無題。

ほぼ麦秋の候。

麦秋も近い季節。

小津 安二郎の撮った作品では、

カメラは、人の腰からすこし下の高さに、ずっと固定されていて、

役者は、そのフレームの中を、

右から左へ、あるいは、奥から手前へと動いて演技する。

封切られた当時、それを観た日本人は、作品に描かれたことを、どのくらい身近、というか自分たちの生活に近い、と実感していたんだろうか?

めったに声を張り上げもせず、極端な生活を過すこともなく、そこには劇的なドラマもない、そんな生き方を。

昔の作品に触れるたび、最近は、そういうことがヤケに気にかかってしかたがない。

では。

変哲もない けれど 名曲 『Baby I Love Your Way』(1976年)

ピーター フランプトン (1950年4月22日生れ) が作った曲。

強烈な印象はないけれど、じわじわと効いてくる、そんな魅力があります。

本人の歌唱よりも、カヴァーにけっこう上出来が多いから、存在感が深まっているのかも知れない。

あるいは、同業者に好まれる楽曲なのか。

こんなピアノによる編曲も好きです。

時代的なこじつけを行なうのなら、煮詰まった60年代が終わり、もっとシックにやろうか、という70年代への流れ込み、そんな気分で好まれた?

では。

松本駅前に 喫茶やまが が存った頃。

六九商店街 (大手二丁目) に、喫茶店があった。

(たまり場、休憩処としての喫茶店は盛りだった)

井上百貨店の前を、松本駅方面に向かって、

翁楼(そば)を過ぎると、アーケード街を横断する。

そのまま、女鳥羽川沿いの道に出た、その左角に。

その名を想い出すのに、数週間かかって苦労したけれど、ようやく

〈ロアール〉という名に辿り着いた。看板のレタリングも、なんとなくだが。

そうだ、間違いない。

(僕が立ち寄る時は)カウンターの中では、女性がひとりで切り盛りしていた記憶がある。

ほかにテーブルが、あったかどうか、店にどんな音楽が流れていたか、は忘れてしまったけれど、客の多くは常連のようで、皆、学生の僕なんかよりは大人に見えた。

入り浸っていた連中がサッカーチームを作り、その水脈が、やがてプロチームに結実したおかげで、

半世紀後の松本の街に、喫茶山雅は、(奇跡的に) 復活した。

でも、あのロアールは決して蘇らないだろう。

時代は移ろいで、当たり前、今の今も。

では。

あと一世代が過ぎても。

今から30年後くらい、つまり、2050年頃になって、ビートルズの楽曲で聴かれているのは、

『Here , There and Everywhere』(1966年発表) あたり(他にもあるが!) なんだろうな、と思うようになった。

一世紀はもつであろう、その普遍性、と格好をつけて言ってはみるが、

現在、ビートルズを聴いている、たとえば50年代の人々が、その頃は晩年を迎えているのだから、当たり前といえばそれまでなんですけどね。

ふたりのジャズピアニストが、それぞれの流儀で演っているのを、しみじみと、雨の日にでも聴いています。

ふたりとは、ビージー アデル(1937~2022年)と、ブラド メルドー(1970~) 。

では。

いつもだったら、いま頃盛り?

季節の憶え、4/13、庭のハナミズキが、小さく開花。

見上げると、隣家のつばくろ(4/2飛来)が、電線に3羽止まって、こっちを見下ろしてなにやら話している。

山 雅治は、名前に、yamagaが紛れているから、馴染み深いのであります。

僕自身は、桜を愛でることも、観桜も、ほとんどしない無粋人ではあるが、

彼の作『桜坂』(2001年発表) はここ30年の中でも、かなり傑出した曲、と思っている。

失恋を語っている歌詞。

どの程度のつきあいだったか?、いまだ未練が残るようだけれど、恋の成就のためにどれだけ奮闘したのか、疎遠になって久しいのか?、そんなことは一切ぼかされている曖昧さ。

そんな不満も、卓越なサビのメロディーの中に消えてしまう。

面食いなのに、家人は何故か、この歌手が好きでないらしく、この曲を聴こうとしない。

少々真っ正直に過ぎるけれど、こんなアレンジだったら、オリジナルの臭みも感じずに、ココロに入ってくるのでは?

では。