けれど,すべては変わる (讃岐戦レビュウおしまい)

花粉症が、先週後半から一気に増悪して、じつに難儀です。

鼻がつまる、とめどなく水っぱなが流れる、頭重感、それと、喉の痛み。

これら症状が出ると、風邪と思いがちですが、目だった発熱がないのであれば

花粉アレルギーを疑うべきです。僕の場合は、あと2週間をしのがないと。

……さて。

ひとは、実現可能なことのみを想像する。

これは、人間の想像力の限界を言っていて、

実際には、自分の想像力の範囲の中で、願望する、の意。

……左から、村松(22歳)、二ノ宮(21歳)、杉田(21歳)と並ぶ、スリーバック。

この組み合わせが、今後どのようになるのかはわからないが、すくなくとも、

たった 5年前には、

我が山雅にあって、こういう布陣が採られようとは、僕の想像だにしないことだった。

人知れずに、たゆまぬ努力が継続したゆえの、結果なのだ、と思うと、

今やっていることが、かならず将来をつくる、ということが実感される。

ま。

最後から変化についていく、または、ついていけないのが、ファン&サポーターであることはどうしようもない事実でありますけれど。

くどいようですが、讃岐戦の勝利は、

プレイヤーのクオリティにおいてこちらに分があって、かつ、

かなり先を見すえたチームづくりと、ゲーム毎の果敢な修正力が幾分か優っていたと診るべきです。

観る方は、プロサッカー選手でもないし、

どうしたって、深く熱く応援すれば、それだけ感情移入が濃くなるので、

それを、プレイヤーの〈やる気〉として押しつけて観てしまう。

だから、必死に、泥臭く、なんて言葉が平気で横行しますが、

感情をまったく度外視ができないけれど、

〈気持ち〉でなんとかなるほど、サッカーの戦績出来が、単純ではないはず。

……と考えた場合、山雅のやるべきことは、

王道的に、個の技量を増し加え、

かつ、そこにオートマティカリイなレヴェルまでにチーム連係を高める。

これしかありません。

自信と信頼があってこそはじめて、プレイに〈気迫〉が生じるのです。

もちろん、上述の守備トリオにおいても、

相手に追い込まれた際や、ルーズなボール処理には、まだまだ不安定な部分もありますが、

不足部分を責めてばかりいては、僕らは、変革にはついていけないでしょう。

では。