心にとめないことの 価値。

伊丹 万作 (1900~1946、映画監督、脚本家、画家)は、

その文章が、平明で簡潔、とにかく、読ませる。

亡くなる前の 8年ほどは、病臥(結核)の生活だった、と聞く。

その奧さんは、

亭主の稼業とする映画を、

観ないことはなかったが、それほど興味もなかったらしい。

或る時、原 節子が、伊丹をその自宅に見舞った際、

― どなたさまですか?、と応対したくらいだった。(と万作が書いている)

〈原 節子〉と聞いてもピンとこなければ、この女優が、1930年代から 50年代にかけて、日本映画界でどれほど売り出していたのか?、調べることをおススメします。

古代ユダヤの王ソロモンは、(その著書と伝わる『伝道の書』の中で) 言う。

人の語るすべての事に心をとめてはならない。
これはあなたが、自分のしもべのあなたをのろう言葉を聞かないためである。
あなたもまた、しばしば他人をのろったのを自分の心に知っているからである。

こういう境地には、なかなか達せないものだろう。

けれど、身につける価値のある人格に違いない。

もちろん、

僕が、家人の言うことをロクに訊きもせずに、トンチンカンな失敗をして叱責を受けているような失態とは、

まったく違う、もっとハイレベルな話なのだが。

では。