この敗戦を糧にできるか? (2025.6.1八戸戦レビュウ❶)

ゲーム始まりの 3分の1 までの時間帯に失点すると、そのままスコアを動かせずに経過して、

0 – 2 の負け。

先制されると、その先には敗戦があるばかり。
これには理由があるはずですが、現状ではただ、ならば〈先制するしかない〉としか言えませんな。

勤務の関係で、DAZNの前でゲームを観られたのが、前半も半分が終わってから。

なんだよ、すでに、2失点を喫している時分。

で、初めから観返していると、そこへ仕事から帰宅した家人が、

― 負けは負けよ、なによ、あのシュート数(少なさ)。

つまりは、負け試合など観るに値いしない、と。

いやいや。

それじゃあ、オール オア ナッシングでしょうに、リーグ戦は、まだ続くんですぜ。

さて。

ヴァンラーレは、やはり、プレビュウで予想したとおりで、

ボール奪取のためには、マンツーマンの様相もいとわずに、手を緩めず相手に詰め寄り、

かつ。

おそらくは、チーム内の約束、規律として、

パス3つ以内に、かならず、サイド方向へロングボールを送り込む、そんなサッカーでありました。

あらかじめ、わかっちゃいるのに、

こちらが、それに対してやるべき手が繰り出せなかったこと、それが敗因であって、

特に印象論で、因果性を見間違ってしまうと、

球際の攻防、ボールへの執着で相手に劣ったから、そこが問題

……みたいな愚論に陥るから、ご注意ご注意。

未練がましい言い方ですが、

その不在によって山本 康裕の偉大さが了解されました。☜ これは、プレビュウ❷のヒント。

あとは、失点の件。

敗因 = 失点したこと、などといった暴論は決していたしませぬが、

中途半端なパス(二ノ宮)とか、地面スレスレのボールを、なにもヘディングでクリアしなくたって(松村)、くらいの戒めにとどめるミスに思えますけどね。

では。