廃れてもらいたいもの,ふたつ。

ずっと昔から。

アパートを借りる時の〈礼金〉などは、

もはや、

大家が、店子(入居人)の世話をみてくれる(みるべき)江戸時代でもあるまいし、無意味な、悪しき慣習だろう、と思ってきた。

最近の、賃貸物件の過剰を反映してだろうか、その名を目にしなくなった。

同じように。

サッカー観戦にあって、もうやめようよ、と強く言いたいならわしが、ふたつあって、

ひとつ。

レフェリーが、ファールを犯したプレイヤーに対し、

ファールを受けたプレイヤーのところへいって、詫びを入れさせる、あれ。

どういう基準で、それが奨励されているのか知らないが、

もしも、遺恨を残させないという趣旨?、はわからなくもないけれど、

それを義務化するのは、互いに削りあっている闘争に水を差すようなもんで、しかも、時間のムダ。

ふたつ。

失点した時、ディフェンダーが、無念さを表すためなのか、ゴール前で寝転がっちゃう、あれ。

これこそ、時間のムダであって、

一刻でも早く挽回するために、

サバサバと、チーム内の意思統一だったり、リスタートに向かうべきだろう。

その表裏として、

サッカーの、なかなか点が入らない競技という性格上、

ゴールゲット時のセレブレーションに浸りたい気持ちもわかるけれど、

あれも、程度が過ぎると食傷だ。

最近のことはわからないが、

メジャーリーグでは、

ホールラン時などの、あまりに露骨なガッツポーズは、相手(投手)への侮蔑、挑発行為とみなされて、

次のバッターボックスでは、死球をお見舞いされる、という。

それが、たとえ報復であっても、僕には、そういうならわしさえ好ましく思える。

とにかく。

うれしさのあまりであれ、リスペクトを欠く言動は、ダンディズムに反します。

僕の場合、これは、自分自身への戒めなので。

では。