85分+α の過ごし方。 (長野戦レビュウ❶)

前回の直観的速報を、すこし、深掘ってみましょう。

……ビジター指定席を選ぶと、お隣の観戦者は選べない(当たり前)から、

すると、要らぬ雑音の中での、観戦となってしまうこともある。

今回のお父さん(50歳台?)だと、

ひとつひとつのプレイへの要求度が高く、つまり、おおむねが批判調で、

― ああやれ、こうやれ、そうじゃあないだろう。

さらには、ボールが、相手側においてつながると、

― 気合いが足りない、相手のほうが気持ちが入っている、と精神論を持ち出しての応援。

ピッチでたたかう他人の心情を、そこまで決めつけられるのは、無邪気な自己感情の投影に過ぎないのだが、

僕からすると、我がチームに気持ちがこもってなかったようには診えなかったし、大いに奮戦していた、と思う。

山雅のプレイヤーは、その点、ねぎらわれるべきだろう。

ただし。

結果として、開始 5分の失点を挽回できずに、そのまま、ジ エンドだった点は、今後の戦い方にも、大きな影を落とすから、

その後、タップリ残された85分の戦い方については、注文はつけたい。

簡潔に言えば

幸いにして、80分過ぎに失点したわけでもなかったし、

技量差を背景に、やがてはこっちが、ゲームのほとんどを、押し込む形勢へと移行したのだから、

リトリートして、しっかりと守備態勢をつくる相手をどう崩すのか?、

どこにスペースを拓いてシュートまでたどりつくのか?、そういうところが、

スカッとしないのが、実に不満なんですよね。

長野は、5 – 4 – 1 でピッチをまんべんなく埋めて守り、

対し、こっちは、同じ3バックではあるが、サイドバックが高い位置取りをしながら向かう。

すると、相手の 5人の間に、山雅が 3~4人と挟まれ、その後方から、菊井とふたりのボランチが周回してボールを動かしす格好。

いわば、3 – 3 – 4 の陣容。

三人のセンターバックは、相手のカウンターに備えながら、これも、前へと向かう。

長野の守備陣形が、連動性が良く、堅かった(ミゴト!!)ことはあるにせよ、

大内が挿し込むロングフィードについて

そこからどういうストーリイを展開したいのか、が不透明。

相手のセンターバックに競わせて、セカンドボールを回収するのならば、誰がどこに位置してして、そこへ獲りにいくのか、とか。

相手の裏へと入れて、ヨーイドンで競争するのならば、想来を、誰と誰ががサポートするのか、といった筋立て。

そういった狙いが、こっちからは、みえないんです。

ロングフィードが、状況ごと、いくつかのカテゴリーとして、チームに落とし込まれているんでしょうか?  (その必要を僕は感じますが)

たとえば、前半20分あたりからの数分や、後半の 50分台のような、ボールを保持し、動かして攻撃を畳みかける時間帯の、

いかにペナルティエリアに、人とボールが、割って入っていくかの方法論

たしかに、たくさんの手は試みられてはいたんだが、

やっぱり、物足りなさが残る。

菊井がワンタッチで前方に流すボール配球が、あらかじめ凱光に、どのくらい定番的な約束事として共有されているのか?

30分には、高橋 祥平から、菊井に、素晴らしい縦パスが通るが、

相手陣形の隙間スペースを、チーム(の共有アイデア)として、誰が起点で誰が受けるものとして、常に、虎視眈々狙っているのか?

……ロングフィードの空中戦、グラウンダーパスの多用。

これらは、いづれも使うべき武器でありましょうが、

その使用の裏に、個人の、その場限りの技量表現を越えた

チームとして、いつでも抜刀できる〈高度な再現性〉にまで達しているか?

プレイの意図が、ハッキリと伝わってこないこと、方法論の希薄さに、焦りを感じてしまう。

すべては、チームへの頼み事にはなりますけれど、

これから。

毎ゲームが、失望のカウントダウンとなることだけは、ご勘弁願いたい。

その一心でいるというのが、おおかたのファン&サポーターのホンネでは?

では。