奏功の理由, 観る側の廃頽 (ルヴァン杯新潟戦レビュウ❷)

〈なぜ挽回できたのか〉
前半が、ダメだったわけでもない。

3 – 4 – 2 – 1を基軸に、5 – 3 – 2 へとソリッドな陣形を保とうと務め、

ボールを持つ相手を、マメに前線から追いまわしはするが、

ただ、地力の差があるから、

フッとかわされる、スピードと迅速な突貫で左サイドに侵入される、そういう対応に忙しかった。

ところが。

ここまま行くのかいな?、

と思いきや、後半の冒頭から、

やたらと、こちらが攻勢において優位に立てるようになる。

素人の僕からすれば、4 – 4 – 2へと変容したことは観てとれるが、

どういったマジックでが発動することで、

あれほどに新潟を慌てさせることができたのかが、イマイチつかめないのがホンネ。

躍動感とは、あくまで見る側の心象であるから、プレイヤーがより活発に動くようになったなんてのは、注釈にならないが、

少なくとも、山雅のプレイヤー同士の距離感の伸縮、これがかなり効いたのではないか。

逆の見方をすれば、

なぜ?、新潟の小気味良い連携が、急に消失したんだろう?

先手先手でボールをけっこう運べたから、

案外と、技量と経験知によって要所で抑えることができるトップリーガーたちの、虚を衝く格好になった、とかね?

けれども。

最後のところでは、グッと圧をかけて締めてくる(守備が強み)から、

そこを突破するには、時間や手数をかけてしまうと成功がむづかしくなる。

前田 陸王のドリブルは魅力的だが、出しどころで、一瞬の機を逃すと辛い。
これからの成長を期します!!

総評的には、10回やったら、向こうが、8~9割がたモノにするだろうの感触。

これを、いわゆる実力差、と呼ぶのでしょうが、

それでも、シュートまで持っていけたシーンは作り出せたし、枠内シュートは

山雅が上回ったので、そこへとたどり着けたゲーム中の修正は、ミゴトだったと思います。

敢闘賞は、サイドを切り裂いた本間。

あと、萬年的には、田中 想来には、リーグ戦で活きる可能性を強く感じました。

それと、地味ながらも、気の効いたポジションとボール出しで魅せた大橋 尚志を推したい。

〈サポートでは,後手をとる
カップ戦でもないと、バックスタンドに座ることもないけれど、

今回、南ゴール裏に近い場所で観戦していて、

近くの夫婦のご観戦者。

言葉をやりとりできる相方が有る気安さからだろうが、

そのネガティブな発言の多さには、参った参った。

ミスのひとつひとつに文句と叱りつけ、かつ、所属リーグがこびりついた自虐意識が垣間見えるもの言い。
(自分の子を、こうやって、もっぱら叱咤して育てたお方か?)

ミスの多い、といったサッカーの特質をまったく許容できないのは笑止、

かつ、ピッチの戦士のチャレンジ精神をも窒息させる。

…… この10年あまりをかけて、熱心に、しかも、長年参戦しているはずの観客が、

こうも、我がチーム界隈を貶めるような、リーグ万能主義への沈潜がうかがえるとは。

なまじ見慣れているから、観ている側が、〈一矢報いる〉的な、自己過小評価のワナにはまったか。

あの頃だって。

皆で上を目指していたはずだが、かつての〈栄光?〉でなにかと目が曇る。

こういう御仁が少数派であることを願うけれど、

これじゃあ。すくなくとも、ファン&サポーターのほうが率先して、

成長しようとするチームに向かって、溌剌としたチャレンジの気風を吹き込むことは無理だろう。

チームを鼓舞することにおいて、

新潟さんの熱心と、ねぎらいの厚さに、終始後れをとった、そんなアルウィンでした。

では。