恩讐の此方で (ヴァンフォーレ戦プレビュウ❶)

〈恩 義〉
あの夜のゲーム(対宮崎戦) 内容は、天候とともに寒々しく、

かつ、観客が、1,500人チョイだった。

これじゃあ、チームに勝て、と求めることはファン&サポーターの身勝手だろう、との感慨しきりでしたが、

ともかく、

アルウィンが使えなかったホーム戦には、ホームスタジアムと会場運営のマンパワーをもお貸しいただいたこと。

まことに、感謝の念に堪えません。

〈復 讐〉
1542年から、武田 (勝頼) 一族が滅亡した1582年までの 40年間。

甲斐 武田氏は、信濃南半分ほぼ全域を支配下に置いた。

その勝頼自身とて、

兄の義信が、父(信玄)によって自害(廃嫡) に追い込まれなければ、

一族の領袖として引っ張り出されることもなく、

一生を、諏訪城主として終えたはずだから、いい迷惑だった。

とにかく。

武田氏の信濃侵略の過程では、

たとえば、塩尻峠(=勝弦峠)の戦い(1548年)において、小笠原長時(林城主) 側で参戦した村井氏は滅亡し、その後も、

穂高方面では婦女子(非戦闘員)を含む者が多く惨殺されて、その屍を野に晒したのだから、

現在、山雅ホームタウンに住まう、その末裔らは、500年昔の祖先の怨念を忘れてはならず、

そこにこそ、〈信甲ダービー〉と銘打つ、重い切実さがある。

それに比すれば、3/14のダービーなど、いわれが在って無いようなもので軽い。

さて。

物騒な前置きはともかく、

いま、ヴァンフォーレが、どうなっているのか?

佐藤 和弘は在籍していて……?、ただし、

ここ1、2年は、あまりパッとした戦績も聞こえてこないというのが筆者の感想。

いずれにしても、甲府戦が、キャンプ打ち上げの最終章であるからには、

いま到達している最上を出し切るサッカーをおこなって、

武田氏の侵攻経路をたどって、松本に凱旋しようではないか。

では。