
外国人をとっ捕まえてきて、彼らの口から、
日本(とその文化)がどんなに〈凄い〉かを言わせる仕立ての、
TV番組や、ほとんどプロ制作の(趣味とは思われない) 動画が、横行する。
どうして、そんな手の込んだことがおこなわれるのか?
外つ国(とつくに)の住人から、君らは大したもんだ、と評価されてはじめて自信が持てる、といった精神構造が、
僕ら日本人に抜きがたく、しかも、それが、奇怪/悲哀であることも感じてないからだ。
ある人は、170数年前むりやり鎖国を解かれたのが、その起源では?、と書いているが、そうかも知れない。
たとえば。
やれ、GDPが世界第何位とか、今度のオリンピックではメダルを何個獲った、という話が、
それを聞いた者はかならず、名誉に思い、かつ得意になるだろう、と思量されて発信される。
逆に、順位を落としたり、メダルが減ったりすると、なんだ!! と大騒ぎになる。
いつ何どき、空から爆弾が落ちてくるかもしれぬ日常でもなく、
子のスポーツ生活(=留学など)にお金をかけられる経済が在ること。
そういうありがたい世界 (全地球がそうではない) に住めば、なし得る可能性がt当然なのに、メダルメダル、と騒がしい。
他方。
なにごとにも自信がないことの表裏一体が、
あたかもお墨付きをいただいたような論調で、〇〇は、そうあるべき、と憲法第9条は不可侵、のように主張する精神構造。
こういうのは、アタマの浅薄ゆえの単純化、それプラス、知ったかぶりの話が多く、
根拠を求めれば、あそこでは、そうなんだ、くらいの答えしか返って来まい。
たとえば。
ゴール裏とは、
チームを勝たせるために、降られる旗で視界が遮られても文句はいわず、座り込みはもってのほかで、発声とジャンプにいそしめ、とか。
クラブが、興行主の責任で発表した、ゴール裏における旗の振る舞いについて。
僕は、そのルールそのものはどうでもいいが、
気に食わないのは、
南ゴール裏に集う人数の規模で、
中から挙がった不満や改善要求の声を、自分たちの輪の中で討議して、
それなりの妥協(としての一致)、評決、合意へと持っていけない、集団としての自治能力の低さだ。
こういうのが、烏合の衆。
問題を皆に呼びかけ、そこに関心を集めて、みづからのルール形成へと持っていくリーダーシップを有する人材に乏しいのだろう。
だから、文句は、学校の先生に言いつけるようにクラブへ発信、
クラブが動いて示したルールを、後手で、文句を言う。
ただし、
そうじゃあないだろう、これでは熱い応援ができない、と文句を垂れている多くは、あのゴール裏の常在者では、おそらくはなくて、
この事案をつまみにして自分の、観念的なあるべき論を吹聴する輩だろうが。
もしも。
あのゴール裏を占める者で、今回のルール変更に不満ならば、
ゴール裏住民を動かして、自分達なりのルールを作って、クラブに提案してみなさいな。
まづは、住人としての自治ができなくちゃあ。
話は、それから。
もめごとは、アルウィンのオリジナリティを高める良いチャンスでしょう?
もちろん、
ゴール裏に堪えられない者は、他に行け、との発言は、
地面にかってな輪を書いて、気に食わない者をその輪の外へと排除するいじめっ子と同じレベルの、
幼稚な差別主義であって、
これを、アルウィンでは見聞したくない。
では。

