今を 楽しむために。(いざ,宮崎へ)

内容と結果、といった、不毛な議論に立ち入ろうとも思わないが、

このところ、

(鹿児島戦をのぞけば) スタッツでは相手を圧倒しまくっているけれど、勝ちをモノにできないゲームが、けっこうあった。

後で振り返った時、琉球戦がポイントのひとつになるとすれば、

あのゲームでは、ひとつの割り切りに徹したことが、大きい。

実はこの傾向、FC大阪戦でもあって、要は、できるだけ手数をかけずに、相手ゴールへ向かう、という決め事の徹底。

この辺は、相手の出て来かたにも左右される事象とは思いますが、

冒頭に戻れば、

ようやく、取り組み内容を結果へと持っていけるようになった、が正確な言い方なのかも知れない。

その意味では、霜田さんは、けっこう正直な人で、

やってる内容を継続して、もっと強いチームになる(決意)、がだんだんと姿を現しつつあるのだろうか。

(チームが強くなる、その根底は、各個の技量があがってきていることに尽きる)

今季ずっと言ってきたけれど、

なけなしの得点力を、守備の破綻を防ぐことでやりくりする数年来のサッカーには、もう飽いているから、

たとえ失点しても、その倍のゴールを獲って勝つ、これでいい。

だから、次節宮崎戦も、そんなサッカーをしよう。

で、自分流に、どこかに微調整を加えて、対宮崎初勝利を。

では。

メドが立った,と決めつける (琉球戦レビュウ❷)

ゲーム開始の1時間前ぐらいだったか?、息子から家人へと電話が入る。

― ひょっとしたら、スタジアムに来てる?

ご本人は、会社の同僚と現地観戦のご様子らしいが、こっちはとにかく、

病み上がりでもあるから、今夜は大人しくDAZN観戦だよ、と返したけれど、

とにかく、あの場で勝利の街を唄えたんだろうから、なによりであった。

ところで。

一昨夜の勝ちを、まさか? 〈泥臭い〉勝利、とか言い出す輩が出現するのかいな?

だいたい、その言葉の裏には、

お前の技量はせいぜいそこまでなんだから、あとは、なりふり構わぬ気持ちで不足を埋めろ、みたいな見下した視点が貼りついている。

そもそも、サッカーとは、使える武器はなんでも使うのが〈王道〉でもあるし、

おのれの技量に関して、限定的な見方をしていたら、成功は勝ち獲れるはずもない。

ということで、萬年式にいうと、

あの勝利は、タフネスとスマートネスに、裏打ちされたもの。

たとえば、パススピードが上がっているから、山雅プレイヤーのトラップ姿勢が、緊張感を余儀なくされ、おおよそ似たようなスタイルになっているのにお気づきか?

そういうのが、スマートネス。(巧く見せることにあらず)

あとは、フワッとプレイに入ってしまうとか、漫然と流れを相手に渡してしまいそうになった際に、首脳陣からの、あるいはプレイヤー同士で、

強烈なアラート(警告と教唆)を、入れ続けること。

……、まぁ、ヴァンフォーレとの練習試合(9/10)では、琉球戦の控え、選外クラスが鬱憤を晴らしているようでもあるし、

そこへ、パウロと安東 輝、このふたりの合流を画しながら、なんとか追撃のメドが立つのか……、となかば強引な結論、ということで。

それにしてもですよ、

あれだけドイツを粉砕してしまうナショナルチーム of JAPAN。

そのコーチであること、ってのはやはり、

名波氏の、指導者優秀性の、なによりの証明ということ?

ただし、ドイツのは、なんだかフワッとしていて、大味なサッカーでしたけど。

では。

〈幻〉と戦う愚かさ (FC琉球戦レビュウ❶)

同点とされるも、突き放して、2 – 1 の勝利。

内容、結果ともにグッジョブ、と評価したいゲーム。

準備してきたものを淡々と、しかも、手を抜かずに、チームは闘っていた、と思います。

村越 凱光のロングスロウひとつとってみても、〈実直に〉やってました。

そう、すくなくとも、チームは。

……というのは、いま、山雅界隈で煩わしいのは、

〈昔日の幻影〉に目がくらんで、チームの今をよく観ていない、山雅ウオッチャーであって、

実際は、リアリズムの眼でウオッチしていないからこそ、トンマな言説に走るんでありますが、

例えば、FC琉球について、あたかも、山雅キラーのごとくにジンクスっぽく言うなんてこと。

過去、4戦全敗したことは、事実。

けれど、今季前半戦における両者の出来を観たら、こういう言い方には、決してならないはず。

正確には、

どっちが勝ってもおかしくはないが、自己サッカーの追求という進化面では、山雅にかなり分がある、といった観測にならないとおかしい。

それが、もしもマジメなサッカー評であるならば。

考えても御覧なさい。

数箇月前ならば、このカード、

昇格筆頭候補による決戦、好カード、とはやし立てる向きもありました。

だが、今や、そうは表現されないところに、昨夜のゲームの重い基調があった。

つまり。

琉球には、2年前の凄みはもはやなく、

主に、前線プレイヤーの経験と個人技に依存するような、変に大人びた迫力の無さがめだつ。

数年間の2部リーグ暮らしが、かえって、チームの牙を削ぐ?、まさか。

主審の笛が適切でない部分も多々あったが、ファールまがいのインサイドワークは、時として、琉球みづからのリズムを崩していましたしね。

他方、山雅にすれぼ、まだひ弱さは残るにせよ、ここ4ゲームで仕上げて来た到達形を大切にしながら、サイドおよび中央を活かして前への傾斜力を強める、そんなチャレンジがあった。

結論からすると、

山雅による、自分のゴールからは、より遠いスペースでバトルを挑む、という〈割り切り〉、それが奏功したと診る。

ロングボールの思い切った蹴り出し、それによって相手を奥の方に押し込んでおいて、こっちは前を向いてセカンドボールを狙う、そんなやり方です。

それに付き合う格好で、琉球は、基底からの組み立てを棄てざるを得なくなって、その攻撃からは、リズム感が失せましたから。

では。

33% の生きかた (本日は琉球戦)

リーグ戦、残すは 13ゲームで、

ちょうど3分の1 となった、今。

怪我などによる離脱をやりくりしながらも、

ひとつ。

直近の4ゲームでは、先発メンバーが、まったく固定化して、4 – 2 – 1 – 3の初期布陣で戦ってきた。
(それによる戦績は、この際言い出すとキリも無いから、まぁ、どうでもいい)

ふたつ。

FC大阪戦では、山口 一真が途中投入され、夏の補強メンツがすべて使われるといった律儀さ。

今節も、これをベースにするんだろうけれど、注文したいことがみっつ、ありまして、

その、ひとつ。

ふたりのボランチと、スリートップ下のひとりで形成する、トライアングル。
ここの組み合わせ。

思い切って、菊井 悠介を1列下げて、安永 玲央と並べてしまう。

で、いままで菊井がいたポジション(トップ下)に、山口を据える。

こうすれば、おのずからボランチが高い位置へと競り上がるだろうから、より攻撃的なサッカーができる。

山口、菊井、安永。

彼ら3人は、いづれも、

背番号#10を背負えるほどのタレントであって、

3部リーグで、これほど贅沢な共存をモノにしているチームは、他にない。

ふたつめ。

息子に言わせれば、現在の山雅で、〈ドリブラー〉と呼びうるのは、菊井ぐらい。

彼の場合、ボールを収める一瞬にして、ボールと身体を絶妙な位置に置き、そこからドリブルに入る速度が、秀逸。

どこかでワンタッチのプレイを挿し込んでいく、そこへ更に、ドリブルで切り裂く、

そうやって緩急つけないと、なかなか局面を刷新できないし、そもそもワクワク感が生まれない。

どうでしょう?

ここは、来季を見据えてでも、田中パウロを復帰させる手(準備として)もあると思いますがね。

最後、みっつめ。

陣形のセンターラインの、基底部、つまり、ゴールキーパーの件。

ファーはなす術なく見切り、ニアは破られまくりの村山 智彦を、いつまで引っ張るのだろう。

後方から、あれだけ文句言われ続ければ、ディフェンス陣なら、

そこまで言うなら、ちゃんと止めろよ、くらいに思っているはず。

薄井 覇斗(流経大卒 2年目)をチキンと育てられずに、どうするの、山雅?

では。

優等生は,嫌いじゃあないが (遠い大阪)

てなわけで、前節は。

リアルタイムも、見逃しも、はたまた、公式ハイライトさえも、観る気にならず、遠い昔のことになった。

でも、まぁ、スタッツでゲームの流れくらいは知っとくか、と読んだら、

ゲーム冒頭の15分。

ボール保持が、〈え?!!〉ってくらい、予想を裏切り、極端に大阪側に傾くと、

立て続きの、2失点。

以降は、こっちが、ボールを握り返し、

クロス、シュートは、相手の3倍くらいを叩き込み、

2分弱に1回は、相手陣内深くまで攻めいったものの、ゲームオーヴァー。

 

……、相手による突貫攻撃の時間、土壇場が、ゲーム中どこにあったにせよ、

その強圧に抗しきれず、ゲームを落とす。

侵入されたら、マジメに、けれど、ついて行く守備のままに、ゴールをゆるしてしまう。

こういう展開を、前に、今季の〈勝負弱さ〉と書いた。

やりたいサッカーがあって、そのためには、技量に基づいて、準備したやり方、手法を積み重ねる、それは否定しない。

が、どうも、優等生の域を出ないのですよ。

(シュート本数を高め、かつ、枠内シュート率も高めているような、優等生的な努力、これは、もちろん評価)

ゲーム様相が、相手に利してグッと流れ出したら、

味方さえも欺くような、ナタの一撃を一閃、

要は、フツーならば〈悪手〉に見えるくらいの捨て球をカマすとか、やられ放題のちゃぶ台をひっくりかえすような捨て身、そういう発想がない。

よく言えば、勝負師的な、(相手からしたら) 憎らしさ。

勘違いしてもらっては困るが、こういうのは精神論ではなくて、

あくまで、方法論の話であります。

明日やってくる琉球戦にしても、

ゲームの〈肝〉を、こっちに手繰り寄せなくちゃあならない時間帯はかならず出現するはず。

見どころは、その時の戦いかた。

では。