モモ氏のご友人が、0 – 5 になってもおかしくないわ、と憤慨したという件。
要は、
ゲーム開始から、山雅が、あれだけサイドをえぐられまくっていれば、
しかも、こっちは、なかなか相手サイド奥を侵せないでいれば、
見る眼を有すファン&サポーターならば、こりゃあ、いつ失点することやら、と直観したはず。
そのサッカーのクオリティからすれば、グンマが、いまの順位にいること自体がおかしいのだから、
〈完敗〉ではあるが、両者の到達点の落差が、素直に現れただけの話。
つけいるスキが相手になかったわけでもないが、山雅に、力の出し惜しみがあったとは思わない。
だから、ゲーム後、BOOを見舞った南ゴール裏の真意が、
チームとサッカーの到達度が、この程度であることへの鬱憤と非難ならばわからないでもないが、
僕には、栃木SC戦後と同様で、負けの鬱憤晴らしにしか思えず、
残り19ゲーム、負けたらすべてこの方式が採用されるのか、訊いてみたい。
しかし、まあ。
レッドカードが出た、そのセットプレイで、被弾するとは、
プレイオフ富山戦に、ほぼ同じ〈山雅劇場〉発動、というべきで、
こんなのは、やろうと思ってもできないことだから、そこの修正など、そもそも現実的なことかいな?
先制されると勝てない法則が続くかぎり、ゲームは、あの2失点目で、ほぼ決まり。
ですが、その発端が、
センターバックによる、なんでもないボール処理の、不可解な譲り合いとなれば、かなりな三文芝居でした。
このゲームにおける不満は、
中盤を制せられていたとはいえ、センターバックの持ち出し、駆け上がりが見られなかった点。(野々のシュートは良かった)
サイドバックが前を向けない状況での、センターバックからパスの転送は、
ボランチが即支援に動かないと、結局は、また戻してのやり直し。
ここを、野々村あたり、技量的に突破しないとならないし、
そもそもセンターバック並びの人選、再定義を要す。
あとは、中盤から前のつくり。
チノ氏は、
ゲーム後半、(大橋を下げざるを得なかったので) 単騎奮迅のおもむきさえあった、
安永 玲央のアンカー定着はどうか、という提案……。
僕の意見は、3トップ態勢をはっきりさせることと連動させて、
3ボランチでよろしいか?、となる。
そうなれば、4 – 3 – 3 の採用。
トップにボールが収まらない、収められない現状からすれば、
ゼロトップの意識で、前線3人で追いかけまわし、
その後を連動して、ボランチが追従するのが、いちばん、か。(コンパクトな陣形で)
大内、ロングフィードの質を、かなり工夫してるのがうかがわれたが、
それも含め、最優先の事項は、カテゴリー(シーン)別の、攻撃の再現性アップ。
しかし。
決め事などは、いくらでも作れましょうが、
途中投入された、馬渡、小川、高橋が魅せた、
数的に劣勢であっても、相手ゴール近くまでボールを持っていくための発案、工夫、プレイは、
プレイヤーみづからが、たとえ、その瞬間は、チームの約束事に違背してでも、主体的な思考と行動によって表現する内容なので、
もっと、賢く、いやらしく抜け目なく、と言うしかない。
でもね、そもそも。
ボールを下げてしまうチームメイトの逃避性への不満を口にするプレイヤーの発言を前にすると、
約束事への忠誠の欠如のほうが、気になりますなぁ。
ところで。
彼らヴェテラン域を登録していたのは、劣勢時への備えでもあるまいから、
今、活用戦力(の選り出し)において、軌道修正に着手しているのか?
では。