悩みは進化を約束しない,けれど (栃木シティ戦レビュウ❷)

悩みながら、退行することだってありますが、

ちと文学的に始めると、

……希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道ができる。     (魯迅『故郷』1921年1月、井上紅梅訳)

栃木シティ戦後の、南ゴール裏の振る舞いなどを、遠目で眺めていると、

今は、かなり忍耐と要心をして、チームを支えなきゃあな、という雰囲気は伝わってきた。(あくまで、僕の直観です)

それが、冒頭の文章を想いださせてくれた。

得心のいくゲームをしたらかつての山雅が蘇生し、

そうでなかったら、こんな山雅に誰がした、といった無邪気で、過去オンリーの心持ちである限りは、

たどるべき新しい道は、いつまで経っても、狭くて、見とおしが効かないだろう。

が、実際は、チームは、歩き続けて、道を拓かざるを得ないのだから、

無駄な雑音は、できるだけ立てないでいただきたい、と願う。

❶若手の登用と抬頭は、今後、何度もやって来る潮流。

その際。

経験不足な判断とプレイ、ミス、そういうものをやたら責めず、アルウィンを、ため息で満たさず、ということ。

そういうのを承知のうえで起用しているんだから。

野々村と競ってしまってチャンスをいくつか潰した二ノ宮だったが、

こういうのはチームとして解決してもらおうか。

松村のトラップミスも、同様なこと。

チノ氏の評価では、松村 厳のユーティリティが、ずいぶん高い。

たしかに、山本のクロスに飛び込んで、あわや枠を外したシュートとか、ゲーム終盤は、アウトサイドハーフ気味に駆けまわっていた。

この前、ご本人に。

― センターバックと、ボランチ、どっちが君の本来職なの?、と訊いたら。

求められれば、両方こなします!!、とは、期待大、ではありませんか。

こういうハードルを超えて、チーム全体が〈賢さ〉を身につけましょう、栃木シティがそうであるように。

❷誰が、攻撃のタクトを振るのか?

今節の場合だと、山本 康裕が下がったあたりから、攻撃面でバラバラになった(by チノ氏)。

ひとりひとりの単発的な頑張りは、そこには在るが、

けれど、3手先から逆算したようなプレイは、

大橋が、ペナルティエリアの浅川に通した縦パスのシーンくらいだった、と記憶。

(先の讃岐戦の 1点目で、山本が佐相に出した浮き球が、それ)

僕から観ると、

追いつくため、点を求めるあまりに、

菊井がツートップで動くのは、攻撃の組立てを、かえって貧弱にする。

彼はひとつ落ちて、最前線を活かす役割が適していて、そうなると、

4 – 4 – 2 にして、2列目で、安永と並び、村越と浅川のツートップでしょう。

あるいは、松村を最前線に上げて、4 – 3 – 3 にするとか。

1点とって余裕な栃木シティは、露骨な時間稼ぎをしないが、それなりにギヤを落としているんだから、もっと落ち着いて最後の時間を使えばいいのに。

❸シュートまでいけない辛さ。
公式記録によれば、

8試合を消化した現在、山雅ゲーム当りのシュート数は、7本で、

長野と同数で、リーグ最下位を競っている。

10本以上シュートを記録したのが、対沼津、対奈良戦のふたつ。

そして、順位が低調なチームは、おおかたシュート数が少ない、とくれば、

手をつけることは明々白で、枠内100%をめざすか、または、分母となる本数を増やすかのいずれ。

実際は、両方を獲ってこそ、でありましょうけれど、

シュートにかかわる戦法、メンツ起用を、上記❷を含め、総点検、再構築しかないのでは?

……以上、ここでは、好き勝手も言いますが、

ミスが起こる度に責め喚き、そして、ガッカリと未練ばかりな喚声。

(ミスと同居せざるを得ない)サッカーの本質と、山雅の〈旬〉を見誤った反応。

アルウィンの勝率が平凡なのは何故なのか?、を考える時かも。

では。