あえて異質のサッカーで攻める(大宮戦プレビュウ❷)

大宮の強さは、前節のFC岐阜戦が、証明している。

後半は、岐阜の反撃に手こずったものの、

前半だけで 3得点して、クリーンシートで圧倒した。

(岐阜に) 2度追いついて、やっとこさドローに持ち込んだ山雅からすると、

大宮のほうに優位が存するは、自明。

ただし。

岐阜の完敗には、ひとつのカラクリもあって、つまりは、

カウンターを得意とはするが、パス多用で相手陣内に入っていく岐阜サッカーにとってみれば、

大宮は、岐阜にとっての、完成形でもあろうから、

アルディージャからするとわりと組みやすく、

かつ、岐阜のカウンターのお株を奪うような攻撃を見舞えばよかった。 

ゆえに、今節のゲーム、ポイントは……、

❶前線からのハイプレスを敢行する山雅に対し、個と連携の上手さで、その出足をはがす、かわすで、大宮は山雅のサイド深くへと侵攻するだろうから、

いかにして、はがされないか?、

たとえ、はがされても、2度、3度追いしてボールを奪回できるか?

陣形が、特に縦に緩むと、中盤にスペースが空くから、そこを使われて効果的なパスを、サイドに向けて、ゆるしてしまう。

ちなみに、大宮の得点は、〈クロスから〉がいちばん多い。

パス使用を極小化して、ひたすらロングカウンターを狙う手もある?

❷大宮は、失点の50% を〈セットプレイから〉喫している。

あまり被ファールは期待できないけれど、

出来る限り相手陣内の奧で、セットプレイ(含むCK、ロングスロウ)を獲るべく、深く侵入しよう。

……この2点。

後半のガス欠は、ほとんど心配ないから、

いわき戦のゲームの入りが比較的良かったように、

はじめから飛ばして、相手にストレスが溜まるような、長いハイボールを織り交ぜ、こっちのリズムをつくりたい。

では。

あまのじゃくと花ざかり。

やれ、桜だ、み吉野だ、と。

この時季、あたり前に過ぎるお題目で、陳腐なこと。

横を通り過ぎる時は愛でもするが、

わざわざ出かけて行ってまでして、観桜はしないかな。

と、うそぶいては、

新古今和歌集の〈冬歌〉のところをめくっていたら、

駒とめて袖うち拂(はら)ふかげもなし 佐野のわたりの雪のゆふぐれ   (藤原 定家)

が目につく。

おそらく、これは、

同歌集の〈春歌〉に収まった、親父である、皇太后宮大夫俊成 (=藤原俊成) の作、

駒とめてなほ水かはむ山吹の はなの露そふ井出の玉川 、を意識しているんだろうが、    (☞山吹の花に露がしたたる清流で、乗る馬に水を飲ませよう……の意)

なかなかに、技巧的な一首。(定家の得意顔が、目に浮かぶ)

袖に降りつもった雪をうちはらう馬上の殿上人(公家)、といっておいて、

瞬時に、そんな姿はみえないけれど、と打ち消してみせる。

ゆかしき華やかさの、突然の否定。

寂寥として暮れかかる、なにもない冬の野が、いっそう引き立つ効果。

作者が、言葉によって読み手を翻弄する手法のひとつだ。

調べれば、このネガティブなトリックはきっと、定家より前に開発されていると思いますが、

近くでは、石川 啄木や、寺山 修司も使っているから、

日本短歌、あるいは、日本的抒情に存する、根っこのひとつなのかも知れない。

では。