『桜坂』は名曲なのに……。

昔々。

ただ〈花〉といえば、梅(日本の古来種)であったものが、

平安末期ごろには、それが、桜(外来した)に置き換わったと、どこかで読んだおぼえがある。

この変移、僕の説によれば。

見応えのある梅になるには、かなり頻繁、丁寧な剪定を要する。

対し、桜は、自然のままに放っておいても、それなりの樹形と隆盛を誇る、というのが、その真相で、

ゆえに、全国的に、桜の樹がはびこることとなった。

日本人には、(特定の庭園をのぞけば) コマメな樹木管理の思想などなかった、樹木には〈霊〉が宿る、という信念とあいまって。

……さて。

家人は、福山 雅治を好まない、という理由だけで、

『桜坂』を聴こうとしない(ようにみえる)。

逆な観方をするならば、

この曲は、つねに、福山雅治の、という形容詞がセットになって大衆に受容されている、ということなんだろうね。

どなたか、翻訳の名手が、こなれて気の効いた英語にしてくれたならば、

『SUKIYAKI』(上を向いて歩こう)くらいの発信力、訴求力を持った名曲に思えるのです。

ま。

オフコースの諸作品も同じような境遇にあって、

双方ともに、味わう側の心情において、作り手からなかなか独立しないのは、まことに惜しい。

では。