
無得点のドローや、0 – 1 の僅少スコアでの敗戦が続くから、大騒ぎになりにくいが、
実相は、
停滞や閉塞というよりもむしろ、瀕死、に近いのかもしれない。
チームと、その闘い方について。
これは、リーグ戦績(順位、昇格うんぬん)どうこうでなくて、
やってるサッカーの (観る側からの)面白さ、爽快さに通ずるものにおいて。
時の運があるから、勝ち負けのどちらも現れるけれど、
勝っても負けても、〈ああ、やり切ったね〉という、納得感とでもいうもの。
たとえば、僕のいう定番的な攻撃方式による安定感。
だから、敗戦時は、陰々滅滅で、空疎な心情を、僕にもたらす。
金沢戦を、ひと言で評すれば、
あれだけ、特に中盤でのボール回収率が、相手にずばぬけて高ければ、ゲーム基調はこっちに来ないので、
あわよくば、のこっちの攻撃が成就しない限り、
山雅に勝機は来ないから、したがって、正当で、順当な敗戦だった。
ロングボールの行き来ひとつをとってみても。
(他のゲームは知らないが)基底ラインからの組立ては一切棄てて、ゴールキーパーからは、ロングフィードのゴールキック一本槍。
で、最前線に入れて、落ちたボールをシャドウとボランチが回収する。
逆に、大内からのロングフィードは、センターバックが競って落として、それもボランチが拾う。
山雅のほうが走っていない、の評価は見当違いで、
あらかじめそうやると金沢が準備しているから、あっちの位置取りとスプリントが早いだけの話。
こっちは、手当て手当ての走りとなるから、つまり、後手後手を踏むから、ボールへの到達度で負け、無理して挽回しようと、ファールを冒す。
この繰り返しが底流ですから、
やっと手にした攻撃の局面で、プレイヤーのポジション獲りも遅れがちとなって、攻撃に手間取って、相手の守備網に引っ掛かる。
これを、金沢首脳陣のスカウティングの優秀とみるべきかどうかですが、
すくなくとも、当方には、金沢方式を崩す、チームとしてのアイデアは見当たらなかった。
で、負けの根本原因、つまり、正体とは、
チームとして必ずやると取り決めしている規律、規則の有り無しといえましょう。
面倒だから、これを短く、〈格率〉と呼ぶことにしますが、
観ている側の憶測に過ぎませんけれど、
格率が不鮮明なまま、ここまで来ちゃったチームは、さて、どうするね。
では。

