喜ばないアルウィン,に関する考察 ❷

さて、

感情論に走ってしまう、みっつめの、絶対的な大要因

それは、

ゲームをどこからみていようと、一緒に闘う、と言ってみても、

観客は、決してピッチでプレイしない、ただ、観るだけ応援するだけ。

そして、展開されるプレイの連続と、ゴールと勝敗(いわば結果)を、味わうだけ。

当たり前だろうに、と言われそうですが、

これは、決して、動かしようのない桎梏。

さて。

なぜ、感情論で語ることが危険かと言えば、

過去、現在、将来にわたり

クラブとチームの勢力と意欲、それと、ファン&サポーターとの共闘を損ねるからだ。

山雅が、かならずしも期待される成果を挙げていないと、こういう傾向は、よけいに目立つ。

ただし、その期待値が、クラブ/チーム力から妥当であるか否か、は別の問題で、これだって感情で染められやすい。

勝率 58%。

と、歴代最高値を叩き出した名波体制(2022季)でさえ、

上位リーグへ導けなかったことからか、良い評価はほとんど聞こえてこない。
(根底には、3部リーグを見下す態度が僕たちに在るからだろう)

アルウィンが、果たしてプレイヤーを鼓舞しているのか?

今一度、それを考えてみないと、チームにばかり〈強さ〉を求めるのは、アンフェアだ。

ひとつの成果が出るには、それ以前に仕込みがチャレンジされるはずで、

たとえば、奈良戦でアシストを記録した #22 佐相の(菊井を狙った)前方フィード。

あれを、佐相は、ゲーム中で 3回はおこなっていて、そういった一見ムダにみえる仕事を見逃したくはない。

果敢にチャレンジしたが、成就しなかった縦パス、

実は、受け手が走り込まなかったのに、誰もいないじゃん、と一笑されるロングフィード、

そんなものが、すべてミスとして、ため息で断罪されるような現象が、

チームを鼓舞しないことを、

そろそろ、アルウィンは気づくのがよい。

結実させるために払われた、地味なルーティンとムダに思える仕事を救え。

ゴール後のハイタッチは、まったく喜ばしい。

ただし、喜ぶココロが、同時に、不興、批判を発するココロにも転化することを自覚せねば。

所詮は。

飲み食いしながら楽しんでいる観客と雰囲気(舞台)には、

そんなものを求めるほうが酷なのかなぁ、と思うものの、

やはり、チームに変われ、と注文するのなら。

(僕からみると、チームはあきらかに変わろうとしているのが2つのゲームを観てわかるので)

こっちはどうするの?、ってお話です。

では。