上高地の顔に叱られるの巻


―萬年氏がブログで、二輪草として紹介した花は、このくらいの背丈でしょう?

ジャガー氏が、大人の膝くらいの高さで手を水平にしてみせる。

―そう。50センチほど。
とにかく繁殖力がハンパなくて、相方なんか目の仇です。

―やっぱりね、じゃあ、これですよ、これ。
二輪草はそんなに高くならないし、葉もギザギザでありませんからね。

……と、スマートフォンで画像をひとつ見せてくれた。

どれ、どれ、おぉっ、これだ。


その名とは、アネモネ カナデンシス (Anemone canadensis)。

キンポウゲ科イチリンソウ属。
アネモネとは、ギリシア語で〈風の娘〉。

―二叉一華(フタマタイチゲ)にも似てますが、あれは、北海道にしかないし……、とジャガー氏。

とにかく、これではっきりした。

上高地と、そこのニリンソウと、ジャガー氏には、この場を借りてお詫びし、これでさんぽうよし。

でも、いったい誰が、これをニリンソウと言い出したのかな。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より
我が家の平和を守るため (6/15 6:43)
写真を良く見たら、我が家の庭に秋の初め頃咲く、「秋明菊」に良く似ている。菊の仲間かと思っていたが、調べたら「キンポウゲ科イチリンソウ属」であった。あの見事な花は、実は萼片だそうだ。
花言葉は「薄れゆく愛情」だとか。どうりで我が家の庭にどんどん繁殖するはずだ。毒性もあるらしい。我が家の平和を守るため抜かなくてはならないだろうか。
では、また。

☞萬年より (6/15 7:35)
つーさん へ
外来種を、和名に合わせようとするためか、呼称の混乱があるような気がします。魚についても同様ではないでしょうか。
薄れゆく愛とは、深まりゆく空気感のことですよ、きっと。

正義は残虐。(麦秋の頃かつて)

六四事件から、ちょうど32年の日、相方が急に、

―あの日、あなたさん、黒いタイを締めたのよね。

ほぉ、当人はまったく忘れていましたよ。他愛ないもんだ。

年齢を加えた今では。

人民〈独裁〉の体制下。
独裁なんだから、ああいう収拾はフツーにありだよなぁ、と思うようになった。

たとい、自由主義の社会であっても、正義とやらによる断罪のむごさ、これは日常茶飯のことだもの。

  法の盾と正義の名の下に行なわれることほど残虐なものはない。

                       by モンテスキュー

ただ、それが自由主義であろうと、独裁体制であろうと、そこに在る人種(民族)間の不当な扱いには、同じ態度で臨みたい。

一方は気軽に論評、他方は知らんぷり。
それはないでしょう。

では。

〈コメント〉
☞つーさん  (6/14 6:34)
的を得ていないコメント
敵側から「捕虜の中から1人女を差し出せ。」との命令が来る。所謂、普通の女性達、兵隊達が「あなたはそんな商売してたでしょう。なら平気よね。あなたが行きなさいよ。」と捲し立てる。その女性は、恐怖で涙し震えながらも行かざるを得なかった。
昔読んだ本に、そんなシーンがあったのを何故か思い出した。
では、また。

上高地を 想ふ。

―これだけ人間が訪れないんだから、いまごろ上高地、楽園化しているんでは?

―いろんな意味で、生態系がくずれているかも知れませんね。

COVID-19で、ガイドの仕事が皆無になって久しいジャガー氏との会話。

山系によっては、梅雨明けを待って開業する山小屋もあるようだけれど、今シーズンはもうやらない処もあるとか。

テント背負って単独行で入山、という手があるが、各県は山へは来てもらいたくないんだろうし。

となると、ターミガン(雷鳥)。

人間の邪魔がなくなって、セイセイしてるんだろうか?

せめては、庭に盛んに咲きだした二輪草に、上高地を夢想しよう。

 

では。

 

それが 良識……。

9月入学、つまり、9月に新学年が始まる制度の導入が見送りになったようだ。

きわめて常識、というか良識的な判断でありましょう。

4月に新年度が始まるのは、ひとり学校だけのことではない。
学制だけイジれば良い、というのは、まことに浅はか。

軽いアタマが言い出したつまらぬ事案につき合わされるなんて、政府や官僚は、なんともお気の毒。

それでも政府は、海外留学の利便性もあるゆえ、長期的に検討していく、との報道が目につく。

やる気もないのに、とってつけたようなエクスキューズをするのはいけません。

全体の8割が、外国の学校を志向するような世情なら別だが、一握りの者たちのために、日本の学制全体を変えるとは、正気の沙汰じゃない。

フィリピンや南韓のように、米国在住権の取得願望が抜きがたい国民性でもないのだから、そんな世界は来るはずもないのに……。

では。

立原 道造 のタッチ。

立原 道造(1914~1939、詩人)は、東京帝大工学部建築科の卒業。
新進建築家としてデビュウした矢先、肺結核によって他界した。
信濃デッサン館(上田市)には、彼に関するささやかな展示室がある。


原稿用紙に書き込まれた詩文 (1934年11月頃の作)。



秋元邸新築外観デッサンと、平面見取図 (1938年5月6日)。

撮影禁止だったが、そこは倫理観乏しき萬年のこと、かまわずに盗み撮った。

ひっそりと小さな住居の考え方は、当時でも異色だったとは思うが、80年経ってさらに魅力的だ。

デッサン館はけれども、今は無期限で休館中であるから、読者諸氏に来館をおすすめできないのが、まことに残念なのだ。

では。