
レオナルド ダ ヴィンチ(1452~1519年) 。
この名を知っている人は、ずいぶん多い。
けれど、あぁ、絵画モナリザの作者か、で済ませがち。
だが。
その生涯をざっとみると、画才のみか、その才能は、極めて多領域に発揮されていて、
もしも、モナリザ制作に精力を注ぐことなどせずに、
当時の、都市国家の君主いづれかにでも雇用されて、
国家における、設計建築、軍事/外交から民生にいたる統治(行政)、さらに、芸術文化のすべてを含んでのプロデューサーの職に就いていたら、
かなり面白い歴史的な遺産をみられたかも知れない、僕らは。
……つまらん夢想はこれくらい。
で、彼は、こんな言葉を残した。
自分が、如何に生く可きかを学んでいると思つてゐる間に、自分は、如何に死す可きかを学んでゐたのである。 (訳 芥川 龍之介)
大正初めの硬い翻訳文を、いまふうに言い変えれば、
自分では、どのように生きるべきかを究めようとしたつもりが、
なんのことたあない、どのように死ねばよいのかを学んでいたのだ……、となろう。
誰にでも、(すくなくとも一度の)死が、いつかは、訪れるからこそ、
いま生きている人生(=瞬間、瞬間の堆積) に価値が生じること。
これに、ダ ヴィンチが気づいたのは、いつ頃だったんでしょうね。
それから200年後。
『葉隠』の著者(1716年頃成立、佐賀藩士山本 常朝の口述を筆録)もまた、
同様な真理に辿りついて、
〈武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり〉とする。
これを、ただただ、死を厭うな的の特攻精神と、誤ってとらえたのが、
国家、天皇陛下のためには命を棄てよ、とされた、あの当時のこと。
ところが、1945年8月を境に、今度は、
どんなことをしてもわが命を棄てるな、我が身が一等大事、と振り子が真反対に振り切ってしまってから、80余年。
結果。
今の日本人には、生物学的な生命第一主義の死生観しか存在しないから、
命を賭してでも事をおこなえ、などとやったり言ったりした者には、
頑迷な好戦主義の烙印が押されるばかりなり……。
では。

