上を向いて歩こう、という日本語題名がある。
けれど、ここでは、SUKIYAKI。
国境を越えて愛唱される魅力が在るらしいのだ。
それがなんなのか?、僕には、正直わかりませんけどね。
失恋の唄。
かつての嬉しい日々を、今は、泣きながら歩いては、星空を仰いで想い出す。
鼻濁音が、これほど耳に心地良いのは、この国ではもはや、かような発音が稀になってしまった、ということなんでしょう。
(ただし、あまりに鼻に抜くような歌唱法が、作詞者(永 六輔)の激怒を買ったとか)
では。
上を向いて歩こう、という日本語題名がある。
けれど、ここでは、SUKIYAKI。
国境を越えて愛唱される魅力が在るらしいのだ。
それがなんなのか?、僕には、正直わかりませんけどね。
失恋の唄。
かつての嬉しい日々を、今は、泣きながら歩いては、星空を仰いで想い出す。
鼻濁音が、これほど耳に心地良いのは、この国ではもはや、かような発音が稀になってしまった、ということなんでしょう。
(ただし、あまりに鼻に抜くような歌唱法が、作詞者(永 六輔)の激怒を買ったとか)
では。
凍った畑土に、鍬を入れていたら、
無理な力が加わったものとみえて、刃が、クサビもろとも、柄から抜け飛んでしまった。
土の中にまぎれたクサビが、どうしても捜し出せないまま、始めたばかりの作業も終わり。
新しくおろし立ての鍬だったのに……。.
にわか農夫の悲哀、というやつです。
こんなことを言い訳にして、ソファーに寝転がっては、好きな曲を聴いている冬の一日。
最近の寒さと同じように、心に沁みる旋律。
では。
こっちが勝手にやめてしまっても、
年賀状で、ご家族の成長など、近況をお知らせくださる方々がいらっしゃる。
まことに、ありがたいことだ。
で、年賀状をもらった僕は、7歳の児と連れ立って、近くの空き地で凧揚げを楽しんでいた。
真っ青な空に、赤いカイトの好対照。
帰ってくると、ソファに寝転がって、モンテーニュ(随想録)を読んだり。
― 我々は死の心配によって生を乱し、生の心配によって死を乱している。
― 本当をいえば、我々は死の準備に対してこそ備えているのだ。
……、これだけを抜き出すと、その言っていることが正確に伝わらないうらみもあるけれど、
それにしたって、聴くに値することを書いたものだ、モンテーニュ氏は。
バッハ生誕(1685年)の 93年前に、モンテーニュは亡くなった。
もしも、その音楽を聴いていたなら、どんな感想をもらしたんだろうか。
特に、ゴールドベルク変奏曲なんかについて。
その中から、隣とした第30番を、グレン グールドで聴いている。
では。
この前はジョン レノンのやつだった。
が、それでは片手落ち。
……ということで。
ポール マッカートニー (1942年~ ) の ベストファイブを楽しもう。
(1~ 5の順番は、順位にあらず)
1) Michelle (1965)
2) Lovely Rita (1967)
3) Honey Pie (1968)
4) Another Day (1971) ☞ アルバム『LAM』への格別な敬意を表し。
5) Jet (1973)
お気づきかも知れないが、女性にまつわる曲、つまりは、ラヴソングで筋を通してみたつもり。
こうでもしないと、ポールの数多な作品群から、5つはなかなか選りすぐれない。
逆に言うと、ラヴソングこそ、彼の真骨頂ということかいな。
では。
その年代の子を持っていないので、目的や、詳細なプログラムは知らない。
が、現在、〈英語〉(英語? or 米語?)は、小学生から必修の科目らしい。
児童諸君には、この科目をなんとか好きになってもらいたいが、
こと外国語については、否応なしに使わざるを得ない環境に投げ出されないと、駆使できるようにはならない。
この国に生活する限り、不幸にしてそういう環境に曝されるのは、100人にひとりも居ないだろう。
なので、日本の街角で、日本人が当たり前のように英語を操っている光景は、幸せなことに、これから100年経っても、おそらく出現はしない。
どうしても、そういう世界を求めたいならば、
そうだな。
高校生より上級の、日本語を除いた教科はすべて、英語を母国語とする教師を雇い入れて、英語オンリーで教えるくらいにしないと無理な話。
つまり、明治初頭の、旧制大学の授業を再現すれば、万事よろしいかと。
これを暴論と言うのなら、将来、ほとんど(日常会話として)使わない外国語の習得に、幼い子のエネルギーを、それも世代全体で大量に、費消させることのほうが、よっぽど、乱暴な話ではないか。
『More Than I Can Say』は、バディー ホリイ(1936~1959)が、生前準備していたが、急逝。
残されたバンド クリケッツが、バディーの死後 1960年に発表した曲。
歌詞は、こう始まって、それが繰り返される。
I love you more than I can say
I’ll love you twice as much tomorrow ……
比較級の表現を覚えて、辞書を片手に、こういう秀歌を楽しむ。
〈英語〉教育の目的は、そのくらいにするのが、身のため世のためだと思うんです。
僕はこの曲を、柳ジョージの (泣ける!) 歌唱で知った。
けれど、こういうのも、なかなか味わいがある。
では。