北の国で シンシアを。

画に描いたような夕立があった昨夜だった。

暮れていく外を眺めながら、『野良犬』(1949年公開)のワンシーンを想い出す。

犯人を追う緊迫を盛り上げるのに、叩きつけるように地を打つ夕立が、効果的に使われていた。

そして明日は、立秋。

だから、今年の便りは、残暑のお見舞い、だ。

街は、たとえ無残であろうと、いや無残であるからこそ、時の流れを刻んでいて愛おしい。

……とか思いながら、先日は、北の街で裏通りを歩きまわっていた。

こんな風景を拾いながら。

そして、ルノワール氏を泣かすのが、今回の趣向。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/6  15:54)
涙は心の汗だ ?
吉永小百合さん主演の「青い山脈」そして「狂った果実」の看板、いい雰囲気です。北の街の寂れた情景、心に沁みますね。あの古びた看板が真新しく耀いていた頃、貧しくても人々は娯楽に仕事に目を耀かせ生きていたように思います。生きるのに貪欲な時代だった。今はコロナ禍ではあるけれど、あの頃より生活は安定し心穏やかに生きられる時代。
けれど喜怒哀楽を出すこともいたって少なくなっている。老いのせいばかりではない。生きる情熱も希薄な感じだ。目をぎらぎらさせると言った感覚もない。それは、決して私だけの事ではないと思うのだが。
走りに情熱を燃やし私より遥かに濃厚な1日を送られるルノアール氏、「シンシア」を聞いて、それにまつわる過去の過ち?を是非聞かせて欲しいものです。

では、また。

福岡には エルトン ジョンが よく似合ふ。


昨日、職場で会うと、ジョー氏がニヤリと開口一番、

―北九州に負けたんです って?

ミクニスタジアムと海を隔てた対岸に産まれ育った北九男児のジョー氏。

彼から、いわれると、さすがにこたえる。

しかも、地元ではギラヴァンツなど、ホークス人気の後塵をずっと拝している、と聞かされていれば、なおさらのこと。

そのジョー氏がエルトン ジョンをよく聴いていたのは、福岡に住んでいた頃だという。

音楽は、人生のワンシーンや、暮らした街と結びついて思いだされることが多い。

バーニー トーピンは、とても些細な場面、気持ちのわづかな動きを、拾い集めるように詩に綴る。

まるで静物を愛でるように。

作詞における〈動〉のスプリングスティーン、〈静〉のトーピン……か。

今回は、『Your Song』を。

中田 英寿が現役の頃、ゲーム前にこの曲を聴いていた、と聞いたことがある。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/5 16:41)
福岡は魅力の宝庫。
北九州と言えば、私の好きな作家松本清張が生まれた所。(実際は広島らしい)
清張と言えば、福岡の香椎浜での官僚と女中の心中事件から始まる小説「点と線」。
JR香椎駅と、西鉄香椎駅を使ったトリック、そして当時の駅周辺の風景描写に心奮わせたものだ。
もう一つ、五木寛之が書いた「青春の門」筑豊編。
福岡に近い飯塚、田川辺りが舞台の青春群像小説。その地域は「川筋もん」と呼ばれる血の気の多い人が多いらしい。
高倉健さんもその辺りの出のようだが決して血の気の多い人では、なかったようだ。
1975年浦山桐郞が映画化したが、主人公伊吹信介の母親役の吉永小百合さんは、炭鉱で真っ黒になり働く気丈な役は自分のイメージと違うと出演を拒んだようだが、劇中、あの怪優小沢昭一に犯されるシーンばかりが頭に残る作品に、私にとってはなってしまった
福岡県は、日本の東側に住む者にとってはいろんな意味で大変魅力的な地。松本からならひとっ飛びで行ける。
是非、訪ねたい土地です。
では、また。

☞萬年より  (8/5 16:53)
エアポートからメトロに乗ってすぐにセントラル福岡、っていう立地の良さ。
萬年的には、北九州のほうが活気漲る感が強い。
どちらの街にも、歴史と懐の深さを感じました。
小沢 昭一については別の機会にでも。

☞ジョー氏 より  (8/6 15:50)
北九州の八幡東区から、3号線を真っ直ぐに車を走らせ、概ね1時間ちょい。
若い頃仲間達と、福岡の街へと良く出掛けたものです。
その車中で流してたのが、エルトン・ジョンや、ブルース・スプリングスティーンなどなど。
福岡の街中へ車を走らせてると、福岡独特の街の雰囲気に、エルトン・ジョンが良く似合うんです。
あれから何年経ちましょうか、あの街並みも、所々変わってるのではないでしょうか。
次に福岡を運転する時は、エルトン・ジョンはもう似合わないかもしれませんね。

ところで、萬年さん。
山雅VSギラヴァンツというカードは、自分にとっては正直複雑な気分ですよ(笑)

小倉っ子ジョーより

☞萬年より  (8/6 19:22)
追憶のルート3、なんてのはいかがでしょうか、ジョー 様。
ふうむ、国道3号とは、旧薩摩街道なのか。
歴史は深いなぁ。

演歌が チャレンジしていた時代

ルノワール氏に、
―『と・も・こ』もいいけど、『シンシア』などいかが?、とけしかけたら、
―わぁ、泣けてくる。というご返事。

で、今回は、そんなルノ氏に背いて、違うジャンルの話。

〈演歌〉という言葉、実体も突き詰めないで何気に使うことをお赦しいただくとして、萬年式エポックメイキングであった楽曲は、過去に三つ。

『函館の女』(北島 三郎 1965年)
伸びやかに上がり切る高音、その歌唱法はまるでクラシックを思わせるが、こういうのを鳥肌が立つ、という。

『襟裳岬』(森 進一 1974年)
この曲に森 進一が挑戦したこと、それをモノにしたことに価値がある。

『北の宿から』(都 はるみ 1975年)
歌詞が画期的。それをこの歌手が取り上げたのが、さらに革新的。
都 はるみにとっては当時、歌手生命を賭けるくらいの冒険だった、と思う。

いまでは伝説的地位を得ているが、いづれもチャレンジしていた、あの当時。

そして、チャレンジはすべて、北方の地が題材だ……。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (7/31 19:54)
素晴らしきかな昭和。
私鉄の駅の裏側、やや古びた居酒屋、スナックが軒を並べる一画が必ずあった。日が暮れれば、赤い灯、青い灯、会社帰りの私達を誘ったものだ。
そんな店には時おり、着物姿の若い女性がやって来る。持参の紙袋には自費で作ったのか、カセットテープが入っている。
その女性はやや恥じらいながら、だが歌い出すと肝がすわるのか、迫力ある声量で歌いきる。そしてテープを売るのだが、私達酔っぱらいはもちろんそれを買う。
お約束みたいなものだ。だが、そのカセットテープを改めて聞くことはまず無い。
多分、あの女性歌手が陽の目を見る事はなかっただろう。
「浮き世舞台の花道は表もあれば裏もある…あぁしみるねえー」(演歌の花道より)
また、あの雰囲気に浸ってみたいものだ。
では、また。

☞ルノワール氏より (7/31 20:52)
演歌がチャレンジしていた時代
吉田拓郎が森進一に歌わせて日本レコード大賞を受賞した
襟裳岬
だが拓郎本人の襟裳岬も素晴らしい
シンシア
これも拓郎とかまやつの曲
♪君の部屋のカーテンやカーペットは色褪せてはいないかい♪
45年前を蘇えさせる詩に感動を覚えます
これらを考えると演歌もフォークは歌い方が違うだけで詩が重要と思います

私の独り言
太田裕美の
木綿のハンカチーフ
の逆バージョン

赤 いハイヒール👠
が好きです
夢求め東京に就職したが
東京に馴染めず
挫折した彼女を
田舎の彼氏が
彼女を東京に迎えに行く
40年前の歌には
起承転結が
有りました

未明のリアルと夢想 (大宮戦プレビュウの前に)


……日付が木曜日に変わってすぐ、ふと目が醒めてしまった。

眠られずに、水曜日J1のゲーム結果を検索してみる……、

某NHKBSがあれほど若手FWを持ち上げてた横浜FC、0 – 4 でマリノスに大敗。
途中まで 2 – 0 とリードしてたベガルタは、 2 – 3 でフロンターレに逆転負け。
大分は、後半着実に加点されて、結局は、0 – 3 でグランパスに敗戦。

地力差は、終わってみればやはり、の結果を導いたようだ。

単にお金持ちになるばかりでなく、あわよくば勝つ、のサッカーから脱しないと、トップリーグで続けて戦うのはむづかしい。

とても他人事ではありません、山雅。

いま磨いているスタイルを突き詰めた向こうで、町田 也真人を再び誘ってトップリーグ参戦。

これ、まんざらの夢想でもない、という気がふとしてきた。

夏の夜の夢、で終わりませんように。

ついでに、この曲に浸る……。

青い鳥の翼の下に隠れていたい。
朝6時の目覚ましが鳴りませんように。
でも、朝は来て、カミソリは冷んやり頬に痛い……。

では。

エルトン ジョン祭り。

そのファッションセンスはとてもいただけない。

けれど、エルトン ジョンには好きな曲が多い.

『Tiny Dancer』(1971年発表)は、盟友バーニー トーピンによる作詞。
彼は、1970年に初めて米国を訪問。
この時のカリフォルニアの印象を、詩に定着しようとしたらしい。

〈小さな踊り子〉は、L.A.Lady(ロサンゼルスっ娘)で、ブルージーンズをまとう。

それから時は流れて、40余年。

カリフォルニアの人生をいくつか切り取って来て、この曲に乗せた動画が配信される時代だ。

まるで、ロサンゼルスへの讃歌であり、タランティーノ映画へのオマージュのように。

―人生に説明はいらない、ただ感ぜよ。

CVID-19で、陽光の下、何が変わったんだろう?

ところで、昔、友人のO君から聞いた小噺。
かつて日本の某女性歌手が、L.A..L,A.,L.A.、とある歌詞を、ラ、ラ、ラと歌ったとか。
― 他愛のないお話でした。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (7/17 16:28)
ネガティブな人間が考えるとこうなる。
シトシト降る雨の中、子供達が水溜まりで戯れる。梅雨といえばそんなものだった。
ところが、今は降れば豪雨、いきなり大きな災害となる。
地球環境の変化のせいだろうか。
地球全体を覆うコロナ禍。東京の感染者は増え続けている。武漢型、アメリカ型、東京型、ウイルスは進化しているようだ。
予防薬、ワクチンの開発はそれに追い付いていけるのか。
ロスの空の下、世界中の空の下、仕事に汗し、仲間と酒を交わし、音楽、映画、芝居そして旅を楽しみ、家族と心から笑い合う。
そんな当たり前の事が躊躇いなく出来た日々は、すでに過去のものに成りつつあるのだろうか…。
サッカーを良く知らない私だけれど、せめて今度の日曜日、チームが快勝しアルウィンの空に一筋の陽光が射すことを期待しよう。
では、また。

☞萬年より  (7.17 17:10)
悪意のある憂鬱が世界規模で襲いかかった、そんな表現が良いのかどうか?

災害、病災はかつていくらでも在ったと思いますが、人を諦めさせないような情報の伝え方が強烈になっている、そんな気がしています。
延命措置を施されて生かされてしまう、かつて好みを通じた者に追っかけて殺すほどに執着する、とか……。