0 – 1 の敗戦。
ひょっとしたら。
引き分けだった、かも知れない。
が、勝ち(相手よりも得点で上まわること)は、掴めなかったでしょう。
……山雅が自分たちのサッカーを遂行できたのは、前半の後半くらいなもので、
ゲームのイニシアティブは、ほとんど栃木が握り、主人公も彼らでしたし、
両者の、スタイルにおける徹底度、という意味で、
そこの実力差を、ストレートに反映した、つまり、順当なゲーム内容と結果だった。
つまり。
栃木シティは、普段とおりにやっていて、
山雅のほうは、終始、地に足のつかないサッカーをやらされた。
場所がアルウィンなだけ、自分の土俵でサッカーができない。
今の山雅流だと、格別な〈対策サッカー〉でないから、勢いこうなるんですが、
それにしても。
上手くいかなけりゃあ、どこかで修正を噛まさないといけない。
けれど。
そこに行くまでの、メンツ(の組み合わせ)と、手法が見えてこない。
まえまえから、喫緊の課題は攻撃に在り、と僕は、主張していますが、
それがはっきりと露呈したことでしょう、観客の眼に。
失点シーンのやりとりは褒められないが、
守備面はそこそこ、でも、攻めにおける意思疎通と、定番的な手法が繰り出せないのは、おおいなる悩み。
〈ゲームを決定づけた基調〉
知らないものはわからない、とはこのことで、
今回。
栃木シティのサッカーに初めて触れてみてわかったのは、
ドリブルがリーグ最多、かつ、パス数はリーグ最下位クラスの、その秘密であって、
そのやり方とは……、
4 – 1 – 2 – 3 の陣形を、みづからピッチ全体に広く散開させる。
(☞ピッチ全体を使うには、4バックはもともと最適なシステム)
こうすることで、ルーズな(セカンド)ボールを多く回収できるし、粗く蹴り出しても、誰かがそこに、相手より早く到達できる。
ドリブルは、
田中パウロによる得点のように、シュートシーン直前のボール持ち込みもあるが、
その多くは、相手守備の、いわば、防波堤を下げさせたり、穴を衝きながら、
決定的な縦パスを繰り出すための助走(=序奏、合図)として使われるのです。
ゆえに、この瞬間、チームには〈ひたすら攻撃〉のスイッチが、ミゴトに入る。
63分の失点シーンは、そのシンボル。
野々村によるパスカットの(クリア)中途半端、松村のスライディング不発、
二ノ宮のパスコース消し方の不徹底と、これら多重的な不出来はあったものの、
栃木のお得意が、ズバリと決まり、きっかけの縦パスは、ピーター ウタカを狙っていたわけだから、
ウタカこの日最大の仕事は、その位置取りと、(二ノ宮の注意を拡散させることで) 田中を支援したムダ走りでした。
これに対し、山雅のゲーム基調とは、
リジットで緊密な陣形によって前後に早く連動すること。
ですから、
広く散らばった栃木シティの陣網のなかに入りこんで、自分たちの、比較的短い距離の中で仕事をするとか、
あるいは、相手の最終ラインの裏か、その外縁スパースを狙い侵して、ペナルティエリアにボールを持ち込む、このどっちかだったはず。
でも、結果からすると。
前半のラスト20分をのぞけば、それを貫徹できなかった。
前線は前から追いかける。
けれど相手最終ラインを慌てさせることも出来ずに、そこと中盤、あるいは、ボランチと 5バックのラインのスペースがポッカリと空いてしまい、
そこに、栃木#10らが入り込んで、自由にボールを受けられ、そこから、縦パスをゆるした。
これを繰り返していたので、先発は体力を消耗し、
かつ、途中投入のメンツが、新しいアイデアをプレゼンできないのだから、
失点後は、攻撃がかなりチグハグになりました。
早川監督は、高知戦の負けの後、その要因を準備不足としたようですが、
僕からすれば、こっちのゲームが、その300%は、準備が足らなかったかな、が総評です。
今季最大の〈痛い〉敗戦であるからこそ、ここから、どれだけ学べるのか?
でないと、ああいうサッカーに対しては、現状では、ほぼ勝てませんから。
では。