歴史から学ぶにしても。

― 歴史を学ぶと、ひとが、いかに歴史から学んでいないかがわかる。

これを、多くの者が述べていて、

そのひとりがモンテスキューだったように記憶する。

俺は、凡人とは違って、思慮深いから学べるのだ、といった自負が、

おそらくは、こういう事を言わせている。

けれども、

過去と似たような出来事が、ほとんど偶然に、あるいは、前後に継起するに過ぎない日常にあって、

行動を起こすために、過去がそれほど明確な羅針盤として参考になるのかいな。

ましてや、

学校教育の〈歴史〉が、年代別な出来事についての知識習得に過ぎず、

その知識の過多を、学業の評価基準とする世では。

昔と変わらないのは、せいぜいが〈人間の本性〉くらいで、

その人間性(その善悪や快不快)を、どう考えるのか?は、その時代時代で、ずいぶんと違うからだ。

つまるところ、その時になって最善、次善と思われる道を選ぶ、というのが正直なところだろうか、少なくとも僕にしてみると。

その瞬間。

或る哲学者が語ったように、それをあたかも当然の〈義務〉として行えたら、潔くていいなぁ、とは思う。

が、実際は。

おこなった結果に対する他者からの評価、評判、そんなものがあらかじめこころに忍び込むのが実情だ。

これも、人間性における弱さ、と引き受けることだって、

人間の強さのひとつだろうに、と居直りますかね。

では。