渇望、そして妄想。

国道20号線が塩嶺峠へと向かい、いよいよ上りがきつくなるあたりに、小坂田公園が在る。

ここに、新しく天然芝サッカー場を整備して、山雅のクラブハウスも併設された。

今後、定期的に? 山雅がトレーニング拠点として使用する。

で、その御披露目をかねて、5月21日、

vsマルヤス岡崎(JFL参戦) の、トレーニングマッチがおこなわれた。

リーグ戦が一週空いた日曜日、という日程取りだったこともあって、

山雅ロスを癒したい欲求も多くあったんだろう、1,000人をはるかに越える観衆がつめかけたらしい。

山雅に対する渇望が、これだけの人々を動かすのに、ふだん慣れっこになってしまった僕たちだが、

これ、やっぱり、尋常ならざる偏愛を受ける山雅、と受け取らねば。

で、練習試合のメンツについて、チームとしては、極力その詳細を秘匿したい感がありますね。

天皇杯、つづく第10節と、萬年視点からすると、かなり変則的、要は、本来的でない先発陣のやりくりが続く中、

それは、単なる特定チーム(長野とか)対策といった単純なことでなく、もっと根深い苦境、

違う表現をすれば、階段の踊り場的な停滞、という印象を受ける。

どうも、28日のレギュラーに関する青写真は既にほぼ固まっていて、

トレーニングマッチの先発は、当確線上、あるいは、登録に向けてプレイの出来を確認したいプレイヤーであったのか?

28日午前10:00、スタメンを覗くのがかなりしんどいのは、僕だけではないはず。

では。

パイオニアこそ,彼ら。

3部リーグにあって、いままでにない新しいサッカーに取り組んでいるトップチームはさておいて、

今の山雅で、未知の領域に挑む〈旬〉は、やはり、

〈松本山雅FC レディース〉、ということになろうか。

中学生年代の、レディースU – 15 は、5年の年月をかけて、北信越エリアでは、いまや、トップツーの一角(2022季第2位) を占めるまでになった。

(以前より萬年が指摘して来た) では、その中学生たちが高校生時代を通過し、さらに成年になる時、その受け皿をどうするのか?、という課題。

地域で一旦ことを起こしたら、その先の責任まで持たねばならぬのが、山雅。

その解決策として、今季、山雅レディースを発足させた、と考える。

(ここらの事情は、5/3のマッチデイプログラムに特集が組まれているから、ご高覧下さい)

それなりの準備はしてのことだろうが、既に〈北信越女子リーグ〉に参戦中。

正式なメンバーは、9人。

まるで、1974年頃の、池田高校(徳島県) みたいに。

で、不足分は、U – 15のプレイヤー(中学生)を転用、補充して闘っているのか。

星取表をみると、大量失点 (対リリーウルフ 0 – 7) のゲームがあったりするが、

その技量と、経験の差から、これからも苦戦が、いくらでもあり得るだろう。

が、そんなのは、もちろん想定内のはずだ。

大切なのは、松本の街を本拠に、前人未到の道を拓くこと。

というわけで今後、監督としてチームを率いる小林 陽介氏の采配に大いに注目しなければなりません。

では。

初夏の夜の夢 (決して正夢になるな)。

火曜日。

職場に来たドライヴァー(山雅サポーター,女性)が、(敗戦の憂鬱で) 夜眠れない、と洩らすから、

― 昼間、うとうとして事故しないようにね!、とお返しした次第。

勝手に応援していることであっても、敗戦の事実が、松本市中の交通安全にも多大の影を落とすことを、山雅には、わかってもらいたくもなる。

さて、不眠も辛いが、悪夢に落ちるのも、また辛い、というお話。

……元監督の反町 康治氏は、山雅ファン&サポーターにとって、Jリーグの水先案内人のような役割を果たした。

(徐々に整備してはいったが) どうしても不足しがちな戦力であっても、その強みすべてを活かすようなサッカーをやって魅せた。

持てるカードの限定という現実から、おそらくは、本来やりたいスタイルには背を向けた方法論を採用したのではないか、と察している。

山雅における、プロリーグ参入の揺籃期に、その手法がかなり巧く機能したことは事実であり、氏が、クラブ史上、多大の貢献をしてくれたことは間違いない。

だが、その離松以降、チーム創りには舵が切られ、数年もがきながらも、山雅は、次なる時代をたどろうとしている。

が、苦境になると、いまだに氏の時代が持ち出され、回帰論が説かれるのは何故なんだろう?

思うに、アルビレックスファン&サポーターにもかつて、同様の葛藤があったのではないか?、と推測したくなるが、長い雌伏を経て、トップリーグで戦う今季。

ともかくも、今季の賽は投げられているわけで、霜田山雅が成功を収められるよう、支援することが、我がチームの未来を拓く。

今、ここの山雅で花咲こう、とする指導者、プレイヤーを支えずして、LOVE YAMAGA と言えるのか。

花いちもんめを遊ぶ子でもあるまいし、あの子は要らん、あの子がほしいで、事が進むはずがない。

ところが、要らぬ雑音が増し、体制に軋みが生じると、成績も低迷に陥り、その結果。

霜田氏が、ついにその職から解かれると、現スポーツダイレクター 下條 佳明氏が、暫定監督に就任。

まさか。

おいおい、また、元の木阿弥、積み上げた石も瓦解なのかい?、と嘆息。

……と、ここまで来たら、目が醒めた。

今の夢、いったい、どのくらいの長さだったのか?、

ボンヤリと、ブラインドの外を見たら、空は青白み明るく、午前の 4時近かった。

では。

成長に目を向ける (長野戦レビュウ 最終回)

余談(ここだけの話)。

第10節の前座?、
パルセイロシュヴェスターU – 15 vs 松本山雅レディースU – 15 のゲーム。(2 – 0 で山雅勝利)

これを観ていて、山雅レディースの成長ぶりには、驚かされた。
山雅ファンからは、そのひたむきな奮戦に、かわいい!、との声が挙がっていたけれど、いやいや、

(対戦相手との技量差もあったが)  ボールへの素早い反応、アプローチの鋭さ、フェイクを入れたターン技術、前方への走り込み、それらに進歩の跡が歴然だ。

小林 陽介氏、グッジョブ!!
(翌14日のリーグ対戦でも、2 – 1 で勝利している)

さて、トップチーム。

今節は、野々村 鷹人の躍進、が目立った。

好調なんだろうか、プレイと繰り出すパスに、スピードが増していて、

特に、前方に位置する安東 輝に向け、縦にあれだけ狭い空間へと、鋭いパスを入れられるようになったとは、と瞠目した。

今や、野々村と常田 克人は、まづまづ安定的な、山雅センターバックの顔、と言える。

このふたりがレギュラーとしてより充実、沈着を見せれば、

その先、たとえば、サイドバックを追い越して攻撃参加をするぐらいのミッションだって、こなせるのではあるまいか。

なにも、セットプレイでの高身長を活かした空中戦の折り返しに、その仕事を限定する必要もあるまい。

つまり、そのくらいに、攻撃カードと方法論を上積みしなければ、攻撃サッカーの恒常性は実現できない。

ところで、何故、センターバックからボランチへの縦パスを称賛するのか?

守から攻一体のサッカーを行なうためには、ボランチ起点でボールを捌くのが、相手守備を、よりおおく左右前後に振り切りやすい。

が、長野戦では、ボランチから先のところで攻撃の形を創出できず、各個がそれぞれ単独ドリブル突破を試みては、相手の守備に引っかかってしまう。

これも、結局は、サイドへの展開を窮屈にされていたためなんだが、

ならば、攻撃の約束ごとを深めるしかあらず。

たとえば、米原が山本を狙って出した、スピードが甘く相手に渡ってしまったクサビのパス。
ああいうのを、オールマティカリイに再現できないと。

……とか、こんなことを、プロフェッショナルに向かって言っていいものか知らんが。

では。

【再掲】テストの予習どれだけした? (長野戦レビュウ ❸)

面白がって喧嘩する程度なら、これを、なんとかダービー、と煽ってもかまやしない。

それが、篠ノ井駅から歩いて数分の地で生誕した萬年のご意見。

幼少の頃から、長野、松本ふたつの場所を行き来した体験からすると、それなりの地域性はあったにせよ、所詮、山に囲まれたエリアの、五十歩百歩。

だから、互いの差異から〈風土〉を説き起こし、ふたつのサッカーチームに、それを背負い込ませてもね、って思う。

もっとも近い場所(80km)で活動しているチーム同士ならば、せいぜい、

〈仲良く〉しかも、洒落が通じる程度の摩擦に収めよ

なにかと底意地悪く山雅ファン&サポーターをイビりに来る南長野のスタジアムジョッキー氏にしたところで、

長年の間、3部にくすぶって来た哀切を、言われるほうの屈辱感を想定の上で、ここぞとばかりに晴らしているんだから、それはそれなりにBOOを浴びせて、優雅に対応するさ。(そうしていたけれど)

で、はっきりさせておくべきは、敗北したチームへの、かつてないほどの盛大なBOOのほう。

ゲーム後、アウェイ席のほぼ全体が、厳しい態度と怒号で溢れた。

もともとが、アウェイ席を占めたファン&サポーター多くは、普段から山雅の戦いぶりを観ていて、諸般やりくりし、相当な熱意を持って集まった。
(恩に着せてはいない)

たまたま、対長野戦、という舞台ではあったけれども、

本質的には、非常に低いクオリティのゲームしかできなかったチームへの叱責と、現地に居た者として受け取った。

― いろんな事情があったにせよ、あれはないぜ、山雅。
シュート4本(公式)、とは、聞いて呆れる。

山雅のエンブレムをつけて、箸や棒にもかからないようなサッカーをすることは認めない ―。

そういった意思表示だった、と思う。
(いくら罵声を飛ばしたところで、憂さは晴れないことがわかっていても、だ)

観ている者の勝手な感情移入があるから、〈戦う気持ち、気概〉を持ち出す議論も出てくるが、それ以前の話ですよ、これは。

長野のほうが気持ちが入っていた、というのも錯覚で、ああいったサッカー流儀なのだ。

とにかく、非難の喧騒は、マトモなサッカーを創れなかったチームへの不満表明。

たとえスタイルを打ち出すに、試行錯誤するのが我がチームの実力だとしても

君ら、一体、テストの予習をどれだけマジメにしてきたんかい?、と言いたいのだ、ファン&サポーターは。

その反応(BOOと罵声)は当然です、といったキャプテン安東 輝の表情が、僕のこころに残るけれど、

あの低品質な仕事を称賛された日には、やってる側は、かえって、皮肉で非礼な対応と感じるだろう。

テストで赤点をとって褒められたら、居心地が悪い、と同じです。

……、10ゲームを消化して、勝ち点が15。

で、目標からの 乖離は、勝ち点で 5。

困難でも、スタイル構築の仕事から逃げず、

もちろん、こんなことぐらいで、ファン&サポーターは逃げもしない。

では。