6月になると、我が庭で。
立葵(タチアオイ)が、日陰で開花する。
これはいつも通りだった。
それとほぼ同じ時季(6月20日頃) に、豆萩(マメハギ) が咲き出した。
草かんむりに〈秋〉と書くのだから、こっちは、チト早かないか?
6月末には、今度は、桔梗(キキョウ)が、紫の花をつけた。
他方。
夏椿(ナツツバキ)は、いつもより、十日ほど開花が遅かったので、
いまが、落花の真っ最中。
あることが先に起こり、その後に、その結果として、次のことが起こるのが、自然の法則であり、ならわし。
それを観馴れている僕らの感性は、
どうしても、ものごとの継起(現象)のなかに、因果の糸を見い出したくてたまらないらしい。
度重なる偶然の積み重ねがそこには在る、に過ぎないのに、
結果には、かならず、なんらかの原因がなければならない、という強迫観念で、そこに因果関係をさぐろう、と必死になる。
それを乱暴なアタマでやると、
勝てないのは、走れないから、といった〈もっともらしい〉、けれど、荒唐無稽な議論が臆面もなく出現する。
もっとひどくなると、
負けという結果で、心象が曇ってしまい、そのゲームが全否定される、とか。
先制することは素晴らしいのに、その功績も、見逃されてしまう。
しかし、菊井 悠介は。
ああやって、力みを棄てて、たとえば、インサイドで蹴り込むほうが、よほど精確なシュートを撃てるではありませんか。
あれは、良かった。
思うに。
他の局面でも、なにからなにまで自分でやろうとせずに、もっと、他者に任せる視点と姿勢を採ったら、
チームとして成長があるのでは?
では。