

ただし。

(おそらくは)そうやって使うぶんだけ、サイドバック樋口 大輝のゴールラインへの突貫と、クロス投入を弱め、不活発にしているのではないか。

ボール回しすることで、サイド突破をチャラにしている、といった塩梅で。

長野戦、樋口からのクロス投入ありましたっけね?

最近では、樋口の存在感は、ペナルティエリア内の、折り返しヘディング要員として。

それでも、悪くはないだろうけれど、

ゲーム当りのクロス本数が、昨季 17.3本(リーグ 4位)、今季ここまで、12.4(リーグ17位)、

また、

コーナーキック数は、昨季 5.8本(リーグトップ)、今季ここまで、4.5本(リーグ12位)。

このデータは、サイド突破の手法が、確実に衰退しているから、でしょう。

浅川 隼人の活用度が極少化したのは、クロス本数の減少と連動してます、きっと。

ならば。

クロスをむやみに入れずに、基軸が、ドリブル突破に移行しているか?、というと、

ドリブラーに呼応する人と連動性のかけ方が、少ないよね。

さぁ、どうする、これから。

ふたつ。

加入したての、川上、藤枝が、途中投入でありながらも、

それ相当に存在感を魅せる、ってのは、それだけの才能を選りすぐって獲った証拠、ではありましょうけれど、

かなりフラットな選手起用は、誰が出て来ても同じに戦えるから、と言われれば、ごモットモなんですが。

せめては。

ピッチ内の、阿吽の呼吸といったものの醸成を、どこかで、きちんと担保してください、と願うばかり。

では。

85分+α の過ごし方。 (長野戦レビュウ❶)

前回の直観的速報を、すこし、深掘ってみましょう。

……ビジター指定席を選ぶと、お隣の観戦者は選べない(当たり前)から、

すると、要らぬ雑音の中での、観戦となってしまうこともある。

今回のお父さん(50歳台?)だと、

ひとつひとつのプレイへの要求度が高く、つまり、おおむねが批判調で、

― ああやれ、こうやれ、そうじゃあないだろう。

さらには、ボールが、相手側においてつながると、

― 気合いが足りない、相手のほうが気持ちが入っている、と精神論を持ち出しての応援。

ピッチでたたかう他人の心情を、そこまで決めつけられるのは、無邪気な自己感情の投影に過ぎないのだが、

僕からすると、我がチームに気持ちがこもってなかったようには診えなかったし、大いに奮戦していた、と思う。

山雅のプレイヤーは、その点、ねぎらわれるべきだろう。

ただし。

結果として、開始 5分の失点を挽回できずに、そのまま、ジ エンドだった点は、今後の戦い方にも、大きな影を落とすから、

その後、タップリ残された85分の戦い方については、注文はつけたい。

簡潔に言えば

幸いにして、80分過ぎに失点したわけでもなかったし、

技量差を背景に、やがてはこっちが、ゲームのほとんどを、押し込む形勢へと移行したのだから、

リトリートして、しっかりと守備態勢をつくる相手をどう崩すのか?、

どこにスペースを拓いてシュートまでたどりつくのか?、そういうところが、

スカッとしないのが、実に不満なんですよね。

長野は、5 – 4 – 1 でピッチをまんべんなく埋めて守り、

対し、こっちは、同じ3バックではあるが、サイドバックが高い位置取りをしながら向かう。

すると、相手の 5人の間に、山雅が 3~4人と挟まれ、その後方から、菊井とふたりのボランチが周回してボールを動かしす格好。

いわば、3 – 3 – 4 の陣容。

三人のセンターバックは、相手のカウンターに備えながら、これも、前へと向かう。

長野の守備陣形が、連動性が良く、堅かった(ミゴト!!)ことはあるにせよ、

大内が挿し込むロングフィードについて

そこからどういうストーリイを展開したいのか、が不透明。

相手のセンターバックに競わせて、セカンドボールを回収するのならば、誰がどこに位置してして、そこへ獲りにいくのか、とか。

相手の裏へと入れて、ヨーイドンで競争するのならば、想来を、誰と誰ががサポートするのか、といった筋立て。

そういった狙いが、こっちからは、みえないんです。

ロングフィードが、状況ごと、いくつかのカテゴリーとして、チームに落とし込まれているんでしょうか?  (その必要を僕は感じますが)

たとえば、前半20分あたりからの数分や、後半の 50分台のような、ボールを保持し、動かして攻撃を畳みかける時間帯の、

いかにペナルティエリアに、人とボールが、割って入っていくかの方法論

たしかに、たくさんの手は試みられてはいたんだが、

やっぱり、物足りなさが残る。

菊井がワンタッチで前方に流すボール配球が、あらかじめ凱光に、どのくらい定番的な約束事として共有されているのか?

30分には、高橋 祥平から、菊井に、素晴らしい縦パスが通るが、

相手陣形の隙間スペースを、チーム(の共有アイデア)として、誰が起点で誰が受けるものとして、常に、虎視眈々狙っているのか?

……ロングフィードの空中戦、グラウンダーパスの多用。

これらは、いづれも使うべき武器でありましょうが、

その使用の裏に、個人の、その場限りの技量表現を越えた

チームとして、いつでも抜刀できる〈高度な再現性〉にまで達しているか?

プレイの意図が、ハッキリと伝わってこないこと、方法論の希薄さに、焦りを感じてしまう。

すべては、チームへの頼み事にはなりますけれど、

これから。

毎ゲームが、失望のカウントダウンとなることだけは、ご勘弁願いたい。

その一心でいるというのが、おおかたのファン&サポーターのホンネでは?

では。

いやぁ、参った (2025.7.19長野戦レビュウ 速報値)

スコア 0 – 1 の敗戦。

時間の制約があって、心ならずも、 85分でスタジアムを後にせざるを得なかった萬年ですが、

ゲーム後は、おそらくは揉めたんでしょうか?、ゴール裏で。

長野戦が、特別なゲームとも思っていない身からすると、

このゲームは、負けたこと自体は、とやかく言うつもりもなく、

着目すべきは、

なすすべのないような失点が無残だったのと、

これだけ、ロジカルに攻撃が組みたたらないのには、観ていて、参ってしまった。

やってる相手がどうのこうのではなくて、ゴールを奪うための、根本的な作り込み、思想(戦略)といったものが、この程度の出来では……。

先制されると勝てない症候群も、うなずける。

あらためて。

奈良戦が、たまたま勝てた、との評価となってしまうし、

これから、どうするのか?、が重い。

次節の岐阜戦に、指揮官の進退がかかっていることだけは、確かかなぁ。

では。

我が道を行け (長野戦プレビュウ❷)

パルセイロの、直近2ゲームは、

FC大阪、グンマとやって、つづけて、スコアレスドローだった。

山雅が一敗地にまみれたふたつとの対戦を、無失点で切り抜けているのだから、

そこだけにフォーカスすれば、そのサッカーの優秀性を認めるべきだろう。

ただ。

このスコアレス、ってやつが曲者であって、

長野は、我らとの対戦後、8ゲームを消化して、

得点 3、失点 5 (無得点と、無失点の試合が、ともに5つ)。

つまり、被弾をそこそこ抑止してはいるが、得点不足に悩む、ってのが、現状。

極論だと、パルセイロの喫緊の課題は、とにかくゴールを獲ること、それ以外にはないはず。

長野のゲームをほとんど捕捉していない僕だけれど、そのやりたいところは、おそらく、

〈ボールを保持しゴールに直結する速い攻撃〉〈相手陣内で主体的にボールを奪いに行く守備〉、と診る。

近年では、ボール保持を、もっとも高めているといったデータもあって、

その攻守を、3バックでやる。

……なんだよ、それだと、山雅と、大して変わり映えしない、とも言えて、

しかも、相当に攻撃的な意気込みでやってくるだろうことは、目に見えている。

……そうであれば。

乱暴な話、勝敗は、ほとんど、彼我の、個々の技量差で決まってくる

(その事情は、まさに、サッカーの原理かも知れませんがね)

目の前の相手を、出し抜き、はがし、(正当なチャージで)フッとばしてでも前進せよ。

山雅の戦士よ。

自分たちが開発し、磨き、たくわえてきた自流が表現されて、

そこに、責任有するプレイが継続すること、を願います。

なお。上記〈〉で示してサッカースタイルは、

2週間前、石丸 清隆氏を新監督に迎えた際の公式リリースで、FC岐阜の現場筆頭責任者がステートメントしたものの抜粋。
次節のホーム岐阜戦には、それを標榜するチームがご来松、という次第です。

では。