神の子なしのクリスマス。

クリスマスとは、もともとなにを祝う時季か?

……などと、今更、野暮な話はする気はありませんが、

これほどキッパリと、自分たち、要は、人のためだけに過ごすのは、我ら日本人だけだろうな、といままで、気恥ずかしく思ってきた。

1900年頃、いまから 120年以上前のこと。

東京府下、京橋にあった(今もある)某商店の、歳末(に近い)売り出しに利用されて以来、ずっとそのままの性格でやって来た日本を。

リバプールFCでプレイする、サラー(エジプト出身)が、いつだったか、この時季に自宅で過ごす家族の様子を、SNSで公開したことがある。

その時、居間にクリスマスツリー(らしきもの)が飾ってあるのが、映し込まれていて、それを観た人々の反応のひとつは、

おいおい、それ、まづいんでは?、だったと記憶する。

出身地からして、ムスリムとの信仰的な兼ね合いは、どうなの?、という心配なんだろう。

まぁ、これが世界標準の反応、感想なんだと思う。

しかし、最近。

僕は、日本人独特の、〈神の子のいない祝祭〉は、

実は、世界に対して、表明、刻印しておくべき重要な年中行事に思えてきた。

日本および日本人が、この島国にあって、地球で安全に生き延びるためには、

……普段は、だいぶ不可解で奇妙なところが多いけれど、平和を愛好する人々である。
ところが、ひとたび、かれらを圧迫、侵害したら、それはそれは狂信的で、徹底的な反攻と攻撃を受ける……。

そういう民族と民衆であること(と思ってもらうこと)が、極めて大切だ。

日本に手だしをすると、こっちがヤラレル、そういう定評が。

であるから、世界一般には理解できないような、クリスマスの過ごし方は、

我々の〈不可解さ〉〈ユニークさ〉を際立たすため、

今後も続けるべきならわしのひとつ、でありましょう。

では。