煤払う日の 訃報。

一念発起した? 家人が、居間やキッチンまわりの整理整頓に着手していて。

かなりすっきりした空間が生まれ、喜んでいる。

ただ、文具や日用品が、ほとんど仕舞われてしまったので、これから、その在り処をいちいち訊かないと、ちょいとメモさえできない。

そんなことから、話題が大掃除に及んで、

― 年末の大掃除はね、あれは、新年に神様をお迎えするための神事なんですよ、と家人。

(そうか、盛大に掃除するだけだったら、なにも寒中を選ぶ理由はないわけだ)

― なるほど。でもね、宗教心皆無の日本人には、通用しない話だな、今や。

昔の江戸の街では。

年の瀬の煤払いは、12月13日と決まっていて、江戸城から始まり、武家屋敷、商家、庶民の家に至るまで、この日に皆が大掃除をやった。

   あくる日の  夜討ちもしらず  煤払ふ

翌14日未明。

赤穂浪士のテロによって主が殺害された吉良邸。
その御屋敷でも、大掃除に追われていただろう、という川柳。

ところで、昨日、仕事中に。

ジョー氏が、佐藤 蛾次郎 (俳優) の死を教えてくれた。

寅次郎マニアの彼にしたら、ココロにまたひとつ風穴が空いたようなものか。

訃報の話題ばかりだよなぁ、最近は。

でも、こんな曲で、現世の終わりを奏してもらう、ってのもいい。

そう言えは、ここで素晴らしいソロを演っている、ピー ウィー エリスも、昨年、この世を去っているんだった。(1941~ 2021年9月23日)

では。

滅び去るものにカネを使う愚。

滅びつつ  ピアノ鳴る家  蟹赤し      西東 三鬼

転職して数年、つき合いの範囲もぐっと狭まり、日常も夫婦ふたりとなり、

頃合いをみて、2022年分で、年賀状のやりとりから足を洗った。

昨年末に喪中の挨拶をいただいた御方には、今回、その旨ご挨拶を申し上げることにしてあるから、年賀状は4枚ほどしたため、それで終了。

すこしづつ 生活身軽にしていって やがて迎えん〇〇を

……、とか思っているんです。

こんなささいな個人の話はともかく。

社会全体が、滅び去っていくのが自然な事がらに、手間とおカネを使い過ぎている。

たとえば、人生の終末を迎えつつある世代をより手厚く延命させようとして、社会的な資金を多く投入するような制度の数々。

高齢者介護の分野にビジネスチャンスあり、で走った結果、ハコモノ、訪問システムが僕らの周りにはやたら横行する。

長幼の序を重んずる、社会的貢献への感謝、これは、決して否定しない。

けれど、ムリな延命、過剰すぎる看護がご本人と家族にとって、果たして幸甚なことかどうか、考える時期に来ているのでは?

生物的な摂理にあらがうのもいい加減にしないと、当人、および、次の世代の負担やしわ寄せがはなはだしい。

批判が怖くて誰も言わないけれど、感じているのだ、日本人の多くは。

ところが、来世を想定するような宗教を民族的な根底に持っていないのが、日本人。

だから、現世への見限りが、整然と社会共有されることがない。

つまるところ、現世にしがみつくばかりの規範はなくならないだろう。

昔、シナで近年、万里の長城の石垣が年々消失している。
で、その原因が、周辺の住民が建築資材にするためせっせと持ち去っているから、というニュースを読んだ。

単なる石積みを、文化遺産などといって死守するよりも、現在生きている者の糧にすることのほうが、よほど文明的な生活、と僕は思っている。

もちろん、ご高齢者の存在が無価値、というつもりは毛頭ありません。

では。

【ご参考まで】これも詐欺です。

一昨日のこと、僕の携帯電話が、ショートメールをひとつ受信した。

その内容を、一部、*で番号を伏して、そのまま転載します。

差出人 090 9071 ****

NTTよりお知らせ
ご利用料金につきましてお話したい事が有ります。
本日中に
050 – 3635 – ****
こちら迄ご連絡下さい。

NTTのホームページには、ショートメールでお客様にご連絡することはありません、と在る。

ですから、これは、真っ赤な詐欺メール。

けれど、こういう文面を受け取ると、焦ってか、あるいは、機械的にか、コールバックしてしまうマジメな御方がけっこういるんでしょうか。

〈本日中に〉と、相手に時間的な余裕を与えないのが、この手の詐欺が採る常套手段です。

テレビでお馴染みな、あのやり方。

オペレーターを増員、番組終了後30分以内にお電話下さい、とそう変わらない。

では。

思いっ切り演ってくれ『Stand by Me』

チュービスト (チューバ奏者)の御方から、ご厚意でコンサートのチケットをいただいたのは、かれこれ、2年前のこと。

その方が所属している楽団の演奏会のやつだったんだけれど、COVID – 19の自粛騒ぎによって、結局は、中止になってしまった。

その後も、演奏会は復活していないようだ。

あれから、それなりの月日が経った。

だが、僕たちが、現在やらされている、この流行り病対策は、だらだらと惰性化していて、とても科学的でもないように思われるし、

ただあるのは、ワクチン打って、のそれだけ。

なにかにつけて制度的にも手厚い保護を受けているご高齢の者は、大人しく粛々と、その勧告に従っている。

けれど、一体この先、どれだけワクチン打つのかいな?、とその胡散臭さに気づいた者がだんだんと増えているから、接種率が一向に高まらないようだ。

という僕も、繰り返される〈波〉議論にうんざり。

ワクチン漬けの乱暴さを疑っている者のひとりだから、舞い込んで来た接種勧奨の葉書は、そのまま打っちゃってある。

さて、名曲『Stand by Me』(1961年発表) は、僕のそばに居ておくれ、と訳したくなる。

けれど。

動詞 stand には、~の側につく、~を支持する、という意味が込められているらしい。

となると、〈僕を支えておくれ〉くらいの気持ちで聴きたい。

ブラスには、たまった憂さを、楽しく吹き飛ばす効能があるようです。

では。

山雅を気づかう 埼玉県人。

昨日、僕は日帰りで、浦和市に出かけた。

埼玉スタジアム2002で開催 (11/16 19:30~ )の、

浦和レッズ vs アイントラハト フランクフルト (ドイツ1部) のゲームを観戦するためでは、

もちろんありません

旧友の、K君、O君と3人で、別所沼公園の陽だまりの中、秋を楽しんでいたのだ。

別所行の目的などについては、またの機会にご報告するとして、

K君をとおして、僕が松本山雅のファンをやっていると伝え聞いていた O君 (所沢市在住) 。

事前に直近情報を下調べしたらしく、

― 山雅、今シーズンは残念だったね、と慰めてくれる。

― でもね、最後まで手に汗握らしてドキドキさせてくれたしね、と僕。

― ところでさ、名波さんは続投なんだろうか?  契約のからみもあるんでしょうけど。

― うん、僕としては、3年くらいはかけて、じっくりやってもらいたい、と思う。

― ジュビロを昇格させたのも、足かけ2年かかった?

― 今年にしたって、自分の望むメンツが大勢を占める中で闘っていたわけでもないだろうから。

(強化部がそろえた現有勢力で結果を出すのが、現場指揮官の使命とは言え、

やはりそこには、指揮官の意見吸い上げや摺り合わせが必要だろう。

監督が、プレイヤーのチョイスの分野で、それ相当の影響力をクラブ内で持つには、ある程度の年月は必要ではあるまいか)

……、とまぁ、こんな会話を交わしていたんだが、

O君は、かつて10年ほど浦和レッズのシーズンパスホルダーであったほどのサッカー通でもあるから、

大宮NACKスタジアム、清水IHIスタジアムでも観戦歴があって、スタジアム談義などで話が尽きない。

で、来週からのカタールワールドカップに話を向けてみた。

すると、既に、対戦相手と日程が頭に入っていて、O君なりに(かなり緻密に) 、ゲーム、および予選突破のためのシュミレーションをしてあるようだ。

ならば、日本代表のゲームレビュウを、その都度彼から聴取してみようかしらん。

すべては、こっちのリーグ戦が終わってからにはなりますが。

では。