この前の日曜日。
家に来た息子の曰く、
― 企業としての〈ビジョン〉がロクなものでなかったから、山雅はいつの間にか、他クラブの後塵を拝するに至った、たとえば、レノファ山口とか。
特に、中小な会社にとって、ビジョン(戦略)や組織風土は生命線だ。
なるほどね。
では。
山雅が落ちぶれた、との根拠は何か?と問うと、これが、いまや 3部リーグに在るから、というのが答え。
たしかに、経営マネジメントは結果責任こそ問われる、という意味では的外れでもないが、
参戦リーグをもって、クラブ運営企業の評価とすることはいかがなものか、と僕は思う。
ましてや、組織内部の意思決定構造や、企業風土や士気について知らない者であれば。
それこそが、(参戦)リーグ至上主義の裏返しの議論ではあるまいか?
……と、こんなたわ言を交わしているのは、
なんだかっていっても、山雅の魅力に衝かれた者。
闘うリーグがどこであれ、流行り病の苦難を経ても、
現状、この街の8,000人そこそこの人々は、
その日常生活に山雅観戦が織り込まれているのだから、彼等の中では、山雅の価値は不変なわけ。
売上金額(クラブ収入) 14億円(現在)、今後も、この枠組みを踏襲していく運営を図るのもひとつの手、とは思うが、(組織が大きいことが必ずしも良くはない)
成長を目指すところには、やはり、なんらかの活性化(=ハツラツ)があるだろう。
となれば、山雅が目を向けるべきは、
収益3本柱のひとつ、入場料収入の増大(つまり復旧)にある。
そのためには……、
❶アウェイ観客によっては1,000人単位の集客が見込める、2部リーグ以上への昇格。(対戦クラブの動員力をあてにする)
❷上位リーグへの関心と、対戦相手の知名度などによって、
それじゃあ、アルウィンに行ってみようか、と足をむけてもらえる、いわば、
状況次第で〈山雅の価値が増減する人々〉の来場を増やす。
このふたつが、常道、かつ王道。
それは、昨季だと、
ホーム金沢(9,002人)と大宮戦(11,169人)、プレイオフ福島戦(12,604人)が証明する。
(☞長野戦の 14,411人、あれは、オマケ)
入場者数が回復基調に乗れば、営業にはずみがつくから、いちばんの売上、スポンサー(パートナー)収入も伸長するだろう。
それがため、
クラブとチームは、好戦績を獲るために活動することは当然として、
日頃、山雅界隈に在る者は、まづは、
山雅にココロを向けてもらえるチャンスをつぶすことがないよう、
山雅への好意や厚意をそこねるような行為を控えること。
(たとえば、駐車場違反、不適切発言、良俗に違背するSNS発信)
こういう観点からすれば、
その信条/信念がなんたるかは存じませぬが、
山雅に法廷闘争を仕掛け、しかも、それを世に向かって発信するとはどうもねぇ、というのが、僕の思い。
では。