チュニジア戦(2022.6.14) に思うこと。

(時候の憶え、6/15 夏椿、開花する)

ナショナルチームのゲームが、昨夜あったなんて、知らずにいた。

朝食をしながらの、TVニュース。

― チュニジアに完敗、って言ってるよ、おい。

― なんでも吉田が、失点のほとんどに絡んみたいよ、と家人。

なんだ、萬年よりも詳しいではありませんか。

そこで、仕事から帰宅すると、JFAによるハイライト動画(3分30秒)を、ようやく観たんです。

そして、思ったこと。

緩慢な守備はいただけないけれど、主将の吉田を、ここぞとばかり責めるのもなんだかなぁ~。

むしろ、〈完敗〉の根本原因は、得点できなかった攻撃に在る、のでは?

0 – 3、のゼロ点のほうです。

このゲーム守備に追われまくっていたのかどうか知らないが、シュートは互いに8本づつで同数……か。

となれば、やっぱり、課題は攻撃ですよ。

右サイドからの、伊東の突破ばかりが、これでもかと目立つハイライト。

ならば、徹底的に右方のクロス攻撃を組織化、深化させれば良いのに。

誰がどうやって入ってくるとか、詳細を詰めているのか、いないのか?

伊東がクロスを上げている限りは、彼がシュートを打てないわけで、じゃあ誰が中で受けて、シュートを打つのさ。

チュニジアの3点目のミドルシュートは素晴らしかったけれど、ああいうフォワードの存在感を、いまのナショナルチームは持てていない。

どんと構えていて、ボールを呼び込んだらひと仕事して魅せるフォワードの名前が、今、とんと思い当たらないもんな。

要は、普段一緒にやっていないからこそ、決まり事をキチンとしておかないといけませんよ、代表チームは。

まぁ、当事者からすれば、そんなことはわかってます!、なんだろうけれど、ナショナルチームのことは、それぐらいでいいや。

とりあえず、憶えとして書いておきます。

では。

雷鳴の余韻に考えた (@ 藤枝戦)

今日6月14日は、24年前(1998年)、日本が、ワールドカップ本大会の初戦(対アルゼンチン)を、戦った日。

そのチームで、背番号#10を身につけていたのが、名波 浩(25歳)。

そして、#7中田 英寿は、21歳だったから、当時から若い才能の登用があった。

山雅にとって、ユース生え抜きのプレイヤーが、アルウィンで2ゴールを決める、そんな歴史的な6月11日。

― スタジアム観客席は避雷針などで守られてはいますが、むやみに立ち上がらないように願います。

場内アナウンスを聞きながら、激しい雨に打たれ、じっと座り込む観客の群れ。

これもまた、サッカーの流儀なんだと言い聞かせるものの、かたわらを雨がっぱの幼児らが帰っていく姿は、なかなか切ない光景、ではありました。

あの雷鳴の中、考えたことがひとつ。

最近、ホームゲームでは、コイントスに勝つと、必ずピッチを入れ替える山雅。

これ、ゲーム開始早々から、ひたすらホームゴール裏めがけて突入する、というゲーム戦略、プレイヤーへのメッセージなのか?

相手を、背後から圧倒的なアウェイ感に陥れつつ、冒頭10分間は、先制的に強圧な攻撃をかけまくる。

まづはそう突っかけておいて、今度は、相手の反攻に引くなりしてみせて、ゲームの流れをコントロールしたい。

そんなところなんだろうか。

ま、これをやれば、少なくとも、スローテンポで脆弱なゲームの入りは回避できる。

クルマのエンジンも低回転を繰り返していれば、やがてはスムーズに吹き上がらくなりますしね。

勢い込めて入って、それなりの前半を。
で、後半は、もろもろの修正を施しながら、強度を増してクライマックスへ。

……、真の狙いはわかりませぬが、北ゴール裏の住人としては、後半、山雅の侵攻がこちらに向かってくるのは、まことにありがたいこと。

ふたつめの考え。

こうやってアナウンスの繰り返しにつき合っているのも退屈、こんな時は、ブルース スプリングスティーンの『Thunder Road』(1975年発表) でも流してしまうぐらいの遊び心があったって、いいのになぁ。

地上波観戦の方からは、待機中はハイライトの繰り返しばっかり。飽いてしまって、TVを消したよ、という話を聞く。

で、ここは、ひとつその、雷鳴の道、を聴いてしまえ。

……カーラジオから流れてくるロイオービソンは孤独な連中のために歌っている。
僕はその中のひとり、そうさ、ヒーローでもない。
けれど、
この、どうしようもない敗残者たちの街(故郷)から、メアリーを連れて明日を見つけるために出て行くんだ……、という青年の心情をつづった歌詞。

ハイスクール卒業したての恋人、というセリフが織り込まれているから、季節的にも今聴くのが旬なわけ。

では。

パーフェクトなゲーム (2022.6.11 藤枝戦レビュウ)

(時候の憶え:6/12 馬鈴薯が開花する)

2 – 0 。

この一戦、雷雨の完勝、と記憶しましょう。

どこが完勝なのか?

ひとつは、強く、速く、ひたすら前へを、忠実に実践してみせた点で。

ふたつ。
藤枝myfcという攻撃大好きチームに、そのサッカーをほとんどやらせなかった、という意味で。

シーズン最高、とは言わないが、今でき得る最大限の、山雅スタイルの具現でありました。

前半10~30分は、藤枝に主導権を握られたものの、ほかの時間帯は、ホームチームが、ほとんどゲームの流れを制していた。

ボール支配は、藤枝が、60~70%だったのではないか?、と思いますが、そうさせておきながら、ゲーム自体は、こちらが握ってしまうところに価値がある。

中途半端にボールを保持せず、相手に持たせておいて奪取反転を狙うのが、山雅にとっては居心地は良い、というか、手馴れた感が深まっていますね。

4 – 4 – 2 の陣形から入って、それがやがて、1 – 4 – 5 (2 – 3 – 5)へと可変しながら、リジットに連動して手簿網を形作っている。

― こういう光景が、ふたたび確かに戻ってきた、そんな気がします。

前半、藤枝のミドルシュート(枠内) が目立ったものの、ビクトルが危なげなく、これを処理。

ペナルティエリア内から被弾したシュートは、ゲームを通じて5本でしたが、どれも枠内を捉えさせずに封じたんですから、パスで崩して、という藤枝スタイルは、結局、不発に終わった。

クロスや、セットプレイで入れられるボールは、すべてこっちが先手で対応したことも、特筆もの。

レフェリーの笛は、ひどく不正確で、いただけなかった。

プレイヤーの動作に、多分にダマされてしまうので、とるべきファールをとらず。
他方、シュミレーション的なものを、ファールと認定してしまったりで。

けれど、そのために、相手に多くセットプレイが与えられ、それがかえって、藤枝流のゲーム進攻を阻害したのは、皮肉な現象でありました。

それにしても、鈴木 惇という名手を抱えているからこそなのか、マットウなボール投入ばかりのセットプレイでしたね、藤枝は。

意表を衝くセットプレイをさかんに考えている山雅からすれば対応しやすいんでしょう、こういうのは。

鈴木を引っ込めた74分が、藤枝にとって事実上の終戦だった、と思います。

もちろん、相手にそのサッカーをやらせないだけでは、勝利は引き寄せられないわけですから、山雅の攻撃に、ひとつのランクアップが生じているのが得点に結びついた、と言えます。

このゲームでは、サイド侵入とクロスの質、これが良かった。

前 貴之のボレーシュートは残念ながら未遂に終わりましたが、クロスを上げたのは、田中パウロだったわけですから、先発起用に応える働き。

残る課題は、決定機をモノにすることか。

……、こう観てくると、先発メンバーのパフォーマンスは最高の出来でありました。

それが証拠に、いつもより、交代が10分程度後ろ倒しになったのもうなずけます。

背景に、適正、かつ、熾烈なポジション争いがきっとあるだろうこと。

それと、浜崎 琢磨もトレーニングマッチ(対新潟)で復帰しているようなんで、選択肢が豊かになりつつあること、を喜ぶとしましょうか。

では。

己を偽るな (藤枝myfc戦 プレビュウ 後編)

で、今回は、孫子でいう、〈己(おのれ)を知る〉の部分でございます。

❶ココロの浮き沈みは 無しで。
そもそも、精神論はあまり好きではありません。
が、それがプレー態度を左右しているのならば、言っておきましょう。

なんとかダービー、とか盛んに煽られると力みが入ったり、あるいは、相手が最下位で現在6連敗中だと、なんとなくタカをくくってみたり。

これらは、どちらとも、平常心を失って舞い上がった気分に他ならない。

たかだか13,000人で大騒ぎとは、聞いて呆れるし、はづかしい。

静岡(磐田vs清水)の場合、どちらかのホームスタジアムではとても間に合わず、エコパスタでやって、結果  30,000人超入るのだ。
……と、指揮官が思っているかどうかは知りませんが、まったく、井の中の蛙にだけはなりたくない。

たしかに、上のカテゴリーを経験したクラブではあるけれど、やらかしてしまったゆえの、我れらが現在地。

みづからを変えつつはあるが、まだまだ途上の話。

しかも、何が起こるかわからないサッカーのゲームとなれば、自分と謙虚を見失えば、プレイにも変調が生じるに違いない。

まぁ、メディアは煽るのが仕事ですから大目にみるとしても、周囲のファン&サポーターが、浮足立ってしまうのが、むしろ厄介です。

❷自分を突き詰めよ
強く、速く、ひたすら前へ、の信念とスタイル。

これを、見栄え、見た眼の良さを狙わずに、愚直、かつ、狡智に繰り返す。

変な錯覚は捨て去り、自己の磨きつつあるスタイルに忠実であること、それがすなわち、自分を知ること。

前へ、というのは反転攻撃ばかりではなく、守備に関しても攻撃的にやる、ということのはず。(指揮官もそうおっしゃっているかと)

むざむざとラインを下げた挙句、あれよあれよと懐に飛び込まれ、スペースをパスで交わされて、あえなく失点。

そんなシーンだけは、ご免です。

a) ボール保持に長けている相手、と認めたうえで、そのどこを衝くのか?
b) 攻撃態勢を採っている相手を、どのスペースを侵すことでひっくり返すのか?

とにかく、その部分を突き詰めてやるしかありません。

僕のイメージは、先の天皇杯二回戦における、先制点(by 田中パウロ)。

相手ディフェンダーのトラップミスを見逃さず、山本 龍平がボールを奪い取って持ち上がると、前走する田中にパスを通した、あのシーン。

ああいった奪取と、すばやい反転をいつでも発動できる動き。

ですから、、ボールホルダーを追いかけ、追い込むありさまが、どんなに他人様(観衆やTVファン)に無様に映ろうと、やり抜く。

相手に比べ、こっちが尖がっているのは、攻撃される回数の少なさくらい、と割り切ってしまえば、徹底するべきことへも着手できる、ってもんだ。

このところ目立つ、コーナーキック献上の多さ。
これ、見方によっては、クロス阻止を最優先している結果でもあるわけですが、
藤枝の場合、こちらにサイド(からのクロス)を意識させておいて、実は、パスで中央突破してくるんじゃあないか?

となれば、中盤の中央で、こっちがボールを(奪って)抑えて、即縦に速く相手ゴールに迫るやり方に活路を。

で、アルウィンの責任はたぶん、1,000人そこそこの観衆でプレイするのが日常なチームに対し、90分にわたって、断然アウェイの圧力をかけ続けることに尽きるのでは?

だから、ファン&サポーターも、自分にできる共闘を準備するのみ。

では、たとえ雨模様でも、アルウィンで。

彼を見据えよ (藤枝myfc戦 プレビュウ 前篇)

現監督の何が好きか?、というと、戦術で語るところだ。

だから、ガイナーレ鳥取戦のゲーム後インタビュウをよく読めば、それがそのまま、藤枝戦のプレビュウになってしまうんですよね、これが。

〈彼を知り己を知れば 百戦殆(あやう)からず〉

『孫子』(謀攻篇)は、論じられてから 2,500年の月日を経ても、いまだ有用な兵法書。

で、今回は、〈彼を知る〉の プレビュウ前篇。

チーム数の多さからなんだろうが、Jクラブはだいたいが毎季プレイヤーの半数近くを入れ替え続けている (稀な例外は、2021季の札幌くらい)。
(おまけに、監督も使いまわし)

だから、藤枝が例外という訳でもない。

けれど、15人が出入りした中、ヴェテラン(枝村、那須川、谷澤、森島) が引退するなどして、かなり強烈にチームをスクラップ&ビルドして、今季に臨んでいる感がある。

とは言え、1990年前後生れのヴェテラン(鈴木、岩渕、押谷) が要所に配され、彼らがチームの軸になって牽引、そこに、若手が活き活きと絡む、という構図だろうか?
もちろん、岩間 雄大も在籍だ。

ボールを持って、パスを多用(リーグ2位)して、相手陣内の奧、ペナルティエリアへと侵入(回数でリーグ1位)し、ゲーム平均15本(リーグ4位)のシュートを浴びせ、手堅く、枠内へと飛ばしてくる(リーグ1位)。

ドリブル回数は、リーグ2位。

でもって、クロスは、ゲーム平均18本(リーグ3位)。

これだけでもう、攻撃大好きサッカーが歴然、ではありませんか。

中盤でのショートパスが多いから、攻撃は、インサイドハーフ(鈴木、水野)のところが起点となって、左右サイドをえぐって侵入、しかも、折り返して、ゴール前のスペースを、小刻みなパスワークで割ってくる、そんな格好なんでしょう。

せめてもの救いは、プレイスキッカーの名手鈴木を擁しているわりには、コーナーキック、直接フリーキックが比較的少ない、ということか。

そもそもが、コーナーキック狙いではないのかも知れん。
あるいは、ファールされる前の、ボール離れが速い?

当方の指揮官はこれを、「湧き出てくる回数が圧倒的」な攻撃、と表現なさっている。

前節藤枝と対戦した福島は、前々節までの失点がたったの 3、それが、このゲームで一挙に 6失点。

堅守、なんて看板が一瞬で吹っ飛んでしまうような攻撃力に曝された。

ところが面白いことに、藤枝は、ボール支配60%であった前半に3得点していて、しかも、ボール支配が逆転した(福島が60%強)後半にも、3得点している。

これは、5点を失った福島が、ラスト30分で攻撃に転じたこと、それと、藤枝が大量点をバックに防御的になった(手を緩めた) ?ことによるかも知れないな。

が、とにかく、先制して相手を意気消沈させてしまえば、それこそ藤枝の思うツボ、ということを示している。

……、とまぁ、恐ろしいこと尽くしなんですが、では、これに対して、山雅はどうする?、は後編で。

では。