1945年8月15日を境に、
平和を志向する国と民に生まれ変わった、という幻想に基づいて、
太平洋戦争の惨禍、が被害者の態度で語られている。
現在90歳の御方でも、大戦終結当時は、たったの10歳くらいだったから、
拙い子どもの記憶と印象しか持ち得ていないはず。(彼らは、戦争にも加担していない、加担などできなかった)
であるにもかかわらず、
おそらくは、その後の 80年を通して身につけたもろもろの思想をまじえて戦争悲惨論を語る。
家族や友人が突然に肉の塊になったり、遠方の島に消えたり、たしかに、それはむごいこと。
だが、もしも、〈平和〉を口にするなら、
ひとっ跳びに、殺害と悲惨な風景を持ち出してきて、
だから、平和でないと、と締めくくるのはいかがなものか?
ではなくて。
僕らが見すえるべきは、イジメ、虐待(時に殺害)、差別がすぐそこにある、
平和と呼ばれるようでいて、けっこう危うい日常生活を、どれだけ安穏で、過ごしやすくするのか? に在る、と思っている。
正直に言えばいいのだ。
戦争なんてのは、自分の手の届かないところで始まったし、是非の話もなく生活していたと。
生粋の軍国少年だったと。
……83年前のいまごろは。
数日前のパールハーバー攻撃による戦果でもって、
日本中のほとんどは、ある種の高揚感に浮かれていた。
その中で、これはヤバい!!、と真剣に悩んでいた者がどれだけあったか?
その時代を背景にしたN〇Kのドラマでは、主人公はほとんどそんな人間に描かれているが、あれは、後世の価値観におもねった〈ウソ〉。
まさか、好戦的な人間に描くわけにもいくまいけれど、
そこなんですよ、
この80年間、現実から目を背けた平和論に逃げ込んでいる、というのは。
東条内閣が戦争を継続できたいちばんのエネルギーは、
国民大衆の、あの高揚と戦争支持であったのは、ほぼたしか。
だから、まづ、平和を持ち出すなら、あの感情や気持ち、なにもできなかった自分(追加しました)を、まづさらけ出さないことには始まりませんが、
そこは、口をつぐむ人が多いし、
戦争をあおり、どんな格好であれ加担した者は、たいていが幕の向こうに逝ってしまった。
誤解なきように付け加えますが、ここから昔をみて、あの戦争に協力した者を責めることなど、僕にはできない。
だから、戦場画を描いて戦争に協力したと、藤田 嗣治(画家、フランスに帰化)を追い出したことを、気は確か?、日本よ、と思っています。
……ブツブツ言いながら(稀ですけど)、101年目に向かうんでしょうね。
では。