揺るぎなき自信のようなもの。

今日、職場で、ジョー氏から聞いた話。

家で、相方が観ていたので、

一緒に、オリンピックの、女子卓球の団体戦を観ることになった。

そこで印象に残ったのは、

中国選手の、たとえ、セット、ポイントを落としても動じないプレイぶり。

あぁ、この対戦は、中国が獲るだろうな、と思っていたら、

やはり、中国が勝利して、優勝した。(日本は第2位、でも、たいしたものです)

こういうのを聞くと、なるほど、と思うわけなんですが、

場数、経験、自己と相手の技量差の読み取り、いろんな要素が、

ポイントひとつひとつのシーンになって、かつ、ゲームの流れを引き寄せる力量が、結局は、モノを言うんでしょうかね。

聞けば、日本人プレイヤーはかなりの若年で、4年後は楽しみだね、とジョー氏。

卓球という種目。

ポイントひとつごとに、握りこぶしのガッツポーズと、素っ頓狂な声を張り上げるのが、なんとも美しくないのだが、

そういう仕草をマスターするのは、どうでもいいから、

とにかく、テクニックに裏打ちされた、したたかさで魅せてもらいたい。

では。

山雅やま部を,ひそかに応援する。

たまあに見舞っていた(寝たきりだった)、中学時代に担任だった御方が、この6月に亡くなった。

訪問の約束をとろうと電話して、そのご逝去を知った。

ご自宅に弔問にうかがい、遺骨を前に、奥様と、亡き人の想い出など話す中、

― わたしね、蟻(あり)高の山岳部だったのよ、とおっしゃる。

なるほどね。

故人は、大町山岳博物館長を務めたくらいに、

山々や、高山植物には造詣が深かったから、初耳ではあったが、連れ添う女性との出会いが、なんだか鮮烈に、腑に落ちた。

ただし、僕自身は、師に違背したわけでもないが、

登山を趣味にすることもなく今日まで至る。

ま、今の住処と暮しが、玄関を一歩出たら、即、高原のようなものだから、

庭にシート敷いて寝っ転がれば、それが、そのままアウトドアアクティビティさ、と広言している。

たとえ、ちょっと近くの野山に出かけるにしても、アウトドアの本質とは、

〈何を持っていかないか、または、何を捨てて自然に入っていくか〉に在ると思っているので、

快適で、至れり尽くせりの道具に囲まれた活動には、無縁でいたい。

で。

この度の、山雅やま部 (登山部ではない) の発足。

その趣旨には、したがって、おおいに賛成。

けれど、独行好みの萬年ゆえに、秘かに応援することになりそう。

では。

TV画面よ,TVよ (パリの憂鬱)

始まってみて、思い知ったけれど、

毎朝、TV画面がもはや、出勤前の時計がわり、とならない。

パリでやってるオリンピック中継に番組が占拠されていて、現在時刻がつかめないのだ。

……この不都合が、しばらく続くのは、どうしようもないか。

サッカーは、フルタイムのゲームを観るほど興味が湧かないけれど、

ハイライトシーンは、自然と、眼に飛び込んでくる。

男女ともに、グッドゲームを闘っているようだから、喜ばしいことだ。

僕が、特に印象深いのは、

男子の場合だと、23歳を超えるプレイヤーを何人か使える制度(オーヴァーエイジ枠)があるはずだけれど、

今回のナショナルチームは、そんな、ケチな手段を採用していないらしいこと。

ゲームの勝敗そのものより、OA非招集に、

世代を追ってタレントが次々と出現している事実が証明されていて、嬉しくなります。

(といっても、もしも戦績が芳しくなければ、メディアは、非招集の責を追及するんだろうから、なんとも)

ついでに、女性の、対ブラジル戦のハイライトを覗くと、

ゲーム終盤に、絶妙なロングシュートが決まっての勝利(しかも逆転)。

サッカー人生にあって、そうは(2度と?)ないような美しいゴールだろうが、

決めた時間帯などから、これを観て、

最後まで諦めない好見本、みたいな言いようが予想される。

けれど、おそらく。

プレイヤーは、引き分け(ゲームプランとして)で終わろうとしていない限りは、笛が鳴るまでは、勝つために闘っているわけだから、

諦めずに観ていて良かった、という観戦者の感情を投影するあまり

あたかも、それを、やっている者の(必死な)心理として表現するのは、いかがなものか?

こういうのは、原因と結果の法則、の吟味されない当てはめ、に過ぎないから、事実の歪曲にも、つながりかねない。

まぁ、しかし。

すべてのプレイヤー達には、ゲームに没頭できる限り、時間を楽しんでもらいたい。

あいも変わらぬ、メディアの〈メダル病〉的な報道など、どこ吹く風で。

では。

どのように生きるか?

ひとつ。
私は、なぜ、ここに在るのか?

ふたつ。
私は、なぜ、生きなければならないのか?

これを、まったく考えなくたって、僕らは毎日を、生きて過すことはできる。

が、ふと。

魔が射すと、こんな自問をすることもあるだろう。

問いふたつ、への答えの中身はともかく、

ひとつめは、宗教に、ふたつめは、哲学にその役目を負わせるべきことが、

この年齢になって、やっとわかるようになった。

さて。

宗教と哲学に鍛えられて辿り着きたいのは、

今、ここに生きていて、

私は、どのように生きるのか?、を知るに尽きる。

もちろん、自問などしなくたってかまやしない、

自分を偽らず、実際に、そう生きていれば。

では。

どうして,軍艦 ?

― 海苔でぐるりと巻いた、この寿司、なんで、これを軍艦と呼ぶのか?

昔(20世紀のはじめ) のバトルシップ(軍艦) は、こういう姿をしていた。

(iPadで、画像をみせながら)
黒く寸胴な船体を横からみたら、ほら、イクラ巻きによく似てる。

これはね、日露戦争(1904~05年)の、連合艦隊の写真。

日本海海戦では、ロシアのバルチック艦隊と交戦して、ほとんど全滅させてしまった。

で、これが現代の軍艦。

イージス艦といって、米国が建造した、コンピューター制御をふんだんに使った、最新鋭船。

舳先がこんなに突き出ていてスマート。甲板上は、箱の塊で、素っ気もないね。

機密で、高度な技術を多く搭載していから、米国が信用している国にしか売ってくれない。

たしか 6つの国くらいで、日本は、そのひとつだよ。

 

……寿司に関する知識から始まってのいろいろを伝授しようとしている者よりは、

その話を、我慢してきいている 8歳男児のほうが、もちろん、

格段におとなであることは、間違いない。

では。