
明治42 (1909) 年、6月 21日(月)。
職業作家一本の生活となってから 2年が経ち、
当時、42歳であった夏目 漱石は、
この日の日記を、
雨。とうとうピヤノ(原文のママ)を買ふ事を承諾せざるを得ん事になつた。
……と始める。
つづいて、ピアノの値段が、四百圓。(☜当時の、現在だと600~800万円に相当)
奧さんからは、
その購入資金には、『三四郎』の初版二千部の印税を充てたらどうかと提案され、いやいやながら、〈よろしい〉と承諾した。
子供がピヤノを弾いたつて面白味もなにもわかりゃしないが、何しろ中島先生が無闇に買はせたがるんだから仕方がない。(原文)
……と愚痴をこぼして、日記を終えている。
中島先生がどういう人かは知りませんが、
漱石が、この時、我が子に与えるピアノにあまり価値を見い出していなかったことだけは、知れる。
で、今回は。
漱石先生へのあてこすりでもないけれど、
高名なピアノ曲を、フジコ ヘミングの演奏で。
モーリス ラヴェルが、〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉をピアノ曲として発表したのは、1899年。
だから、漱石には、聴くチャンスがあった。
が、この作家が生前、この曲に接した、という話は、僕の知る限りでは聞かない。
では。

