いまさらポストモダンでもない,が。

それがなんでもかまわないが、ひとつの思想に世の全体が貫かれるような時代、

または。

ひとつの理論で世界を解釈できる時代は、

1990年近辺で終ってしまった、というのが僕の感想。

日本にあって、決定的だったのはおそらく、

中学生がやるような政権樹立ごっこを、やがては、社会を揺り動かしかねない毒ガステロ(1995年)にまで持っていけることが、リアルになってしまったこと。

それは同時に、マルクス主義の終わりも意味していて、

いまやその思想的展開など、地球上のどこにもなく、~主義と自己主張する国家が在るだけ。

日本共産党にしても、看板だけが〈共産〉であるに過ぎない。

そんなのは、綱領をさらりと読んだだけでわかる。

〈反戦〉〈平和〉、こんなのも形骸化して、もうじき死語だ。

……と威勢よくはじめてしまったけれど、

僕たちの日常生活だと、

ほとんどは、メディアとSNSから、

こっちの本当らしいものをチョコチョコ、

次に、あっちの快適らしいものをチョコチョコ拾い集めてきては、

それを周囲に配しては過ごしている。

小学3年生の口癖を借りると、〈都市伝説〉の収集とでもいおうか。

ただ。

他人を屈服させるような支配的な思想的見地を、誰れも持ち得ない世の中、というのは、僕には歓迎すべきこと。

乱暴にいえば、

ポストモダン(超近代)は、いつの間にか終わってしまい、早30年なのだ。

音楽にしたって、

当時は、過去への抵抗と反発だったはずのクラシカルな70年、80年代の曲を、

今、どう料理して(変奏して) 演ってみたところで、

〈今日の音楽〉そのものであって、僕の世代感からだと、

一種、幻聴みたいに耳にやって来る。

もちろん、それを楽しんではいますがね。

では。