あぁ、収穫(成果)が、戦績でも、内容でも、できなかったゲームよ。
昨日、職場でソネさんに会うと、
彼も、福島戦ではっきりと、山雅サッカーの現況における重篤性に気づいた様子で、
― この期に及んであれでは……。
プレーオフ圏内に滑り込み、これが狙いですかね。
そうだろうなぁ。
最後のところで、シュートが何本も相手キーパーの好セーヴに阻まれた部分だけをあげつらって残念がる人々は、
おそらく、僕のいう重篤さが理解できていないし、山雅を見誤ってもいる。
アルウィン総体の反応も僕の感じ方に近かったように思う。
なにせ、現在の 8,000人前後の観衆は、山雅の変容と達成(未達成)を観続けているのだから。
ゲーム冒頭に、かなりシンボリックなシーンがありまして。
なにかのはずみで、山雅の左サイド奥へとボールが飛んでいく。
果たしてタッチラインを割ってしまうかどうかギリギリのタイミングで。
その時、猛然とボールへと走り込みをみせたのは福島プレイヤーで、そのボールをなんとか入手。
ところが、山雅側からは、誰もそこへチャージしない。
その流れが、開始3分の福島先制点へとつながっていくのでしたが、一瞬のダッシュに賭ける福島サッカーは、ゲーム終了まで、こっちを上回っていて、
こんなところに、
ボール保持率で50%を切って勝利したゲームが、これまでの5勝のうち3つ、というデータを、
どうやら山雅は読み落としたことが読み取れる。
山雅に勝ったから、これで、ボール保持で劣っても、4つの勝ちを稼いだことになった福島。
そういえば、カウンター攻撃に打って出ると、ほとんどシュートまでいっていましたよね。
さて。
ひとつめの重篤性。
これは、こっちがボールをより長く持つと、流れをうまく活かせない山雅のこと。
2失点目を喫してからの 20分間で、より露わになったことは、
ボールが我がチームに落ちた時、その瞬間、そのボールを配球したいところに、なかなか味方プレイヤーが顔を出さない、貰える位置へと動き出さない、そういった動きの停滞。
八戸ほどには、相手の守備が前へ前へと向かってこないにもかかわらず、だ。
バックパスを目の仇にする気持ちはわかるが、
前方向へとパスを出せるコースを、出し手と受け手双方が創ろうとしていないことこそ、真の問題点に思います。
ペナルティエリアに 3~4人と進入した時点で、なぜに、クロスを投入しないのか? (何回かそういうシーンがあった)
これは、上で指摘した活動量(単なる走行量、運動量とは違う) の乏しさと、根っこが同じことなんでしょうか。
はたまた。
攻撃に向かう時、チーム内で、彼我が発動したいプレイについて意思統一がなされていないのか?
(考えの不一致をうかがわせるシーンは、ちらほらありました)
要は、最後のフニッシュではなく、
そのまた手前の部分、そこがあやふや、茫洋としてしまったので、なんだ、
〈再起〉(マッチデイプログラム)どころじゃなくて、これでは、後退ではありませんか?
ふたつめの重篤性。
このゲーム、ながぎんデー、でしたよね。
頭取氏は、かなり慎重に言葉を選びながら、これからも応援をします、と言ってくれたのですよ、ながぎんと謳える、最後の機会に。
それに対し、勝利で報えないとは。
日頃、開口一番にスポンサーへの感謝を口にしておきながら、 これは、ひとつの裏切り行為ではないか、と僕は重く受け止めます。
勝つために共闘したファンのひとりとして。
では。