しんみり聴くセルフカヴァー〈Brandy〉

Brandy ( You’re a Fine Girl )……。

ルッキンググラス(ロックバンド名)が、1972年にヒットさせた曲。

とある港町(ウエスタンベイ)の酒場で働く、ブランディという名の女性と、船乗りたちの物語。

いままでも、このブログで採り上げているのは、

つまりは、ブログ主が、偏愛してやまない曲。

今回は、曲を作った張本人のエリオット ルーリー (バンド結成者) が、

アカペラのバッキングコーラスをつけて、セルフカヴァーしているやつ。

南長野で聴いたリトルなんとかも、

それなりの歌唱力はたいしたものですが、

皆さん用意は出来てますかぁ~?!、的な声の張り上げには、

ジジイはついていけなくて、まことに残念。

むしろ、あれ、アカペラ(伴奏なし)で演ってもらったら、もっと迫力が出た、と思う。

で。

今の僕は、こういう洒落た編曲で歌ってもらうと、心が落ち着きます。

では。

キース ジャレットとは。

ジャズピアニストのキース ジャレット(1945~ )は、

病気によって、もはや演奏が行えない様子で、事実上の引退らしい。

たまたま愛車では、今、ケルンコンサート(アルバム 1975年発表)が流れていて、

それを聴いていると、

キース ジャレットとは、僕にとってどんな存在だった(過去形ですみません!!)のか? といった、

マコトに、形而上学的な問いが浮かんでしかたがない。

彼が紡ぎ出した音楽をすべて網羅して聴いた者でもなく、

青年時代のケルンコンサートは、格段に新鮮に受け止めた僕からすると、

ケルンと、マイバックペイジスと、マイソング、それとゴールドベルク変奏曲が、どうやっても、守備一貫してつながらない。

(仕事としての) 取り組みが、なんだかバラバラで。

もちろん、一貫するしないなどとは、まったくもって僕のタワゴトで、余計なお世話に過ぎません。

では。

黙々とすすめよ。

人口は減っているのに、世帯数は増えている。

要は、ひとり、ふたりで暮らす人々が多くなった。

独りで過ごしていたら、一日を黙っていることがもっぱらで、

メールのやりとりが多くなれば、尚更だよなぁ、

……とアタリマエの事に感心する自分に呆れている。

アウトドア作業が少ないので、

思い立って、身辺の整理に手をつけ始めた。

かねてから、2階寝室のガラクタをなんとかしてよ、との家人注文もあるから、

まづは。

書斎 (同居人いわく物置部屋) の本棚を空けてから、寝室にある書類をそこに持ってくる段取り。

10数年前に、書物の取捨を一度はしたが、また、やらねば。

先日は、本棚の 4分の1 を整理して、

それからと、数十年分を溜めこんだ給与明細を、全部棄てた。

念のために、ひとつひとつ明細であることを確かめながら、ゴミ袋に投げ込む。

或る時期などは、何か月も連続で給与明細の封を切っておらず、自分のいい加減な性格を思い知る。

ははぁ、この当時(長期で)は、こんな(少ない) 給料だったんか、

やりくりにはずいぶんと苦労をかけたなぁ、と自分にも人並み?の感慨が湧く。

松本市指定のゴミ袋が、一時間足らずでほぼ満杯。

人生の終末をみすえた整理を終えるには、あとどれほどのゴミを出すことやら?

では。

音楽が死んだ日。

夜明け前のこの静けさは、

やはり、すこしの降雪か……。

1959年の。

日付けが、2月3日にかわる頃。

アイオワ州(米国)の天候は、猛吹雪。

その中を、

バディ ホリー(1936~1959年)ら3人のミュージシャンが乗った小型飛行機は、

600キロ離れた次の公演地に向け飛び立ったが、悪天候と操縦ミス(事故調査による) によって墜落。

飛行士を含む 4人全員が亡くなった。

ロックンロールスターの事故死に衝撃を受けた、13歳の少年は、

やがて、自分が、シンガーソングライターとなると、

その日を、『音楽が死んだ日』(The Day the Music Died) と呼んで歌った。

その曲が『American Pie』(アメリカン パイ、1971年発表)。

……僕の心と体が震えたあの日から10年、いろんな連中が出て来て、その音楽とやらを演ってるけれど……(長い曲の歌詞の概要)

 

これから、何年経っても、この回想と追悼は、今日を選んでやるしかない。

ところで。

バリィ ホリーが、当時、どれほどの存在だったかって?

たとえば。

英国リヴァプールで、世に出ようと腕を磨いていた4人組が、

そのバンド名を、バディ ホリー&クリケッツ(コウロギ)に触発されて、

ビートルズ(カブトムシ)に変えた、ってことが、ひとつの証拠。

動画は、ドン マクリーン自身の歌唱です。

では。